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波濤の王冠 カラカウアの遺産  作者: ゆうき
日清日露戦争 連合王国の更なる飛躍
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欧州情勢

1858〜70年までアメリカで南北戦争が行われた事で欧州情勢にも変化が訪れていた。

史実では瀕死の病人と呼ばれていたオスマン帝国であるが南北戦争が長期化した事で綿花が高騰、が輸出が増大した事で外貨獲得の手段が増え帝国の財政を史実よりも余裕を持たせる事が出来ていた。

この時期オスマン帝国もタンジマート改革を進めており史実では諸外国の干渉や国内の反発で頓挫した改革もあったが欧州諸国がアメリカ情勢に外交余力を割いていた事で干渉が低下、この間に税制、行政、教育、軍政改革を進める事に成功していた。

特に軍事の面は大きく後装式ライフルの配備を予備役にまで進めドイツからもクラップ製の要塞砲、野戦砲の導入を進め欧州の近代陸軍程ではないが近代化に成功する。

海軍も史実では整備不良でまともに動かす事も出来なかった海軍艦艇達であったが史実よりも整備を行い、フランスにも水雷艇などを発注する余力が生まれ海軍も史実より行動力がある海軍となっていた。

また史実では無尽蔵に増加させていた装甲艦ではあるが国力に見合った隻数の発注を行い身の丈にあった海軍力を備えていた。

また各地の要塞線も最新式の要塞砲の導入、弾薬庫の整備、要塞のコンクリート化を押し進めていた。

税制改革などはイルティザームと呼ばれる元からの徴税請負を担っていた人々の抵抗にあったり、法の元の平等も在イスラム勢力の抵抗を受けるなどしたが成立させ欧風近代国家としての道を歩み出した。

これらの諸改革を進められた原動力となったのが南北戦争の長期化に伴う綿花の高騰であった。

史実では宮殿建設や装甲艦建造で費やしてしまった予算であったが装甲艦の建造は上記の通り控え宮殿建設も帝国内の改革派が力を握っていた方もあり一つが建設されたのみで後は控えられていた。

第一段階として借款管理法を制定し国債の発行を控え外債に極力頼らない財政を目指していた。

史実では財政破綻しオスマン債務管理局が設立され諸外国に国内の税収などを管理されていたが財政破綻を避けるべく制定されてたのだった。

また上記の宮殿建設の抑制、徴税請負制を政府直轄にすることで税収の安定化を図っていた。

第二段階としてオスマン銀行を中央銀行として管理し紙幣発行、国庫管理、国債の管理を担わせた。

また国内消費税や港湾使用料をなどの収入源を整理すべく列強諸国と関税交渉を行いそれらの部分を改正する事に成功した。

また綿花で出た利益を鉄道、農場の灌漑、港湾へ投資を行っていった。

第三段階として鉄道整備を本格化させイスタンブール〜エディルネ間、イズミル方面、アンカラ方面、シリア方面に延伸を行っていった。

これらの路線は後ほどロシアとの戦争において役立っていくことになる。

軍需産業でも銃火器、弾薬、軍服の国産化を進めるべく工場の建設を進めていった。

教育制度にも力を入れ積極的にトルコ人や他民族の優秀な若者達を育成し採用していくことになる。

またこれらと並行してドイツの行政改革、軍政改革を模倣するべくドイツから顧問団を招きタンジマート改革を進めていった。


これらの諸改革は保守派の反発を受けながらも進めていった成果が1877年に開戦した露土戦争で現れることになる。

史実では大敗したオスマン帝国であったがこの世界では諸改革の成果により善戦、セルビア、ルーマニア、モンテネグロの独立を許すもののセルビアは史実よりも領域が小さく、ボスニアはオーストリアによる占領を許すものの行政権のみ移譲、形式上はオスマン帝国に留まることとなる。

またブルガリアは史実では大ブルガリアとして成立しベルリン会議で縮小されたがこの世界ではロシアがそこまで快進撃を出来なかった事もあり北ブルガリアが自治公国に、南ブルガリアはオスマン帝国内の自治州、マケドニアはオスマン帝国領として留まる事にる。

ロシアにはカルス、アルダハン、バトゥム、バヤズィトを割譲する事にる。


オスマン帝国内では史実では非常時を理由に憲法が停止され専制政治が再開されたがオスマン帝国が史実以上に善戦したため議会も停止されずタンジマートの効果が確認されたためさらに諸改革を進めていくことになる。

また露土戦争後にロシアの拡張を恐れる英仏、内心ではロシアを支持しているが名目上反対を表明しているオーストリア帝国の提唱でドイツが仲裁の立ち位置となりベルリン会議が開催、概ね講和の内容が履行されるが賠償金の減額、バトゥム、バヤズィトがロシアからオスマン帝国に変換される事になった。

ロシア帝国ではトルコが史実以上に強力で未だに簡単には倒せない敵であると認識し欧州方面での拡張を諦め、アジア方面に軸足を移していく事になる。

南北戦争の長期化が思わぬ形で欧州にも波及しロシアの南下政策にも影響を与えた。

ロシアは清国を狙っていたものの日清戦争に敗北するまでは眠れる獅子として恐れられていたが敗戦したのを見て一挙にアジア進出を強め日本、英国と対立していく事になる。

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