眠れる獅子の分割
眠れる獅子として恐れられ列強からの侵略には合いつつも本格的な分割に至っていなかった清国であるが日清戦争に敗北したことで一気に分割が進んでいくことになる。
まずロシア帝国が日本への賠償金支払いの為の金を清国に低利子で貸し付けることを申し入れその流れにのりフランスも申し入れを行った。
露仏両国はもちろん善意からこの申し入れを行ったわけではなく現在香港を中心として清国市場を支配するイギリス利権に食い込むべく行った物であった。
特にロシア帝国は歴史的に凍らない港、不凍港を求めて南下して行くことが国是でもあった。
欧州においては露土戦争に勝利しサンステファノ条約によってバルカン半島の覇権を握るもロシアが地中海に拠点を持つことを恐れた欧州諸国などの思惑もありベルリン会議が開かれバルカンにおいての覇権は放棄する事になる。
またロシアは沿海州にも進出してウラジオストクを建設、日本海にも圧を加えていた。
上記のベルリン会議の結果もあり欧州における南下の限界を悟ったロシアは日清戦争の講和条約に介入し翌年には露清密約を締結、この密約は清国がロシアに旅順及び大連などの遼東半島を租借し日本と戦争になった場合には共同で防衛する事が取りまとめられていた。
時を同じくしてフランスは自国の勢力圏である仏領インドシナに近い杭州湾に租借地を建設、ドイツも青島にてドイツ人宣教師が殺されたことを理由に山東半島の青島を租借した。
この時点で外蒙古、新疆、満州はロシア、フランスが雲南、広西、広東、ドイツが山東を勢力圏としたことにイギリスが危機感を感じていた。
まずイギリスは日本軍が清国政府の賠償金支払いを監視する名目で駐屯していた威海衛を自国の租借地とするべく日本と交渉を行い下関条約締結2年後に英国租借地となる。
この際英国は日本にロシア艦隊の監視場所となる対岸を英国が保持する方が日本の負担も少なくなると日本を説得していた。
この頃にはイギリスも長江流域及びチベットを勢力圏としてはいたが英国単独では仮想敵であるロシア及びドイツに対抗する艦隊整備も大きな負担となって来ていた。
そこでアジアにおいて目覚ましい発展を遂げている日本と同盟を組み極東においてはロシアの牽制役を任せることを思いついた。
この頃には日布連合結成の際の外交交渉や日清戦争講和条約での根回しもあり日英関係は良好な状態で後は英国政府が栄光ある孤立を捨てる決断をすれば日英同盟が締結されるのも時間の問題となっていた。




