日本の軍備
日本は史実とは違う道を歩んでいる為に1881年時点でも軍備に変化が訪れていた。
この世界では南樺太、千島を保有していたため幕末の時点でも西洋列強が到達する前から小中型船舶中心ではあるが警備艦は多数保有している状態ではあった。
ただ西洋に対抗できるレベルではなかったが……
それが開国を迎えたことで一気に軍備を拡張していく事になる。
オランダから咸臨丸型4隻を購入し国内にでもフリゲートやコルベットの建造を推進、装甲艦東も史実通り購入した事で明治維新時には史実の1.5倍ほどの海軍軍備を保有する事になった。
特にヘダ号を始めとする君沢型や鳳凰丸建造で洋式船建造技術を手に入れられたことは大きかった。
箱館戦争にて一部の艦艇は失われてしまうが拡張は続けられ1870年に初めて小艦隊が編成される事になる。
その後1871年に二つの小艦隊が編成され近代日本海軍の実質的な創設となる。
その後日本を東西二つに分けて東海鎮守府及び西海鎮守府が設置され1878年には装甲艦扶桑が就役しアジアで初めて近代的装甲艦を保有するに至る。
少し戻るが1876年には初の国産軍艦清輝が就役し軍艦の国産化にも着手していた。
清輝は西南戦争もなく予算に余裕があったため改良型が1隻建造され1881年、カラカウア王による婚姻提案がなされた時点で葛城型スループを史実より一隻多い4隻を発注、この時点で装甲艦扶桑を中心に金剛型コルベット2隻、清輝、清輝改良型1隻、葛城型スループ4隻、その他国産コルベットを中心とした史実よりも規模が大きい艦隊が構成される事になる。
また葛城型の発注と同時に近代的巡洋艦建造構想も練られ高雄及び改良型が2隻の建造が計画される事になる。
同時に海外の技術も吸収するべく浪速型の発注を行なっていくことになる。
陸軍軍備は西南戦争を経験していないため大規模な動員計画や兵站計画は未整備な物の東北、東京、大阪、鎮西鎮台を創設、名古屋、広島、札幌鎮台を増設し後に帝国陸軍初期7個師団に改変されていく事になる。
また御親兵は近衛師団に改変されていく事になる。
1880年には薩摩藩出身の村田少将が開発した初の国産小銃村田銃を正式採用、今まではスナイドル銃やマルティニヘンリー銃など雑多な銃を統一下する事で弾薬問題を解決していく。
その他には北海道、南樺太開拓に従事する屯田兵を創設、平時には開拓業務に就き戦時には兵隊として動員できる部隊であった。
後の日清戦争時には屯田兵も動員、近衛師団及び7個師団と共に従軍し後方警備の任につく事になる。




