日本の状況
当時の日本は織田信長が本能寺の変で討たれた後、豊臣秀吉が天下統一を果たし唐入りのために朝鮮半島に出兵したものの大きな成果を得ることもできず、豊臣秀吉の死と共に朝鮮出兵も終わりを迎えた
秀吉が小さな興味を頂いたことで始まった日本=ハワイ貿易も当時の技術の限界によりそこまで盛り上がりを見せることも無く、秀吉の後に天下統一を果たした徳川幕府の手により廃止に向かっていった。
ただこの日本=ハワイ貿易によりハワイにもたらされた技術や武器によりハワイの統一は押し進んで行くことになる。
日本からハワイには使われなくなった初期型の火縄銃なども渡っており後にカメハメハ大王を輩出するこのコナ首長一族にかなりの優位を与えることになった。
ただし史実と比べて10年〜20年統一が早まるくらいではあるが……
ただし、このハワイ貿易は思わぬ影響を日本に与えていた。
唐入りの失敗、技術的困難さからのハワイへの到達の難しさは豊臣政権に直近の地である北方、即ち蝦夷地及び琉球に目を向けることに繋がった。
唐入り失敗後で明の朝貢国である琉球に侵攻しまたしても明との大規模衝突を避けたいとの思いから豊臣政権時より北方開拓の構想が始まり江戸幕府成立後から開拓がスタートする事になる。
ただ関ヶ原の戦いや大阪の陣など国内が安定せず本格的に実行に移されるのは大阪の陣後となる。
家康の中には北方開拓は国内で溢れる浪人の処理に繋がり一部の西国大名を動員することで開拓に力を使わせ幕府に反発する力を抑える目論見もあった。
二代秀忠の時代には上知令により蝦夷地を松前藩任せから幕府の藩直轄地として交易路の整理を進め、三代家光期には完全なる鎖国体制を完成させつつ全国の大名に参勤交代をかしつつ北方開拓も同時に進めさせる事で大名の力を削りつつ蝦夷地の実効支配を進める事に成功した。
家綱、綱吉の時代には道央までの進出に成功し、家宣、家継時代には停滞をするものの吉宗時に一気に加速し蝦夷地全土への進出に成功する。またこの時久春古潭、千島南部に進出拠点を築き上げる。
ただし、吉宗の時代になってくると海外貿易の赤字、度重なる飢饉、地震や噴火に幕府財政は史実通りの悪化を見せ始め享保の改革などに持ち直しはするが家康ー家光の頃ほどの回復は見られなかった。
そこで家重、家治の時代には幕府財政の悪化を更なる開拓により解決すべく久春古潭、千島の開拓を更に進め、家斉の時代にはニコライレザノフの根室寄港を期に北方警備のために久春古潭周辺の更なる入植、千島中部への進出を強化、家慶期に千島全土の支配を固め北方警備の更なる強化を図っているところに運命の黒船来航を迎え、日本とハワイの運命が再び交差し合う事になる。




