南北戦争終結
1868年時点でも終結することのなかった南北戦争は北部の圧倒的優位が決まったまま1869年も続くことになる。
南部の補給網、経済は既に崩壊していたがテキサスを中心に徹底抗戦の構えを崩していなかった。
一部のもの達は降伏論に傾きつつあったが連合首脳部はイギリスやフランスの大規模介入に期待をしてなんとか戦闘を続けたものの1870年、テキサスの臨時首都が北部に圧倒的戦力で包囲され幸福を決断、史実よりも長い12年間に及んだ戦争はアメリカに大きな傷跡を残して集結した。
この戦争で軍民合わせて140万〜230万とも言われる人々が死亡し負傷者も100万人近く発生することになった。
ヴァージニア、テネシー、ジョージア、ミシシッピ、テキサス各州の被害は甚大な物となった。
国家債務も史実の5倍近くにまで膨れ上がり利払いの負担も6倍ほどに膨れ上がっていた。
インフラへの被害も凄まじく鉄道整備が史実よりも10年は遅れる見込みとなった。
南部港湾都市の被害も戦争前の水準に戻るために10年はかかると予想された。
GDPも史実を100とした場合戦争終結の年は半分程にまで落ち込んでいた。
国内も軍需品関係は伸びたものの戦時体制が長かったことから消費財や農業関連は人員不足などもあり伸び悩むことになる。
戦死者も増大したことから労働者賃金も跳ね上がりアメリカは海外からの移民を積極的に史実以上に受け入れていくことになる。
史実並みの経済になるにはここから2、30年の月日が必要となる。
また国内世論にも大きな影響を与えることになる。
長引いた戦争により増大した戦死者や負傷者により戦争による拡張を望まない世論が形成されマニフェストデスティニーは大幅な変更を余儀なくされる。
史実であれば積極的にアジア太平洋への拡張を目指したのが容易に侵攻を掛けることができる中南米を目指していくことになりアメリカ政府はサントドミンゴや西領キューバ、デンマーク領西インド諸島などへ拡張を進めていくことになる。
その拡張も経済の疲弊から当分先のことにはなるが…………
そして1860年から10年間戦争を遂行した偉大なるリーダーも三期目を途中に南部の過激派により暗殺されることになる。
偉大なるリーダーの死をアメリカ各地で悲しみそして戦争が集結したにも関わらず南北に深い対立を残すことになる。
リンカーンが暗殺され深い悲しみと対立を残したがアメリカの戦後復興及び国内開発は進んで行く。
1870年には戦争終結と同時に合衆国初の大陸横断鉄道の工事が本格的にスタート、大陸横断鉄道は後に西部開発及び戦後復興の象徴となっていく。
1975年には史実よりも遅れてロシア帝国より史実よりは高い金額とはなるが購入することになる。
これは世論及び議会からかなりの反発を受けることになり一大政治問題となる事になる。
復興に予算を掛けなければならないのに新たに国土を増やす余裕は無いだろうと。
ただ政府としては南部で職を失った地主などをアラスカの僻地に押し込む事で再度の反乱を起こす気力を無くさせることも目的であった。
巨大や冷蔵庫を購入したとこの時には批判されるが後に金が見つかるなどこの時の購入の正しさが証明される事になるがそれはまだまだ先の話である。
また戦争の傷跡が深く残っている事でアメリカはインディアン諸部族に対し宥和政策に出て史実で勃発したインディアン戦争は先送りされる事になる。
そんな中で飛び込んで来たのが日本の皇族とハワイ王族との婚姻話であった。
1881年には史実ベースの7割ほどまで経済が回復してきていたがまだまだ国外への進出を嫌がる世論は強く、インディアン部族達も平定出来ていない状態で太平洋に目を向けることは出来ず実質的に傍観する事になる。




