ハワイ移民団たち
ここでカラカウア訪日前、史実の西南戦争勃発直前に戻る事になる。
史実では佐賀の乱を始まりとして士族反乱が頻発、西南戦争の終結により終結して行く事になる士族反乱ではあるが佐賀の乱、西南戦争が起きない事で萩の乱や秋月の乱のような小規模なものしか発生し得なかった。また政府の説得を受けた西郷隆盛、江藤新平が不平を抱く士族たちに海外での武士道の体現を求めた事で士族たちもまだ必要として貰える地があるならと移住を承諾した事で西南戦争、佐賀の乱は回避される事になる。
この移民団に諸外国は最初日本によるハワイ戦略かと疑いの目を向けるが文久使節団が交わした移民の約束、すなわち日本ーハワイ間の移民協定に基づくものだと知るとすぐに興味をなくしていった。
イギリスは反ロシア政策に基づきバルカン半島に注力しアメリカは南北戦争が終結したばかり、フランスも普仏戦争やメキシコ問題に注力していることも大きかった。
開拓団達は最初から順風満帆な訳では無かった。
白人勢力から自らの権益を脅かす敵と見られ元年者たちと呼ばれる移民たちがいたが現地民からも白人たちと同じ存在と見られたからだ。
だがそこは元士族であり武士の誇りを失っていなかった。
現地では不平不満を言わず開拓に従事したり、プランテーション農業に従事、時には白人や現地民達の争いの仲裁を行うこともあった。
そういった活動が現地民からの信頼を得る事に繋がった。
またカラカウア王が1874年に即位していた事も大きかった。
カラカウア王は王国の独立維持を第一目的と考えており急速な近代化を進める日本に好意的感情を抱いていた。
そういった好意的な感情も開拓団達には有利に働いていた。
即位時点では3000人はどの日本人の人口であったがカラカウア王訪日時点では士族達が家族を連れて移住したこともあり18000〜30000人ほどを数えるまでになり王国の中でも一大グループを構成するに至っていた。
また士族達の中には元武士や官僚、教員、警察、技術者達も含まれておりハワイも急速に近代化が進むことになる。
西郷隆盛の誠実な姿勢もありハワイ政府の中で西郷隆盛は陸軍アドバイザーに、江藤新平が法制度のアドバイザーに訪日時点で就任、一部の士族達は王国陸軍の中の国王親衛隊として採用され白人勢力への対抗も可能になるのだった。
そういった背景がありカラカウア王は訪日時点で日本に婚姻の約束、将来的な同盟を提案するに至るのであった。
後にカラカウア王はポリネシア諸国による連合も提案し行くことになるがこちらはドイツやイギリスなどがサモアを狙っていたこともあり流れてしまうがカラカウア王訪日によって日布聯合構想が急速に進んでいくことになる。




