開拓総督西郷隆盛
秩禄処分と廃刀令が発布されて士族の不満が高まっていた日本であるがそもそも廃刀令と秩禄処分とはという話である。
まず帯刀は江戸幕府の頃から武士に認められた特権であり武士が武士たり得る一つの証であった。
廃刀令では刀の保有は否定されていなかったが台頭が認められなくなることで武士たちのアイデンティティが否定されることになる。
秩禄処分は華族や士族に支払われていた禄、つまりは給料の支給をやめて公債、すなわち国債などに置き換えるものであった。
経過措置として利子はつけられたがそれは微々たるものであり士族たちの生活はボロボロになって行く。
明治政府としては歳出の三割にあたる禄を廃止することで財政の安定化を目指したが旧武士の士族たちからしたら堪らない政策だった。
廃刀令で権利を奪われ徴兵令で存在意義を奪われ秩禄処分で特権まで奪われ完全にアンデンティティを奪われたのである。
そりゃ武士たちも反乱の一つや二つ起こしたくはなるだらう。
ただしこの世界ではハワイとのつながりがあり移民送出の約束をしていたため士族たちへの対応が変化することになる。
水面下で士族達から敬愛の情を集める西郷隆盛に政府が再度接触、征韓論に敗れたとは言え未だに影響力を有している西郷隆盛にハワイの開拓を任せることにした。
政府としては西郷隆盛がハワイに向かえば士族達も一部は従うだろうと考えていた。
またタダでハワイまで行けとは言わずハワイに向かう士族には一時金も支給することを約束したのが大きかった。
下野し私塾を開いていた西郷はこの条件で士族達を説得して周り新たな地で必要としてくれる人達のための力となろうと訴えた。
士族達としても必要としてもらえることに失われたアイデンティティを見出すことが出来、このことに頷くもの達も多くいた。
そして西郷は佐賀の江藤新平も説得を行なっており江藤は納得、西郷が説得に回ったこともあり佐賀の士族達は挙兵を思いとどまることになる。
これらの条件もあったが士族達が1番心動かされたのは西郷隆盛、江藤新平らも直接ハワイに移住し共に開拓に従事すると聞いたことも大きかっただろう。
西郷隆盛の説得工作が成功したことを聞いた明治政府は政府として大規模移民団を送り込むことをハワイ王国に打診する事になる。
この申し出にカラカウア王は即快諾する事になる。
この世界ではアメリカ人が南北戦争の影響でそれほど移住する事がなく労働力が不足していたこともあるが何よりも日本人の勤勉さを現地の人々が6年の間に気がつき日本人を好意的に見ていたこともあった。
殆どの日本人達は悪さを働くこともなくどんなに辛い事でも受け入れ努力をした事でハワイの人々と絆が生まれていた事も大きかった。
これらのことを踏まえ西郷隆盛をハワイ開拓総督に任命、江藤新平を副総督とし士族達を率いてこの2人が中心となってハワイに移民する事となる。
後に西郷はハワイの軍政アドバイザーとなり軍政を築く事になり、江藤新平は法律面でのアドバイザーとなり近代ハワイを築き上げかつ後のカラカウア王訪日の際の日布連合を提案することの基礎にもなってゆく。
士族反乱は西南戦争、佐賀の乱は防がれるものの萩の乱などの小規模な乱は発生して行くこととなる。
そして維新の立役者大久保利通は紀尾井坂の変にて史実通り暗殺されてしまうが大規模士族反乱が勃発せず、ハワイ移民からの送金や貿易黒字により財政的余裕が生まれ明治政府の国内開発や軍備計画に大きな影響を与えて行く事になる。
また史実であれば警視庁抜刀隊の活躍によって生まれた扶桑歌をもとにした抜刀隊はハワイ開拓団の歌として違う形で世に生まれる事になる。




