南北戦争 泥沼化へ
ここで再度アメリカに目を向けることになる。
史実より早く1858年に開戦した南北戦争は万延元年使節がやって来た1860年にリンカーンが大統領選挙に勝利し当選、リンカーンは合衆国維持、連合離脱を断固反対を掲げて北部の意思統一を図り国内の工業力を本格的に稼働させて戦争勝利を目指した。
また北部においては後に大統領となるグランド将軍の活躍もあり南部は消耗戦への以降を余儀なくされる。
グランド将軍はシャイローの戦いを勝利に導き西部戦線における主導権を北部は獲得することになる。
ただしルブランの戦いにおいて敗北した北部もこの時点での戦争終結を諦め長期戦の覚悟を固めることになる。
南部もリッチモンドをリー将軍の元で防御したものの戦線の主導権を獲得するには至らず防御中心の消耗戦を仕掛けていくことになる。
1863年には戦争の膠着状態を見たイギリスが南部を承認、フランス、スペインが追従し欧州諸国が介入を本格化させることになる。
イギリス、フランス、スペインは連合国との貿易を通じつつ武器支援などを行い、プロイセン、ロシアは北部に武器支援を行うことになる。
この時カリブ海に権益を持つデンマーク、オランダは中立的立場ながら南北双方に海運などの面から支援を行なっていくことになる。
またこの頃からアメリカ産の綿花が流通しにくくなり瀕死の病人であるオスマン産綿花やブラジル帝国の綿花が代替として流通、この時に上がった綿花の利益が瀕死の病人を少しだけ延命させることになる。
南軍はこの年ゲティスバーグの戦いに敗北、北部の攻勢に失敗、ビックスバーグも陥落したことで南部は東西に分断されることになる。
この翌年からはシャーマン将軍による海への行進が開始され徹底的なインフラ破壊など近代的な総力戦が開始される。
その後も2年ほど南部は粘るものの日本が明治元年を迎えた1868年南部はテキサスに追い込まれなんとか西部でも交戦を続けながらゲリラ戦を展開し続けることになる。
介入した欧州諸国も和平の道を模索し続けるもののリンカーン元で団結した北部は無論のことなんとか独立を勝ち得たい南部も受諾せずまだ暫く戦争は泥沼化しつつ続くことになる。
またこれらの戦争の間にプロイセン、ベルギー、スウェーデンは北部寄りの立場を維持しつつアメリカが輸出出来ない穴を埋め本格的な重工業化を推し進めていくことになる。
またイギリスもかなりの恩恵を受けることになる。ロンドンの金融市場において海運保険、戦時国債の市場が大きく伸びることになったからである。
またメキシコはある意味で南北戦争の被害者と言える状態となる。
アメリカが全力の内戦を遂行しているためメキシコに介入することが出来ず、フランス軍がさらに駐留、地方では反乱が勃発し続けるものの帝制を維持し続け、米墨国境においてはゲリラの多発や密輸が増加、メキシコにも暗い影を落とすことになる。
南北戦争はまだまだ続いてゆく……




