明治改元と元年者たち
戊辰戦争中の1868年、皇太子睦仁親王の即位に伴い慶応から明治に改元された。
戦乱からの始まりの時代となってしまったがそれと同時に近代日本を作る第一歩が踏み出された。
戊辰戦争の真っ最中であった明治元年明治政府は五か条の誓文を発表、今上天皇が天地に近い新政府の基本方針を示す形で発表された。それと同時に億兆安撫国威宣揚の御宸翰が天皇の言葉として国民に広められた。
そしてその翌日には五榜の掲示を各地に高札として掲げることになる。
この二つの違いは誓文が大名や公家向けに発表した今後の国是、国の行動指針であり掲示は国民向けにこれは守りなさいよという命令であった。
但し五榜の掲示は奥羽越列藩同盟支配地域などでは掲げられた翌日に倒されるなど戦乱の影響を感じさせるものであった。
そして7月には江戸を東京と改名、今上天皇による東京行幸も行われ首都が京の平安京から東京に移される下準備が開始された。
但し東京奠都は保守派の公家などからの反対も根強かったものの大久保利通などの勢力は京都からの奠都を主張、とりあえず関東、東北の混乱を抑えるべく長期に渡り天皇陛下に東京行幸を行なってもらい、既成事実かを測ろうとしていた。
またこの同じ年一部の士族を中心にハワイへの移民団第一陣が出発、後にこの第一陣は元年者達と呼ばれハワイの日系人コミニティーの中で大きな存在となってゆく。
ハワイ移民団第一陣はハワイ到着後ハワイから大歓迎を受けて労働力として農園などで作業を行なってよくことになる。
また日本人の勤勉、誠実さが元年者達により広がりハワイから日本への好感に繋がって行く。




