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第16話 御門の理

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

相楽が立ち去っても、外では機構の足音が続いていた。


境内には、保全機構によって素早く規制線が張られていく。

社務所の前を通る神職たちは、規制線の手前で足を止めるようになっていた。

誰に命じられたわけでもないのに、境内の歩き方が変わっていく。

部屋の空気も重く沈んでいた。


村上は口を真一文字に結び、必要なこと以外は一切口にしなくなった。

澪は相変わらず、深い沈黙の中に沈み込んだままだ。三島でさえ、今は彼女に安易に声をかけることができずにいた。


「あちらさん、もう何をどうするか決めて来てますね」

ノートパソコンの画面から目を離さず、難波啓介がぽつりと言った。


「あぁ……分かってる」


「分かってるっていう顔やないですけど」


難波は短く溜息をつき、再びキーボードを叩き始めた。

パソコンの画面には、会社宛ての報告書と、現地の機材リストが並んでいた。


直弦は窓の外を見つめながら、指先を強く握りしめた。


構造が見えるだけでは足りない。相楽を止めるには、見えているものを手順に落とす必要がある。

そうでなければ、澪は救護対象ではなく、封鎖線の内側に置かれる。



「越智さん。少し、よろしいですか」


昼下がり。沈黙を破ったのは、三島だった。


その声に振り返った直弦は、三島の覚悟を決めたような硬い目を見た。


「……例の話ですか」


「ええ」


三島に促され、直弦は社務所の奥へと歩を進めた。


廊下の突き当たりには、普段は固く閉ざされている重厚な板戸があった。

その手前の控えの間で、村上権宮司が直弦たちを待っていた。


上座の椅子には、白髪の細身の老人が静かに腰を下ろしている。

大山祇神社の宮司、檜垣(ひがき)常和(つねかず)だった。


七十二歳と聞いていたが、背筋はまっすぐだった。

直弦を見る目は静かで、すぐには何も判断しない。


「見せるのか」


村上が、三島に向かって低く唸った。


「もう、隠し通せる段階ではありません」

三島はひるまずに答えた。


「外の封鎖が進んでいます。我々も確たる何かを掴んでおかないと、このままではただ切り捨てられてしまいます」


「しかし、軽々しく開けるものではない」


「分かっています」


村上の言葉は、直弦に対する不信だけではない。

そこには、軽々しく触れてはならないものへの畏れがあった。


直弦は口を挟まず、ただ黙ってそのやり取りを見守った。


檜垣は何も言わず、ゆっくりと一度だけ頷いた。

それで、村上が鍵を取り出した。


村上が重い鍵を開け、蔵の板戸が軋みを上げて開く。


中に入った瞬間、直弦の肌が粟立った。


寒い。

空間そのものが、古く凍りついているような冷たさだった。


古い蔵の木の匂いに、榊の青さと潮の乾いた気配が重なっている。


ここは祈りを捧げるための清浄な場所というより、正体の分からないものを、分からないまま長い間抱え込み、管理してきた場所だった。


蔵の中央に置かれた白木の台の上に、古い木箱が一つ据えられていた。


三島が進み出て、幾重にも巻かれた注連縄(しめなわ)を解き、白布を外す。


四隅に盛られた古い塩が、箱の周囲に微かな結界を張っている。


蓋が開かれた瞬間、直弦の視界が激しく歪んだ。


「――――」


息を呑む。


木箱の中にあったのは、黒ずんだ歪な石の欠片だった。


岡山の研究所で見た、あの星降りの欠片に似ていた。


「これは、今回の星降りのものではありません」

三島が、直弦の様子を窺うように言った。


「……かなり古そうですね」

直弦は目を細め、欠片に絡む糸を追った。


岡山の欠片から伸びていた糸が、空間を無理やり食い破る暴力的なものだったとすれば、この古い欠片に絡みつく糸は全く違った。


長い時間をかけて、土地の奥へ食い込み、離れなくなっている。


「ええ。私たちにも、これがいつからあるのか見当も付きません」

三島は木箱を見下ろしたまま言った。


「極端に言えば、この地で祀りが始まった頃からあってもおかしくない」


「始まった頃? それは……」


「およそ二千六百年前と言われています」


途方もない時間。

直弦は、すぐには返事ができなかった。


「同じものには感じませんね。いや……同じ系統なんでしょうが、こちらは外へ食い破ろうとしていない」


直弦は、木箱の中の欠片を見つめた。


「土地の奥へ沈んで、何かを留めている感じがします」


「おそらく御門と同じ頃です。(いにしえ)よりあったものが、今になって強く反応し始めています」


今回の星降りで、外から新しい欠片が来ただけではない。もともとこの土地の奥に沈んでいたものまで、呼ばれるように目を覚まし始めている。


直弦は古い欠片から視線を外し、三島を見た。


河野(こうの)さんを岡山へ連れて行ったのは、これが原因でもあったんですか」


直弦の問いに、三島はすぐには答えなかった。


箱の中の古い欠片を見つめたまま、やがて重い口を開く。


「ええ。……しかし、助けるためでもありました」


直弦は黙って次を待った。


「もし、岡山の研究施設で反応を抑える手がかりがあるなら、見つけたかった。ですが……確認する必要があったのも確かです」


「反応しなければ、それはそれで良かったんですか」


直弦が言葉を重ねると、三島は苦しげに目を伏せた。


「ええ。本気でそう思っていました」


三島はそこで、箱の中の欠片から目を逸らした。


「昔から、あの子の近さは気になっていました。ですが……それ以上は、今はまだ言い切れません」


三島は言葉を濁した。


澪が幼い頃、この欠片にどれほど近づいていたのか。

三島は、そこだけを避けた。


直弦は再び古い欠片に目を向け、頭の中で思考を組み立て始めた。


澪のノートに記された境界の記録。


生樹(いきき)御門(ごもん)で見た、何重にも縫い留められた律糸の痕跡。

蔵の奥底に眠る古い欠片。そして、岡山の新しい欠片に対する澪の強烈な適合。


「門が、どこかに繋がっている可能性は?」

三島が、直弦の思考を促すように問う。


「それは充分にあります。どこかは、まだ見当もつきませんが……」


直弦は少し間を置き、御門の方角と木箱の欠片を交互に見やりながら続けた。


「いずれにしても、この門は一方的に外から開くわけではなさそうです」


直弦の頭の中に、世界の骨格がぼんやりと、しかし確かな輪郭を持って立ち上がり始めていた。


「恐らく、あの星降りの欠片が鍵です」


直弦は、木箱の中の石を見た。


「そして……星降りの欠片の影響を強く受けた人間が、それをこちら側へ通す器になる。そして門。その三つが揃った時、門はどこかに接続される……」


直弦は、方程式を解くように考えながら言葉を紡ぐ。


三島はすぐには頷かなかった。


「理屈としては分かります」

三島は慎重に言葉を選んだ。


「ですが、それでこの土地が抱えてきた二千年の重みまで、すべて説明したことにはならないでしょう」


「全部説明できるなんて思っていません」


直弦は返した。


「でも、揃っている条件から、次に何が起こるかを読むことはできます。河野さんは、その器として極端に適合してしまっている。でも今は、その力が彼女自身を削る方へ働いている」


全部分かったわけではない。だが、何をすべきか……その骨格は見えてきた。


「あなたの言うことを、暴論だと切って捨てることはできません」

三島は深く息を吐いた。


「ですが、こちらにはこちらで抱えてきた時間があります。理屈だけで片付けられるものではない」


「分かっています」


直弦は引かなかった。


「でも、それだけではもう保たなくなってる」


「……妄想の産物だと切って捨てはせん」


背後から、村上が低く重い声で割って入った。


「それなりに、見えているものもあるんだろう。だが、もし、その考えで通すと言うなら、責任も持て」


村上の言葉は冷たかったが、初日のように、蔵から出て行けとは言わなかった。


その時、蔵の入り口で静かに一部始終を見守っていた宮司の檜垣が、初めて口を開いた。


「守るというのは、隠すことだけではない」


静かな一言だった。だが、その一言で、村上も三島も黙った。


村上も三島も、檜垣に深く頭を下げる。直弦もまた、神社の長い歴史が外の理屈を受け入れようとする、微かな変化を感じ取っていた。


蔵を出る前、直弦はもう一度だけ古い欠片を見つめた。


頭の中で、この欠片と生樹(いきき)御門(ごもん)、そして澪の背中の結び目が、見えない糸でどう噛み合っているかをなぞる。


確かに理屈の骨格は少し見えた。だが、それは安堵をもたらすものではなかった。


分かったからといって、楽になるわけじゃない。むしろ、分かった分だけ、危ない場所も見えてしまった。


外では相楽たち保全機構の人間が、着々と神域の封鎖を進めている。


そして内側では、生樹(いきき)御門(ごもん)と澪、そしてこの古い欠片が、静かに、だが確実に限界点に向けて共鳴し続けている。


「越智さん」


蔵の重い扉が閉められた後、三島がぽつりと言った。


「何ですか」


「今夜……何か起きる気がします」


直弦は、冷え切った自分の指先を見つめながら、静かに頷いた。


「……僕もです」


蔵の扉の向こうで、機構の足音がまた一つ近づいた。

夜を待つまでもなく、何かが動き始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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