第15話 閉じる者
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蔵の陰を出ると、境内の人の流れが変わっていた。
鳥居の向こうに、数台の黒塗りの車が停まっていた。
そこから降り立った者たちは、見慣れない揃いの作業服やスーツに身を包んでいた。
彼らは鳥居の前で一度足を止め、神社側の動線を確かめてから機材を運び込んだ。
昨日まで参拝客が歩いていた空間に、手際よく区切りが作られていく。
社務所の前で、一人の男が村上と向かい合っていた。
男が社務所の前に立つと、機構の隊員たちの動きが自然と揃った。
現場の中心が、そこで分かる。
四十代半ばほどの男だった。細身のスーツに乱れはなく、視線だけがよく動く。
「日本特定事象保全機構、西部瀬戸内圏現地保全統括官の相楽です」
男は村上権宮司と三島に向かって、淀みない動作で頭を下げた。低い、よく通る声だった。
「突然の立ち入り、失礼します。まず現状の確認を、させてください」
許可を求める形をとってはいたが、実質的には通告だった。
村上は、硬い表情のまま応じた。
「確認だけで済むなら、こちらとしても助かる。軽々しく踏み荒らすことだけはしないでくれ」
相楽は村上の目を受けたまま、淡々と返した。
「もちろん。荒らすようなことをするつもりはありません」
そこで一拍置き、相楽は続けた。
「我々は、守るために来ていますから」
直弦は、相楽の言う守るが、自分たちのそれとは違う場所にあると感じた。
相楽の視線が、社務所の周囲から蔵の方角へと向く。
相楽はまず、誰がどこまでを管理しているのかを見ていた。
「境内外周の一時封鎖は、このまま維持します」
相楽は手元のタブレット端末に視線を落としながら言った。
「そのうえで、回収状況を確認したい。昨日、平原化学から持ち込まれた落下物については、当機構の管理下に移します」
相楽はそこで一度言葉を切り、ゆっくりと村上を見た。
「今回の落下物に類するもの、あるいは未申告の異常物はありませんね」
沈黙が落ちた。
ほんのわずかな間だった。村上の口がわずかに固く結ばれ、三島が一瞬だけ視線を足元に落とした。
その微細な淀みを、直弦は見逃さなかった。
相楽もまた、その沈黙の重さを測るようにじっと立っていた。
「申告すべきものは、現時点では以上だ」
村上は低い声で、短く言い切った。
「ない」とは言わなかった。
その一語を避けたことだけは、直弦にも分かった。
相楽はそれ以上追い詰めなかった。ただ、事実を記録に留めるように頷いた。
「分かりました。そこは後ほど、記録と照らし合わせます」
相楽はタブレットに短く何かを記録した。
それで、この場では終わった。だが、済んだわけではない。
相楽の視線が、ようやく直弦の背後に隠れるように立っていた澪に向けられた。
彼の目は、異常に巻き込まれた高校生を見るものではなかった。それは、何を抱えているかを測る目だった。
「河野さんですね」
相楽の問いかけに、澪の肩がビクッと跳ねる。
「昨夜から、身体の変動はありますか」
澪はすぐには答えられず、乾いた唇を何度か動かした。
「……少し、あります」
「痛みですか」
相楽は間髪入れずに続ける。
「それとも、近づくと強くなる感覚ですか」
質問は短い。
だからこそ、澪は言葉を選ぶ余裕を失っていった。
澪が息を詰まらせた時、三島が一歩前へ出た。
「負荷の大きい聞き方は、今は控えていただきたい」
三島の声には、はっきりとした静かな怒りが滲んでいた。
「必要な確認ですよ」
相楽は表情を変えずに返す。
「必要なことと配慮するかどうかは別でしょう」
三島も引かなかった。
相楽は三島と澪を数秒間見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました。では、これも後に改めます」
そこで引くからこそ、読みにくかった。
押し切るより、いったん収める方を選ぶ。
相楽の視線は、澪の顔ではなく、反応の出方を追っていた。
「越智直弦さん」
相楽の視線が、ついに直弦を捉えた。
「平原化学の研究員として、昨夜の応急処置を行ったと聞いています」
相楽は直弦を軽く見てはいなかった。むしろ、何かを見ている人間だと、すでに理解した上での言葉だった。
「昨夜の処置、結果は認めます」
「結果を認めるなら、少なくとも全否定はできないはずです」
直弦は相楽を見返し、単刀直入に言った。
「いいえ」
相楽は即座に否定した。
「そうはいきません。結果が出たとしても、再現性のない処置……それは、賭けです」
相楽の声は、少しも揺れなかった。
「封鎖して人を遠ざけるだけで止まるなら、もうとっくに収まってるはずです」
直弦は一歩踏み出し、語気を強めた。
「収まらなくても、まず広げないことが先決です」
相楽は瞬きひとつ挟まなかった。
「閉じ込めるだけじゃ、また同じことが起きますよ」
「起きるにしても、外へ出さない方がましです」
相楽は言い切った。
その声は、最初からそこに置かれていた答えのようだった。
「一人のために多くの人々を危険に晒す気はありません」
直弦は、その言葉で相楽の見ているものが分かった。
澪の命を軽く見ているわけではない。ただ、最初から天秤の置き方が違っていた。
直弦は相楽の言葉を受け入れられなかった。
それでも、ただの冷血な官僚だとは思えなかった。
この男は、誰かを切り捨てなければ守れない現場を、何度も見てきたのだろう。
「伝承は参考にします」
相楽は直弦から視線を外し、三島へ向き直った。
「ですが、現地判断はこちらで行います」
三島は硬い声で応じた。
「尊重すると言いながら、最初から決めておられるように見えますが」
「決めなければ、間に合わないことが多いので」
「こちらには、こちらの守り方があります」
「承知しています」
相楽は表情を変えなかった。
「ただ、それで保たなくなった時に呼ばれるのも、こちらですから」
その言葉は、三島にとって最も痛い部分を突いていた。現に、神社の内側だけでは事態を収束できず、彼らが介入する隙を与えてしまったのだから。
三島はそれ以上言い返さなかった。相楽も表情を変えない。
二人とも守ると言った。
けれど、同じ場所を見てはいなかった。
相楽は境内の奥、神体山の方角へ視線を向けた。
「猶予はあります。ですが、長くはない」
期限を告げるような言い方だった。
それだけ残して、相楽は社務所の前庭へ歩み去っていった。
機構の隊員たちは配置換えの打ち合わせを始めていた。その場に残ったのは、直弦と三島、そして澪だけだった。
直弦は、相楽の去った方角からゆっくりと視線を戻し、三島を見た。
「三島さん。さっきの質問」
直弦の声は低かった。
「何かあるんですか」
未申告の異常物。相楽の問いに対して村上と三島が見せた、あの一拍の沈黙。
それは明らかに、何かの存在を暗示していた。
三島はすぐには答えなかった。
生樹の御門がある方角を見て、それからさらに奥の神体山へ視線を移した。
しばらくして、三島が言った。
「……まだ、お話ししていないことがあります」
それだけ言って、三島は口を閉ざした。
視線だけが、神体山の奥に残っていた。
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