第14話 近い子
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保全機構の先遣班が島へ入った。
その報せだけで、大山祇神社の朝は前日までと違っていた。
境内の冷気は澄んでいた。
だが、社務所の中だけは空気が重かった。
村上はいつも以上に口数が少なく、すれ違いざまに短い指示を落とすだけだった。
窓越しに見える境内の外には、黒塗りの見慣れない車両が停まり、スーツ姿の男たちが、境内へは入らず、社務所の方を見ていた。
部屋の隅では、難波啓介がノートパソコンを開き、スマートフォンを耳に当てていた。
「ええ、現地は現在情報収集中で。はい、桐野本部長にはそうお伝えください」
難波からは、昨夜の関西訛りが消えていた。標準語で、会社からの探りと指示を淡々と捌いている。
その少し離れた場所で、澪は昨日よりいっそう口を閉ざしていた。
誰とも目を合わせず、ただ膝の上の指先を見つめている。
直弦は外の騒がしさよりも、この場の重く硬い緊張を見ていた。
もう、神社の内側だけで話を収められる段階ではなかった。
「越智さん。少し、よろしいですか」
昼前。三島に声をかけられ、直弦は社務所を出た。
案内されたのは、本殿の裏手にある、古い蔵の陰だった。
表の喧騒も、保全機構の目も、そこまでは届きにくい。
三島はすぐには本題に入らなかった。落ち葉の積もる地面を見つめ、どこから話すべきか測るような間があった。
「昨日、あなたに生樹の御門を見せてしまった以上、もう黙ってはいられないと思いまして」
やがて三島は顔を上げ、直弦を真っ直ぐに見た。
「それに、保全機構まで入ってきた。ここまで来て、まだ隠しておける話でもありません」
「隠していたことがあるんですか」
直弦が短く問う。
三島は眉間を寄せ、少し間を置いて言った。
「大山祇の周りでは、昔から、そういう子が稀に出るんです」
「そういう子?」
「境界の軋みや、封域の揺らぎに近すぎる子です。我々は、密かに『近い子』と呼んできました」
三島は、神社の内側で昔から使われてきた言葉を、そのまま口にした。
「多くは、成長するにつれて感覚が遠のき、普通の暮らしに戻っていきます。今の時代、神事の中心に据えるようなことはありません。……けれど、戻れなかった者もいます」
「戻れなかった者……」
直弦が繰り返すと、三島は重く頷いた。
「澪は、幼い頃からその気配がありました。見える、というより……境界に近すぎた。だからこそ、私はあの子を神社の側へ寄せすぎないようにしてきたつもりです」
三島は言葉を選びながら続けた。
「依代候補として育てたわけではありません。むしろ、そう決めてしまうことを恐れて、距離を取ってきました。彼女が普通の女の子として生きていけるなら、それが一番いいと思っていました」
三島はそこで一度、息を吐いた。
「ですが……星降り以後、島の気配が変わった。澪だけが、はっきり反応し始めたんです」
三島の言葉はそこで止まった。
まだ、言っていないことがある。直弦はそう受け取った。
「岡山へ連れて行った判断も、その延長ですか」
直弦は、三島の言葉の続きを促すように言った。
三島は一瞬言葉に詰まり、目を逸らした。
「……責められるだけのことはあります。ですが、今はそこまでしか言えません」
それ以上、三島は口を開かなかった。
澪のノートにあった記録の偏り。
生樹の御門で見せた、あの強い脈動。
神域へ近づくほど強まる反応。
そこへ、「近い子」という言葉が重なった。
三島の話を聞きながら、直弦の頭の中でバラバラだったものが静かに繋がっていった。
「……神様に選ばれた、とか、そういう話じゃないんですね」
直弦の声が、蔵の陰に落ちた。
「地の圧と、星降りの欠片のような外からの圧を、受け止めてしまう側に寄っている。条件が揃えば、人の方が引っ張られる」
選ばれたのではない。
条件が、揃ってしまっただけだ。
「現象として読めることは分かりました」
直弦は右手の指先を無意識に握り込みながら言った。
「でも、人の人生を巻き込んでいる以上、それで終わらせるわけにはいかない」
「……何の話ですか」
蔵の角から、震える声がした。
直弦と三島が同時に振り向く。そこには、いつからいたのか、顔色を失った澪がいた。
彼女は両手で制服のカーディガンをきつく握りしめ、立っているだけで精一杯のように見えた。
すべてを聞いていたわけではないのだろう。
それでも、聞かせたくないところだけは届いていた。
「澪……」
三島が一歩踏み出そうとしたが、澪はその気配を鋭く拒絶するように後ずさった。
「はっきり言ってください」
澪の声は怒鳴り声ではなかった。けれど、聞いているこちらが息を詰めるほど切実だった。
「私が、変なものを見るから。島の変なところにばかり近づくから……だから、ずっと見てたんですか」
三島は何も答えられなかった。否定するには、知りすぎていた。
澪の目から、力が抜けていった。
怯えよりも先に、何かを諦めたような顔だった。
これまで澪は、誰にも言えない違和感をひとりノートに書き留めてきた。三島は、そんな彼女を見守ってくれる大人だと信じていた。
そう思っていた。
「守ってたんじゃなくて……ただ、見てたんですね」
澪の言葉に、三島の顔がわずかに歪んだ。
「私のこと……、気にかけてたんじゃなくて、見定めてたんですか」
三島はすぐには答えなかった。弁解も、しなかった。
「守りたかったのは本当です」
絞り出すような声だった。
「あなたが普通の暮らしを送れるように、深く関わらないようにしてきたのも事実です。……ですが、見ないふりもできなかった」
嘘ではないように聞こえた。
だからこそ、澪には逃げ場がなかった。
澪はそれ以上、何も言わなかった。
カーディガンを握る手は白くこわばり、喉が動いても声は出ない。
澪はゆっくりと背を向け、歩き出した。
一歩ごとに、足取りが重くなっていった。
直弦は、遠ざかる澪の背中をただ黙って見送った。
追いかけて何かを言えるほど、直弦は器用ではなかった。
三島の立場も分かる。
澪が何を失ったのかも、分かってしまう。
だからこそ、安易には割って入れなかった。
澪の姿が見えなくなってから、直弦は俯いたままの三島に言った。
「……今の言い方では、彼女はそう受け取ります」
三島は反論せず、ただ目を閉じた。
その沈黙を破るように、境内の表の方から、車のドアが続けてバタン、バタンと閉まる音が響いた。
一台や二台ではない。複数の人間が、統率の取れた足音で砂利を踏みしめながらこちらへ向かってくる気配がする。
社務所の方角で、誰かを制止する村上の声が聞こえた。
それでも、足音は止まらない。
神社が守ってきた内側へ、外の論理が踏み込んできた。
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