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第13話 生樹の御門

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

朝の冷気が残る社務所の控えの間に、直弦は表紙の擦り切れたノートを置いた。


座卓を囲む三島清成と村上雅信、少し離れた位置の澪の視線が、そのノートに集まる。

昨夜ろくに眠れなかったせいで、直弦の頭は重かった。

それでも、記録にない場所のことだけは、はっきり残っていた。


「昨夜、読みました」


直弦の静かな声に、澪が微かに身を固くする。


「全部分かったわけじゃありません。ですが、気になるところがあるんです」


三島は否定も肯定もせず、ただ静かに直弦の次の言葉を待っていた。

村上も腕を組んだまま、険しい目で直弦を見据えている。


「実は、澪の記録に、書かれていない場所があります」


直弦はノートを開かず、三島を見た。


「周りのことは何度も出てくるのに、そこだけ抜けている」


生樹の御門(いききのごもん)ですね」


その名前が出た瞬間、澪の肩が強張った。膝の上の両手が、制服のプリーツを握りしめる。


三島は一拍の沈黙を置き、やがて小さく息を吐き出した。


「……やはり、そうですよね」


澪は何も言わなかった。唇の端が、かすかに強ばっていた。


「外の人間を、これ以上奥へ入れるつもりはない」

村上は、短く言い切った。

その目は澪から離れなかった。


「ですが、村上さん」

三島が静かに口を挟んだ。


「彼が昨夜、澪を繋ぎ止めたのも事実です。それに、記録の偏りからあそこに辿り着いた。これ以上、隠し通す段階にはありません」


村上は三島を睨み、次いで直弦、最後に震えている澪を見た。


昨夜のことを無視して、ただ門を閉ざすだけではもう持たない。村上にも、それは分かっていた。


「……独断は許さん」


村上はしばらく三人を見ていた。

やがて、三島へ視線を向けた。


「清成が同行しろ。触れるなと言ったものには絶対に触れるな。澪の様子が少しでもおかしくなったら、すぐ引け。いいな」


村上が折れたわけではない。

神社側の管理下に置いたうえで、ぎりぎり許しただけだった。


大山祇神社の境内から外れ、奥の院へと続く参道を歩く。


玉砂利を踏む音が遠のき、落ち葉と柔らかな土を踏む音に変わっていく。観光客の喧騒も、車が走る音も届かない。木々が深くなるにつれ、肌に触れる空気が冷えていった。


澪は一言も喋らずに歩いていた。

平坦な道なのに、その歩幅はわずかに乱れていた。


ときどき足が鈍り、そのたびに無理に前へ出しているのが背中越しにも分かった。


三島はそんな澪の様子を、ちらちらと気遣うように確認しながら先導していた。


直弦の目は、景色ではなく、その下を走るものを追っていた。

地中や木々の幹に沿って、青白い糸が流れている。


「……来たことはあったんですけど」


直弦が、前を歩く三島の背中に向かってぽつりと言った。


「こんなふうに、奥へ入るのは初めてです」


三島は足を止めずに答えた。


「外から見る大山祇と、内側から見る大山祇は、ずいぶん違うでしょう。……着きましたよ」


道が開け、ぽっかりと空いた空間に、それがそびえ立っていた。


生樹の御門。


樹齢およそ三千年。根回り三十メートルにも及ぶという、巨大な(くすのき)


太い幹の根元が自然の空洞になっており、文字通り門の形を成している。そこをくぐって奥の院へ参拝するという、島の人間にとっても、特別な木だった。


だが、直弦を圧倒したのは、その巨大さでも、三千年という途方もない生命力でもなかった。


直弦の視界は、巨大な(くすのき)を中心に渦巻く糸で埋まっていた。


それは、岡山の研究所の地下で見たような、無作為に空間を食い破る暴力的な糸ではなかった。


だが、昨夜の窪地で見たような、土地に溶け込む古い糸とも違う。


無数の糸が、幹と地中をまたいで絡み、結ばれ、締め直されている。

まるで、傷口を何度も縫い直した痕のようだった。

しかも一度ではない。何世代にもわたって、開きかけるたびに縫い足してきた跡に見えた。


「……ただの穴じゃない」

直弦の口から、乾いた声が漏れた。


三千年という時間は、ただ過ぎてきた年月ではなかった。


「縫ってある。……ずっと前から、何度も」


直弦は、そこでようやく分かった。

星降りの夜を境に、何かが急に湧いたわけじゃない。

もともとここにあった綻びを、途方もない時間をかけて人の手と土地の理で繕い、持ちこたえてきた。

それが今、外からの圧で緩み始めている。


三島は直弦の横顔を見たが、問い返さなかった。


その時、直弦の数歩後ろに立っていた澪の身体が、グラリと揺れた。


「澪!」


三島が咄嗟に手を伸ばす。

澪は痛みを訴えることも、声を上げることもしなかったが、その呼吸はひどく浅くなり、肩が石のようにこわばっていた。


澪は御門を見上げていた。

けれど、その目は巨木の空洞を見ているというより、そこから何かに覗き返されているように怯えていた。


直弦の目には、彼女の背中にある結び目が、御門に縫い付けられた無数の古い糸と強く脈を合わせようと、激しく共鳴しているのが見えた。


自分がここに来てはいけなかった理由を、身体の奥だけが先に理解している。

そんな顔だった。


「……ただ神域に近いから反応してるだけじゃない」


直弦は、御門と澪を交互に見比べながら言った。


「条件が揃ってるんだ」


この巨大な継ぎ目に、澪の身体は近すぎる。

縫い留めるための杭にも、破綻しかけた理の受け皿にも、なってしまう位置にいる。


三島の顔色が変わった。

神社側が口にしなかった答えを、外から来た男に言われた。

三島は何も返せなかった。


澪は反論しなかった。

俯いたまま、唇だけを強く結んでいる。

ここだけは、ずっと書けなかった。書けば、ただの記録では済まなくなる気がしていた。


御門の空洞の前で、三島は少し遅れて口を開いた。


「ここは、誰にでも見せる場所ではありません。澪にも……幼い頃から、なるべく近づけすぎないようにしてきました」


「閉じてきたから、今日まで保ったんでしょう」

直弦は、何千回と縫い直された御門の糸の痕跡を見上げながら言った。


「でも、閉じたままじゃもう持たない。継ぎ目が限界です」


三島は何も言い返せなかった。


神社の内側だけで持ちこたえられる段階は、もう過ぎていた。


「戻りましょう」


直弦は澪から視線を外し、三島に促した。


「見るべきものは見ました。ここに長居するのは、彼女にとって毒だ」


社務所へ戻ると、控えの間の空気は、彼らが出て行った時よりもさらに張り詰めていた。


部屋の中央に立つ村上は、怒っているようには見えなかった。

ただ、避けようのないものを呑み込まされたような、苦々しい表情をしていた。


ただならぬ空気を察し、三島が足早に村上へ歩み寄った。


「村上さん、何かあったのですか」


村上は三島を一瞥し、それから直弦を見た。


村上の口から、短く、重い一言が落ちた。


「保全機構の先遣班が、島へ入ったそうだ」


直弦の眉がピクリと動いた。


日本特定事象保全機構。

直弦は、その名前を知っていた。

調べるだけの組織ではない。必要なら、人も場所もまとめて閉じる側の組織だ。


もう内々では済まない、ということだ。


生樹の御門でこの土地の古い傷跡を見た直後、外から来る力は、もう目の前まで来ていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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