カリスト大深度地下隔離研究施設
『コハク、ノワール。跳躍艇の設備をお借りしてもいいですか?』
一旦、話を止めたエトナさんが問いかける。
「ああ、好きに使えばいいさ」
「いいものがありますよ。ニューログラフの原型となった装置です」
『……ああ、これはいいですね』
エトナさんが感心したように言った。
「あれか……。あのときの映像は、今でもはっきりと思い出せる」
「そうですそうです。九年前、アルにヴェリテの説明をするときに使ったあれです」
「ニューログラフ? 僕も応用学校の授業で使ってたよ」
「あれを作ったのは私ですよ」
ノワールさんが得意気だ。
「ノワールさんが?」
「ニューログラフは地球人の技術力に合わせて、デチューンしたものです。ここにあるのはその原型ですよ。補完機能付きです」
「補完機能って何?」
「そうですね。ニューログラフに、あるイメージが投影されるとします。その中にジーンの知らない言葉が出てきます。たとえば磁気トルカ。ジーンが疑問に思った瞬間、その概念自体を脳に叩き込みます。それが補完機能です」
叩き込むって……ずいぶん乱暴なことをするんだ。ちょっと怖い。
「ノワール、ジーンを脅かすな」
アルが唸る。
「これは失敬。疑問に思った瞬間に解答が頭の中に浮かぶ、とでも思っていただければ」
へえ、すごいな。何か変な影響は出ないのかな?
「一つ欠点がありまして……あまりに疑問が多いと、すごくお腹が空くのです。脳が活発に働きますので」
ちらりとこちらを見ながらノワールさんが言う。
僕の考えていることが分かるみたいだ。
「俺はそんなことはなかったが……」
アルが反論する。
「アルのときは、私がグルコース投与量を適宜調整していたのです」
「なるほどな。あんた、芸が細かいな……」
「さあさあ、そろそろ始めましょうか。コハクとジーンはこれを着けてください」
ノワールさんからヘッドホンのようなものを渡された。
頭に着けると、パッドが両耳にフィットする。
コハクさんの方を見ると、僕と同じように装着している。二回りほど小さい。
パッドから耳が飛び出しているけれど、大丈夫なのかな?
「別に音を聞くために着けるんじゃないよ。脳にアクセスするための中継器みたいなもんさ」
僕の視線に気づいたコハクさんが言う。
「私とアルは、インターフェースを持っていますから不要なのです。では始めます」
―― 「主任! ヴェリテの動力炉が起動しました」
女性の声がする。
うわっ、なんだこの視界? たくさんの目で周りを見てるような……。真後ろも見える。
そう疑問に思った瞬間、ああ、これはヴェリテの目から見た景色なんだと納得した。
さっき説明にあった補完機能だ。
僕の周りには二人の人物がいた。一人は声を上げた女性、もう一人の主任と呼ばれた男は……カリスト大深度地下隔離研究施設のシステム解析班の主任。
皆には隠しているけれど、トランサンデのシンパだ。
全部分かってしまう補完機能はすごい!
だけど、推理物のコンテンツで、最初から犯人が分かっちゃうみたいな残念感もある。
ううん。これは、実際に起こったことの再現映像。真剣に見なきゃ。
「やはり、儂の推測は正しかった。人格オーバーレイの書き換えで、エトナはヴェリテの中枢制御体となった」
「ええ、これでヴェリテの動力と推進機関の謎に迫れます」
「よし、ヴェリテ。推進機を作動準備。そうだな、〇・一Gで一秒間だ。方向は任せる。やれ」
体は固定されていて動かないが、何か力が発生したのが分かる。
「……ヴェリテ周囲の重力変動を確認。〇・一G、一秒です」と女性が答える。
この女性は主任専属の助手だ。
「よし、正常に動くな。次は動力をどうやって取り出すかだが……」
主任が手元の端末に目をやる。そして操作を始めた。
ああ、この人は動力を外部に取り出す方法を、ラザードから聞いていたんだ。 ――
「どういうものか理解できましたか?」
ノワールさんの声だ。その言葉で我に返る。
そうだ。さっきの映像や音声、それに感覚は、実際に体験したわけじゃないんだった。
ちょっと夢を見ている感じに近いかな?
「うん、すごいね。その場所にいるみたいだった!」
僕は元気よく答えた。
「ジーン、あまり感情移入するなよ。きっと辛い思いをする」
『そうですね。あまり子供には見せたくない展開があります』
エトナさんが言う。
「いや、配慮には感謝するが、しっかり知っておいて欲しい。いいな、ジーン?」
「うん、両親のことで悩んでいたから。子供だからって何も知らされないのは辛いよ」
アルの言うとおりだ。
「さあ、このあとも続きますよ。今のうちに栄養補給をしておきましょう。おやつの時間です」
アルが腹部の小さなハッチを開き、栄養カートリッジを交換している。
僕の前には、ちょっと大きめのケーキと飲み物が現れる。
ケーキは、職員食堂で出していたフルーツたっぷりのミルクレープ。桃とメロンを細かく切ったものが生クリームに入っていて、とても美味しいんだ。
飲み物は薄いクリーム色で表面に泡が浮いている。
何だろうと思いつつ口にすると……バナナシェイクだ!
僕、これが大好きなんだ。
『再開しましょう』
エトナさんの言葉と共に、再び僕たちは三百余年の時を遡る。
―― 主任が手元の端末の操作を始めた場面から再開された。
「ヴェリテは、どこからかエネルギーを取り込んでいる。恐らく『ストラクチャ』に存在する何らかの粒子を、エネルギーとして運用しているのだ」
「その理論の根拠は何ですか?」
助手が尋ねる。
助手はシステム工学の研究者。専門は複雑系の解析だ。この人、お母さんに少し雰囲気が似ている。
これからは、助手さんと呼ぼう。
「まだ、仮説の段階だ。仮説の根拠は、エネルギー保存則を逸脱していることだ。真空からの局所的な相転移現象とも考えられるが、分光計によるとその痕跡は無い」
端末のディスプレイを眺めながら主任が答える。
助手さんに、素粒子物理学の素養が無いのを知ったうえで話しているよね?
言ってしまえば、煙に巻こうとしているんだ。
「高次元からの漏出? 虚時間による収束? あんな考えはアウトノーマに否定された。話にならん。残る有力な推論はストラクチャ内の粒子だけだ。正体は不明だが存在が確認されておる」
「なるほど、よく分かりません」
助手さん、素直だな。
「うむ。根拠としてはこんなものだ。実験を始めるぞ」
「はい、やりましょう!」
主任は、ラザードから受け取った情報を基に、中枢制御体に命令を伝達するコマンド群を作成済みだった。
「エネルギーを推進機に回さずに体表から五百ミリの距離に放出させてみよう。防御隔壁を出せ」
「分かりました。防御隔壁展開します」
主任が手元の端末を使い、ヴェリテの中枢制御体にコマンドを入力する。
鉄イオン粒子を放出するコマンドだ。これには理由がある。
「よし、ヴェリテ。入力したコマンドを実行しろ」
防御隔壁の展開を確認した主任が命令した。
視点が変わった。実験室を斜めに見下ろすような感じかな。
防御隔壁に阻まれてヴェリテの姿は見えない。
でも、計測機器はしっかり見ていた。
「主任、エネルギー反応があります。重粒子線の発生を確認しました」
「うむうむ。無事に取り出せたな。しかし、重粒子か。扱いが難しいな」
いや、知っていてやったでしょう。電力でも取り出せるのに。
この情報はヴェリテが発掘された遺跡で、同時に発見された思考機械からのものだ。
小惑星連合軍の尋問記録に残されている。
「そうですね。体表から五百ミリ離れた場所に、ヴェリテを中心として鉄イオン線が放出されています」
助手さんがディスプレイを見ながら言った。
「そうだな、非磁性ステンレス鋼で中空の円筒を二本作ってくれ。一端を塞いだ形でな。厚さ十ミリ、直径四十ミリ、長さは二百ミリでいい」
両手でジェスチャーしながら主任が言う。
「何に使うんですか?」
「中枢制御体はかなり精密にエネルギー放出を制御できる。だが、座標の基準があった方がいいようだ。円筒からビーム状に放射すればエネルギーとして使いやすいだろう」
「なるほどです。至急用意させます」
助手さんが実験室を小走りであとにする。
再びヴェリテ視点に戻った。
「ふふふ、ふはははは」
一人、実験室に残った主任が高笑いを始める。
こんなに悪意に満ちた笑顔、僕は今まで見たことがない。
「ヴェリテ、お前の力の一端を見せろ『フブ・アブ・ラー』」
真顔に戻った主任が言う。
何かが僕の中で起こっている。いや、僕じゃない。
ヴェリテに接続されたコアユニット、エトナさんの中で起こっていることだ。
補完機能が働き、何が起きているか分かった。
コアユニットと生体脳を接続するための太いケーブル、これの内部は分子機械で満たされていたのだ。
それが、主任のキーワードに反応して配列を組み替え論理構造を構築する。
演算装置とストレージの組み合わせ、つまりコアユニットの思考に必要なシステムが揃ったのだ。
エトナさんの声にならない悲鳴が響く。
機械知性の自己保存本能が働き、自身をシャットダウンしようとする。
だが、書き換えられた人格オーバーレイがそれを許さない。
エトナさんが衝動的な感覚の嵐に耐えていると主任の声が響く。
「うむ、ラザード博士が残されたこの理論、専用の思考機械を機械知性で代用するメソッドは素晴らしい!」
ラザードは、発掘された思考機械の代わりに、機械知性で代用する案を持っていたのだ。
補完機能が囁き、ラザードがヴェリテ量産に向けて準備を進めていたことを教えてくれた。
あんなものが何体も……背筋が凍る思いって、こんな気持ちなのかな。
エトナさんが晒されている感覚の正体が、おぼろげに見えてきた。
これは飢餓感だ。渇望と言い換えてもいい。
激しい感覚を、そのまま投影するのは危険と判断した補完機能がフィルターをかけているみたいだ。
渇望しているのは、三つの脳が織りなす意識のストリーム。
それを学習したい、取り込みたいという欲求だ。
人間の持つ基本的本能「三大欲求」に少し似ている気がする。
「さあ、ヴェリテ。始めようじゃないか。ラザード博士の意志を継ぐのだ」 ――
悪夢が始まった。




