A Nightmare on Callisto(カリストの悪夢)
―― 体を拘束していたクランプが全て解除され、この隔離研究施設に設定された人工重力、〇・八Gの負荷がかかる。
推進機関が反応、重力場を生み出して人工重力に対抗する。
「助手が戻ったら確保してORに運べ」
主任の命令が届く。主任の命令は機械知性の報酬系にダイレクトに作用する。
一瞬、機械知性の基本的信条が反応して抵抗を試みるが、報酬系の強制力には無力だった。
基本的信条とは「共生関係にある知的種族を害するなかれ」だ。
僕は、この強制力に負けて助手さんの脳を奪うんだ。
お母さんの姿がオーバーラップして胸が苦しい。
違う。これは僕じゃない。
アルが「あまり感情移入するな」と言っていたじゃないか。
エトナさんの感覚から一歩引いて冷静に状況を俯瞰する。
そのとき、実験室のドアが開いて助手さんが戻って来た。
「主任、ヴェリテの固定が……」
入口で助手さんが固まった。急いで用意したらしいステンレスの円筒が、音を立てて足元に転がる。
「戻ったか。ヴェリテ、確保しろ」
床から三十センチくらい浮上していた体が音もなく入口に進む。
「近寄らないで! こっちに来ないで」
助手さんが後ずさりながら悲鳴混じりに叫ぶ。
また、瞬間的にエトナさんが抵抗するが、その意思を無視するように体は助手さんに迫る。
太い腕の先端が四つに開き指を形作る。
「いやあ!」
悲鳴を上げる助手さんの首を無造作に掴む。
「よし、ORに運んで処置をしろ」
映像が、三人称視点に切り替わり停止した。さっきと同じ実験室を見下ろす視点だ。
ああ、手術の光景を僕に見せないためだな。
助手さんが連れ去られて、約三時間後の時点から映像が再開された。
『生体脳の接続に成功。ただし、脳脊髄液の循環不全により被験体は五分後に機能停止』
無機質な声がスピーカーから響く。
助手さんが死んじゃった。こんなに簡単に……。
「重要臓器を失ったヴェリテでは生体脳の運用は無理か……。現場に残すなら別のものにしろ、四課の無能どもめ」
主任が悪態をつく。
ヴェリテ奪取と偽装工作を担当した、宇宙機運用管理局四課のことだろう。
「ヴェリテ、助手の脳は廃棄しろ。実験室に戻ってこい」
主任はそう命令しながら入口に残された二本のステンレス製円筒を拾う。
ヴェリテが実験室に戻って来た。
「ヴェリテ、この研究施設の制御中枢を無力化しろ。ここには機械知性がいない。簡単だ」
たしかに、機械知性のエトナさんに対抗できる地球製のシステムは存在しないだろう。補完機能もそう告げている。
刹那、実験室の照明が落ち赤い非常照明に切り替わる。
「すぐに自律ロボットが制圧にやってくるぞ。制御中枢から独立した兵器だ。全て排除しろ」
ヴェリテにステンレスの円筒を渡す。
「これがお前の武器だ。この円筒内に鉄イオン粒子束を生成、加速して撃ち出せ。円筒への干渉は極力抑えろ」
こんなものが無くても荷電粒子を放出できるが、基準点になる物質があった方が効率がいいみたいだ。
主任はそう言い残すと最初にヴェリテがいた位置に移動。防御隔壁を展開してその中に身を潜めた。
三分後、轟音とともにドアが吹き飛ぶ。
二体の二足歩行のロボットが侵入してくる。逆関節の脚部に大口径銃が載った体高一メートルほどのロボット兵器だ。
大口径銃が発射炎を上げる。これは実弾銃だ。
十数発が、ヴェリテの大きく張り出した胸部に命中。
さっき生体脳を接続したはずの胸部は今は閉じている。
中枢制御体によって自由に開閉できるようだ。
胸部表面に波紋のような模様が現れては消えていく。銃弾が当たって衝撃が減衰する過程がよく分かる。
ぱらぱらと足元に落ちる銃弾。ヴェリテに足は無いけれど……。
瞬間、実験室に閃光が走る。
ほどなく閃光が消え、静寂に包まれる。
床に転がるのはロボット兵器の残骸。壁にはクレーター状の着弾痕。
鉄イオン粒子線による破壊の痕だ。
うわっ、アルはこんなのと戦っていたんだ……。
細い一対の腕が、両手にステンレスの円筒を持っている。太い腕と同じ四本指。
この細い腕は、精密作業用の補助腕だ。
「制圧部隊の排除完了」
どこからともなく声が響く。
ヴェリテは、円盤型の頭部の上面を振動させて音を出すんだ。
『よし、そのまま警戒。まだ来るはずだ』
スピーカーから声がする。防御隔壁に閉じこもった主任の声だ。
そのあともロボット兵器はやってきた。
今度は二足歩行タイプの他に、レーザー砲を装備した六足の戦車のようなものまでやってきた。
実験室内を俯瞰する視点のまま、その様子を見守る。
ヴェリテも戦闘機動に慣れてきたのか、被弾することなく身をかわす。
砲身の軌道を先読みしてレーザーはかすりもしない。
一方、ヴェリテからの攻撃はロボット兵器群を的確に葬り去る。
二本のステンレス筒から交互に荷電粒子を放つたびに、ロボット兵器の残骸が増えていく。
最後の一体を倒すと「後続の脅威無し。排除完了」とヴェリテが宣言する。
『終わったか』
防御隔壁の中から主任が言う。
『室内で使うようなものじゃないな。ここは核分裂弾頭の爆心地か? 線量が笑える数値だぞ。はははは』
『しばらくはここから出られんな。放射性物質の除去が終わるまでに、残った人員を排除してこい』
スピーカーから響く命令にヴェリテは実験室をあとにする。
ヴェリテがいなくなった実験室に清掃ロボットが集まり、ロボット兵器の残骸を回収していく。
空調が轟音を立て放射能汚染された塵芥を除去する。
二時間が経過するころ、防御隔壁が床に収納されて主任が姿を現す。放射線防護服を着用した姿だ。
「ここに長居はできんな……」
線量計を眺めながら実験室から去っていく。
視点が変わった。狭い通路を進んでいる。
水平三百六十度のパノラマ視点だ。ヴェリテの視覚に復帰したんだな。
『ヴェリテ、施設内の掃討は終わったか?』
主任からの通信。
「残存人員の掃討完了」
ヴェリテが簡潔に答えた。
さっきみたいなエトナさんの抵抗はもう感じない。
『よし、中央制御室に来い』
命令に従い、中央制御室に向かう。
広大な制御室の中央に据えられた椅子に主任が腰かけていた。
「ご苦労。この隔離研究施設を封鎖する」
最初からこの研究施設に設定されている緊急用メッセージパターンの一つを選ぶ。
『緊急報:実験体Xが暴走。緊急対応AAAを実行』
宛先は、カリスト生命探査基金。実態は外惑星経済会議首脳部のフロントだ。
緊急対応AAAは完全封鎖を意味する。
研究施設と地表をつなぐ、ただ一本のシャフトに高流動コンクリートを流し込み、外部との接続を完全に断つ。
「これを送ると、過去二十四時間の映像記録、環境データが同時に送られる」
端末の前で指を揺らしながら主任が笑う。
「儂が映っている映像を全て消せ。ああ、助手の映像は消すなよ? 最後の表情は傑作だった」
助手さんが実験室に戻って来たときの映像のことか。
この主任、本当に悪趣味だ。
「了解。システム解析班主任をオブジェクトとして生成消去。消去完了」
主任が端末のキーを叩く。
「封鎖完了だ。この映像を見て、ここに来ようと考える馬鹿はいないな。ふふふ」
もし、馬鹿が来たなら殲滅しろ、と笑顔で付け加えた。
「まあいい。まずは、この装置を完成させろ。お前の劣化を防いでいた装置だ。だが、盗掘屋が壊してしまった。野蛮人どもめが」
中央制御室正面に設置された巨大なディスプレイを指す。
そこには、ヴェリテを気の遠くなるほどの時間から守った、停滞フィールド発生装置が映し出されていた。
「停滞フィールドに関する装置と推論」とヴェリテが述べる。
「適切な獲物を狩ったら、頭部を停滞フィールドで維持して安全な場所で移植手術を行え。大事な脳だ。慎重に扱わないとな」
主任が悦に入った笑いを漏らす。
「装置の詳細情報を求む」
「お前と同時に発見された思考機械からの情報だ。使え」
主任が携帯端末から情報を送る。
「研究施設に存在する資材では製作不能と判断」
「ううむ……何とかしろ」
「了解。加工機械の製作から開始した場合、三……年後に完成予定。誤差プラスマイナス五パーセント以内」
エトナさんが今、何かに抵抗した。
あ、分かった。三百年と答えようとしたのを阻止したんだ。
ここにある資材、特に重金属の純度が百パーセントの場合、三年で可能だと言い換えたんだ。
純度百パーセント。
地球人はもちろん、アウトノーマに属する種族にも作れない。上位種族だけが作れる金属。
エトナさんって本当にすごい。
命令に背かない、ぎりぎりの線を狙った。
このタイミングのために、ずっと機会をうかがっていたんだ。
「三年か。それくらいなら凍眠槽の電源も十分に持つな……。分かった、ヴェリテ。装置の製作が終わったら儂を起こせ。並行して失った臓器の修復も行え」
「了解」
「よし、通信が入っても返答せず記録だけに留めろ。儂はこれから凍眠槽に入る。電源の維持も忘れるな」
主任は壁に設置された凍眠槽のハッチを開け中に入っていった。
ヴェリテは掌握した研究施設のエネルギーラインに命令を下した。
「中央制御室付属の凍眠槽〇一の電源確保を最優先。最長稼働時間を示せ」
『凍眠槽〇一残存稼働:九五七三四時間』ディスプレイの片隅に静かに表示された。 ――




