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もめごとのはなし

少年は自分の体が思っていた以上に弱っていたという現実と直面させられていた。何しろ寝ると三日は寝入り、起きている間も立ち上がって動くことを禁じられて、なかなか流動食よりも固形の食事を与えられない現実を見れば明らかだろう。


「おじょうちゃん、死にかけの体でも王様に拾われて本当に幸運だねえ、おまけに王様はかなりまめじゃないか」


「そうなの」


「おじょうちゃんが寝ている間に、よく様子を見に来るんだよ。お医者様の診察の時も、来てくれているだろう?」


「うん」


体をあれこれいじくり回して調べられる、あれはお医者様だったのか。お医者様と縁がなさすぎた少年はそこで、あの白衣の相手に対しての苦手意識を少し減らそうと思った。

お医者様は国の後継者たちがかかるもので、自分は聖水を頭から浴びせられてそれで終了、ということも多かった。

死にたくないと願った心と体が、少年の体を異常な速さで回復させていたことなど、ここの誰も知らない過去のことだ。

少年自身も、あれをどうやったら再現できるのかわからないのだから、誰も理屈などわかるはずがない。

面倒を見てくれる女性は魔のものどもの一人で、リリアと名乗った。もっと長い名前があるそうだが、長い名前は公式行事で名乗らされるぐらいなのだと教えられた。

魔のものどもはだいたい皆そうなのだという。長い正式名称と、略称があるそうだ。

そのリリアが言うに、魔の国の王はとても頻繁に少年の様子を見に来ていたらしい。だが少年はいつもその時寝ていて、自分では会っていないように思っていた。

めったに会いにこないのだと思っていたら、すれ違いだった。

そうだと聞くだけでも心のどこかが落ち着いた。裏切られたわけでも約束を破られたわけでもなくて、すれ違ってしまうのはしかたがない。

お医者様の診察が終わると、魔の国の王はお医者様と今後のことを話し合うらしい。どれくらいの速度で体調を回復させるかといったことは、リリアから聞いても少年には小難しくてわからない。

しかし、この一ヶ月、それだけ丁寧に治療された肉体は、立ち上がって歩いて、部屋の外にリリアを連れて少しだけ散歩できるまでに回復したのだ。

人間ってのは弱っちい体だから、一層気をつけて治療したんだよ、とリリアが言っていた。

彼女に少年を傷つける意思がないのは明らかで、それがしたいならもうとっくに少年は息をしていないはずという認識があったので、少年はとりあえずリリアは自分を害さないらしい、程度の判断はしていた。

誰がどう裏切るのかなんてもうわからない。だが今のところリリアにその意志はない。

その程度の儚い認識だが、持っていないよりはましなのであろう。


その日も、少年は部屋の外の空気を吸ったほうがいいというお医者様の言葉があったことで、リリアが部屋の外に連れ出してくれていた。

少年の体は小さくて細くて、リリアが簡単に持ち上げられるほどだったから、もしも疲れて動けなくなったらリリアが部屋に運んだだろう。

それでも、歩いて外を見るのは、気が楽になることだった。

少しずつ役に立てない状態からましになっていく。それがうれしかったのだ。

まだ魔の国の王は少年を使う気がない様子だが、そのうち使う気になるかもしれない。その時に動けなくて役に立たないというのは考えたくもなかった。

そんな少年が外の喧騒に目をやり、訓練場という場所の前まで来た時だ。


「リリアさん! こんな所でもあえて良かった! 今どうしてもお話しなくちゃいけないことがあって!」


少年がそろそろ疲れてきたから部屋に引き返そうか、と考えていた時に、勢いよく走ってきたのは、若い女性だった。リリアと揃いの衣装を着ているから、誰かを介抱する仕事をしている女性なのかもしれない。揃いの衣装は所属を表すことくらいは、人間の世界でも同じだった。


「レイミアさん、私は今もお仕事中で」


「本当にちょっとだけなんですよ、お願いします!! このとおり!」


女性は本当に困り果てた様子だった。リリアもその様子からそれなりに急ぎの用事だとは伝わっているようだが、ここには少年がまだいるわけで、少年の面倒を見る仕事が彼女にはあった。

だがレイミアは泣き出しそうなくらいに切羽詰まった調子だ。そんなのは少年の空気も顔色も読まない頭でも感じられたから、少年はこういった。


「リリアおねえさん、そこで日向ぼっこしておやすみしてるから、大丈夫」


「でも」


「日向はあったかいねえ、ちょっと疲れちゃったけどまだお外にいたいなあ」


「……」


リリアはかなり逡巡していた。だがレイミアは天の助けだと言わんばかりの態度で彼女の服の袖を引っ張っている。


「おじょうちゃん、五分だけお休みしててちょうだい! 本当に五分で戻ってくるから!」


「うん、五分も日向ぼっこなんてすてき」


少年はあまり顔に出ない笑顔を見せた。一生懸命に口角を上げると、リリアがホッとしたのが伝わってきて、レイミアとリリアが駆け足で何処かに去っていった。

少年はそれを見送り、訓練場の木製の椅子によじ登った。砂漠の世界の日差しは強く、街という街に微弱な日差しを遮る結界が張られているのは、前の人生で知ったことだ。

それでも慣れないと体調を崩すくらいで、だが一ヶ月、寝ていても砂漠に居た少年は、ほんの僅かにその日差しに慣れだしていた。


「あったかくてすてき」


少年はそんなことを言っていたが、訓練場の喧騒はなかなかに騒々しく、寝入ることは出来ない。

そのためぼんやりと、訓練をしている、まだまだ子どもの年齢の訓練者達を見ていた時だった。


「へっぴり腰だなあ」


ついそんな感想が口からこぼれたのだ。仕方がない。少年はあの年齢の見た目の時、もっと容赦なく戦い方を文字通り叩き込まれていた。

血を吐いても、腕が動かなくなりそうでも。立っているのがやっとの状態でも。

魔のものどもは待ってくれない、弱った時を狙ってくる、と言って、誰も彼もが休む時間を与えてはくれなかった。

そんなことを思い出して、少年は誰も聞いていないだろうと思いながら言う。


「よわそうだなあ」


少年は魔のものどもの耳の良さを知らなかった。知る必要がないこととされていた知識を、寝込むばかりの少年が身につけられるわけもなかった。

ゆえに、少年の暴言にも似た言葉がまるまる聞かれたことなど、思いもしないものだった。


「おいお前!!」


五分だったのにまだ戻らない、お話が長引いているのかも、となんとなく体内時計で思っていた少年に投げつけられたのは、怒りの声だった。


「お前ってぼくのこと?」


「そうだ! さっきから失礼なことばっかり言うニンゲンだな! そんなに自分の強さに自信があるなら、僕たちとしあいをしろ!」


「……」


何を言われているんだろうと思った少年であるが、いつの間にか腕を掴まれて訓練場の一角に引きずり出されている。周りの視線はいいものではない。

そもそもニンゲンのことが彼らは嫌いなのかもしれない。長く続く争いは人間を魔のものども嫌いにしたし、魔のものどもも同じような考えになっているのかもしれなかった。

ニンゲンめ、と言われて殺気をぶつけられたことなど、前の人生の日常だ。

それにしてもしあいとは。

少年はそれをいやだなと思ったが、周りを似たような年齢の魔のものどもに囲まれて、そして彼等を教育する大人も見ないふりをしているという状況では、とても逃げ出せそうではない。


「剣を取れ! 僕はへっぴり腰でも弱そうでもない! 同じ年頃なら一番だ!」


一人が大声で言う。そして投げ渡されたのは。


「切れる刃物でいいの」


「なんだニンゲン、口の割に怖がりなのか!」


「……」


投げ渡されたのは刃を潰された訓練用の剣などではなくて、きちんと切れる剣だった。子供用の大きさでもそれは十分に凶器になる。

それを渡されたということは、相手には少年を切る意思があるということなのだろう。

よく切れる刃物を渡して、しあいだといって、切るつもりがないなんていうのは頭が悪すぎる。

少年はよくよくその剣を眺めた。眺めて握った。体がまだ最初に剣を握ったときよりも小さいのか、体感として少し重い。細かい調整はできそうにもない。


「よし、剣を握ったならしあいに同意したってことだな! リチャード合図だ!」


「心得た」


魔のものどもの訓練者達がしあいのための空間を作る。少年は剣を見下ろしていた顔を上げた。


「死ぬのは嫌だなあ」


独り言のように言葉が漏れる。理由は簡単だ。まだ魔の国の王に、ありがとうすら言えていない。

死にたくないなら。

切るしかない。



少年はしあいの開始の声が上がった瞬間に、剣を落とさないようにガッチリと握りしめて、一気に相手へ距離を詰めた。

弱々しいニンゲンがそれだけの速度で近付くなんて思いもしなかったのだろう。相手の顔が驚きに染まる。そして染まったまま、どうと相手は首から血を流して倒れた。

すべてが瞬間のことで、目の良い魔のものどもでも何が起きたのか現実を理解できないくらいだった。


「……切り落とせないか」


その中で、返り血を浴びることすらない少年は、今の自分ではこれが限界かと正確に自分の戦力を判断していた。

小さな剣はそれでも重たい。重たくてうまく振るえない。本当だったら今ので首を切り落とせていた。

だがそれも今の体ではできないらしい。

少年は周りの沈黙が異様だと感じることもしないで、自分の体を正確に掴み取ろうとした。

それは勇者だった頃、絶対に必要な感覚だったこともあり、深く考えなくとも少年はそちらに思考が傾いた。


「良くもマックスを!」


怒鳴ったのは誰か。わからない。でも切れる刃物を持って襲いかかってきたのは事実で、その事実があるからこそ少年は間合いを詰めてまた首を切った。

最低限の動きで最大の攻撃を。そうしなければ体力が尽きてしまうから。

怒鳴り声は広がっていく。悲鳴も同じだ。そういえば。


「死体、残るんだ。死んでないからまだあるんだね」


死ねば死体を残さないという魔のものどもなのに、首を切っても体が残っている。よかった、殺してないみたいだ。

少年はその考えで少しばかり罪悪感を薄れさせ、わらわらと襲いかかってくる連中の距離を測っていた。

その時だ。




「そこまでだ。何をしている」


「王!」


「王! このニンゲンが!」


厳しい圧のある声が響き渡り、誰もが絶対的強者が現れたことに安堵している様子だった。

少年はそのため、振り返った。


「ああ、ラシッドお兄さん。どうしたの」


「どうしたのではない。連れてきた人間が民を襲っているという騒ぎを城の中で聞く羽目になったのだぞ」


「しあいをしたんだよ」


「試合でこんなことになるのか」


少年は変なことを言われてる気分になった。そのため言い返した。


「切れる刃物を渡してきて、しあいっていったんだよ。しあいって、」



ころしあいでしょ? 



またおかしな空気になった。誰もが息を呑んでいる。少年の言葉がおかしいと言わんばかりの態度だ。


「ぼく、剣を横取りしてやったんじゃないよ。そっちが、ころしあいだっていって、よく切れる刃物を渡してきたのに」


しあいとはころしあいの略称だ、と少年は前の人生で言い聞かされていた。隙を見せれば殺されるのだから、殺される前に無力化させろ。一撃がいいと。

だから何がおかしいのだと訴えているのに、誰も彼もが凍った顔で少年を見ている。治療する魔のもの以外。


「試合とは殺し合いではない」


「え?」


「試合とは優劣を決める勝負だ。……お前は間違いを教えられて育ってきたのだな」


沈黙の後の、魔の国の王の言葉は憐れんだものだった。少年は自分の知っていることが大違いらしいと流石にそこで気づいた。


「ぼく、やっちゃいけないことをしたの?」


「そうだ。あやうく死人が出るところだった」


「……」


そこで少年は握りしめていた剣を放り捨てた。自分の汚れてすらいない両手をじっと見る。

また間違えたのか。

それもとんでもない間違いを。


「……ごめんなさい」


「幸いまだ死人は出ていない。そして」


魔の国の王は訓練者達をみやった。


「試合だと言いながら切れる刃物を渡した方にも責はあるだろう。だがお前はやりすぎた」


「……はい」


しあいが殺し合いのことでないならば、殺す一撃を放ってはいけないことくらいは、少年でも理解が追いつくことだった。

それゆえやりすぎたと言われたら、素直にそうなのだろうと思う程度にはまだ素直だった。


「そちらの馬鹿者共にはしかるべき処分が下るが、お前の方にも何も処分がないことを、馬鹿者どもの親は納得しないだろうな」


王の圧に誰も言い返せない。それは彼等に、弱々しい人間の子供が口にしたことを聞いて腹を立て、試合だと言ってそのまま大怪我をさせてやろう、運が悪かったことにして殺してやろうという思いがあったからだ。

彼等の監督責任者もそれは同じだ。当たりどころが悪かった人間は死んでしまった、ということにして処理しようと思った部分はたしかにある。

だがそんな彼等の内心など、王の前には明らかなだけだ。

ゆえに然るべき処分が下されるのだ。

だが身を守るためとは言え、相手に瀕死の重傷を追わせた少年が全く処分されないというのは、彼等の親が納得できない。子供が殺されかけたというのに、相手に何もないというのは、いくら子供が仕掛けたことでも納得がいかない。

ゆえに。


「お前がもうやりすぎないように、この王が物理的に戦う力を奪ってやろう」


「ぼくがやりすぎないように?」


「そうだ。お前は戦えば十分で」


王の言葉を聞いた訓練者達はその言葉の続きを聞いてぞっとした。


「腕も足も落ちる呪いだ。もうお前は戦う力などない」


そんなものを受け入れるわけがないと訓練者も責任者も思った。思ったというのに。


「ひとごろし、しなくていいの?」


「そうだ。受け入れるか」


「うん」


少年は、うれしそうに。とても嬉しそうに。



頷いた。その瞬間に少年の腕にも足にも、魔の国の王の呪いが印となって刻み込まれる。

それは魔の国のものならば、感じ取っただけで戦意を喪失する力でもある。

これより少年は、魔のものどもの何者からも、危害を加えていい存在ではなくなったのだ。

だがそれは間違いなく罰だった。戦えば、抗えば、手足を失う。そんな呪いが罰でないわけもなかったのだった。

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