めをさましたはなし
「あれえ、ここどこ? ラシッドお兄さーん」
目が覚めた。気づくと知らない場所だった。そんなことは少年の人生の中では数え上げたらキリがないほど体験していることだった。
死にかけて、悪態をつかれながらどこかに運び込まれて、最低限の治療を受けさせられて、そしてまた戦いに出される。
それが少年にとって長く慣れ親しんだ人生であり、二度と繰り返したくない程度には嫌な行為でもある。
少年はしばし天井を見上げた後に体を起き上がらせた。体がひどく痛むのにも慣れているから大丈夫。窓の外の世界は知っているものと大違いで、乾いた砂漠の世界のようにも思える。
ここはどこだろう。知っている、覚えている国の風景と何から何まで違う。違いすぎて目が回りそうだった。
ちなみに少年にとって勇者としての旅の中での風景は、ほぼ思い出せない光景でしかない。
だいたい周りの風景など楽しむこともなく魔のものを屠っていたせいか、血みどろの感覚しか思い出せなかった。
それゆえどこを見てももう、だいたいが見知らぬ風景と言うことなのだが。
「ラシッドお兄さん、お兄さん。ぼく、まただめだった? ちゃんとするから、うまくやるから、ねえ」
ここに連れて来てくれたのだろう相手の名前を呼んでも応えがない。
応えがない。一晩の相手にもならないと思い直されたのだろうか。それっぱかりの役にも立たないと?
目が回りながらも、少年は必死に口を動かした。部屋に誰も居ないことが不安を誘う。彼は買うと言ったはいいものの、あまりにも骨と皮の子供に興が乗らずに、しかし放り出すほどの冷酷にもなれずに、ここに捨て置いているのかもしれない。
自分はたった一度、一目惚れをした相手と一晩だけ、それすら叶わないでまた捨てられているのか。
少年の頭に浮かんだのはそんなことで、まだ少年は自分の体の年齢と精神の年齢が一致していない現実と向かい合っていなかった。
少年は自分のことをそれなりの大人のように思っているのだ。未成年ではないと。
だが体はまだまだ幼いものなのだ。そして肉体の年齢に精神は引きずられやすい。
だがそれはまだ体と精神がうまく折り合いをつけていないからと言うだけで、時間が少し立てば多少は折り合いがつくはずのことだった。
しかしそれには精神的な余裕というものがどうしたって必要だ。
「ラシッドお兄さん、ねえ、どこ? お兄さん」
少年はじたばたともがきながら起き上がり、起き上がって今度は寝台の上から盛大に体勢を崩して転がり落ち、それでもまた起き上がり、うわ言のようにそう呼んだ。
いらえはない。
まただめだったんだ。だめ、だめ、だめ、あれもこれもなにもかもがみんなだめ、ぼくはひとごろしのやくたたずのどうぐ
そう考えると泣きそうになる。涙なんてなんにもならない。目から液体がこぼれるだけ。心も体も楽にもならないし誰かに同情もしてもらえない。
そんなのは今までの人生でよく分かっているのに、目からどんどんと液体が溢れ出しそうになった時だ。
「だめだよおじょうちゃん、その死にかけているような体で起き上がっちゃあ」
不意に年上の女性の声が響いて、おじょうちゃんていうのは誰のことだろうと思うまもなく、少年は軽々と扉を開けて入ってきた若い女性に持ち上げられて、寝台の上に寝かされた。
とても手際が良い、つまりこういう人間の世話に慣れているのだ。専門職かもしれない。
国の後継者たちは小さな怪我一つで大きく騒ぎ、専門職を呼びつけていたことをぼんやりと思い出した。
そういった人かもしれない。
「おじょうちゃん、元々弱っていたのに、砂漠の暑さでまた具合を悪くしてずっと寝込んでたんだ。王様が特別いい部屋に入れてくれたんだ、じっとして休んでなくちゃだめだよ」
「ぼくおじょうちゃんじゃない」
「男にあるものがついていないんだからおじょうちゃん、だろうが。まったく、そういうことも教えられていない子供を拾ってくるなんて、王様も人が良すぎるね。聞けばあんた、緑の国の都をふらふら彷徨っていたっていうじゃないか」
「……?」
女性の言っている言葉の意味がわからない。男にあるものがついていない。……ついてない?
少年はそれを聞いて自分の下半身を探った。自身の記憶の中ではぶら下がっていたものが、役に立つわけがないと勇者の仕事が終わった後に切り落とされたものが、ついていた形跡すらない。
「あれえ」
なんでないの。どうしてないの。いいやそもそも自分はついていない側だった? いいやそれなら、
『男なのも腹立たしい、女ならば妾にでもできるというのに』
そう言われなかったはずだ。そしてもっとひどい目に合わされていたと思う。
勇者として魔の国の王を倒して国に戻った後に、閉じ込められる前に聞かされた暴言を少年は思い出す。
ということは自分は女の子じゃなかったはずなのだ。なのに傷一つないつるりとした肌の下半身。
なんでついてないんだろう。わからない。
だが少年は考えても無駄なことがこの世に多くある現実を知っていた。自分が勇者というものだったことも含めての話だ。
それに関してはいくら考えてもまともな答えなど出てこないことで、どんなに運命を呪ってもどうにもならない話だった。そう現実を知っていたからこそ、少年はこの問題を脇に置くことを選べた。
「ねえねえおねえさん、ラシッドお兄さんはどこ? ぼく、買ってもらったんだからちゃんとしなくちゃ」
「王様はお忙しいんだよ。ただあんたのことはとーっても気にかけているご様子だった。って、買ってもらったってねえ、あんた。奴隷の印も消そうってやってんのに、そんなこと言っちゃだめだよ」
「どれいのしるし」
「おでこにあるだろう、あんた小ちゃい頃に刻まれたみたいだねえ。印がとっても馴染んでる」
指で示されても額のことなので自分では見えない。触ってみてもよくわからなかった。
「わかんない」
「そっかそっか、悪いことなんて覚えてなくてもいいこともいっぱいあるからね。さて、あんたはもっと休んで、ご飯を食べて、元気になるのが一番最初に必要なお仕事だよ! ゲルダばあさまとジルダばあさまのお二人そろって、そうしなきゃだめだっていってんだから」
知らない名前が二つ出てきた。だがそれ以上に気になったのは。
「ラシッドお兄さんは?」
「あんたの目が覚めたら伝えてほしいって言っていたよ。やっぱり拾った相手は敵である人間でも、気にかけるんだねえあの人は。犬猫でも気にかけているんだからそりゃそうか」
少年はそれらの言葉から、やっと魔の国の王が自分をここに置いていること、そして体力が回復するまで大したことをしなくていいと考えている様子だということを理解はした。
つまりは
「前払い制なのかなあ」
「あんたみたいなちっこいのがそんな言葉どこで覚えたんだい。緑の国は豊かだって聞くけれど、そんなことを言う子供がいる時点でろくでもないね」
起きたら次は食事だよ、持ってくるまで起きていてちょうだい、と言われた少年は素直に従い、口元にさじを突っ込まれるという介抱をされながら、ドロドロに煮込まれた流動食を口にしたのだった。
流動食はそれでも美味しかった。今まで食べた食事のどれよりもまともな気がした。




