おわってはじまったはなし
何年も何年もそんな暮らしを続けていて、魔のものどもよりひとを殺した数のほうが絶対に多くなっていた。
少年は陽の光を浴びない世界に長くいることからか、徐々に衰弱し、暗闇の中寝転ぶ時間のほうが圧倒的に座る時間より多くなっていた。
しかし少年に課せられる命令は常に過酷で、少年はそれに反抗する力などどこにも残されていなかった。
他国も少年のことは知っていただろう。あまりにも残虐な力を行使する少年を脅威とみなしていたかもしれないが、それを認めることは勇者以上の力の何者かの存在を認めることであり、それは出来なかったのだろう。
勇者の名誉を受けている国の王子様よりも強かったら、それは勇者への疑問を数多の人間に与えることになり、王権への疑問につながるからだ。
それでも少年を殺せないのは使い勝手がいいから。他国への無言の牽制になるから。自国に有利だから。
少年は人間としての扱いなど受けず、ただただ、都合の良い道具扱いだった。
「……」
その時も少年は寝転んでいた。もう起き上がることも満足にできないほど弱りきっている少年は、それでも陽の光のもと安らかになることなど許されていなかった。
自分の体から命が抜け出していっていることもわかっていた。終わりがもうじき来るんだろう。
それなら早いほうが良かった。この時間を終わらせてくれるならなんだって。もう少年はくたびれ果てて疲れ果てていたのだ。
命への執着も亡くなるほどに擦り切れていて、あれだけ生きたいと願った執着ももはやない。
終わりだけを望んだ少年は、その時幻覚を見ていた。命尽きる間際に見る、まぼろしだった。
「おとうさん、おかあさん」
兵士はそのつぶやきを聞いていた。ああ、このばけものもついに終わるのだと兵士は判断した。だから急ぎ、その時が来た際に呼ぶようにと言われていた魔術師達を呼ぶべく席をたった。
このばけものは死しても使えるように処置しなければならなかったのだ。それだけこの国がこのばけものに頼っているのが現実だが、それくらいこのばけものが国にとって有益なのも事実だった。
だから兵士は急いだのだ。ゆえに。
その少年の終わりに何が起きたのか、誰も見ることはなかったのだ。
少年が息を引き取ったその瞬間に、ふわりと白い光が現れて少年を包み込み、少年の亡骸が跡形もなく消え去るときなど、誰も見届けていなかったのだった。
目の前が揺れた。揺れて、少年は目を瞬かせた。ここがどこだろう? なんて笑える話はないだろう。少年はそこに見覚えなどありすぎた。
自分の運命が決定するあの時に見ていた場所だ。大人たちが、聖域と言っていた場所。
なんだかよくわからない感覚が、少年を呼び続けていた場所だ。そしてそこにはぴかぴかの剣が刺さっている。
あれを抜いたら。
あれを抜いたら、何かが変わると分かっていた。
今はもう、それを抜いた後どうなるのかも知っている。
少年は自分の手のひらを眺めた。記憶の中よりも自分の手の大きさは小さくて丸くて、子供だった。
痩せこけて骨が浮いていて、それでも。見覚えのある戦わされていた大人の手ではなかったのだ。
「……」
少年はじっと剣を見つめた。存在などしない、親しい友達のように語りかけてくるような気がするその剣を、もう、少年は信じられるものだとは思っていなかった。
じっと見つめて見つめて、少年は何事もなかったように踵を返した。呼ばれていたことなど嘘っぱちのように。ここに入り込んでしまったのがなにかの間違いのように。
運命に流されるまま進んでいた少年は、この時初めて、自分の考えだけで、一つの道を選んだのだった。
「この浮浪児、どこから入り込んだ」
「あっち」
「そっちならどぶか水路か? まったく、変な所から入り込むんじゃない!」
建物の中をふらふらと歩いていれば簡単に、不審な子どもとして扱われた。あの剣のきらめきがなければ、少年はそんな身なりでしかない。
兵士は少年の身なりの汚さと臭さに顔を歪めながらも、襟首を掴んで持ち上げ、外に容赦なく放り出した。放り出された体が痛いけれども、放り出されたのは陽の光の当たるお外なのだ。
それだけでもう、少年にとっては救いが見えてくる気がしていた。
空腹だ。少年の口は動いた。
「おなかがすいた」
「……ならこれをやる、だからもう潜り込んでくるんじゃないぞ、ちびすけ」
「うん、ありがとう。お兄ちゃんに神様の祝福があらんことを」
放り出した兵士に訴えると、兵士は人間の心がどこかにあったのか、懐から取り出された干からびたパンを差し出してきた。携帯食の乾パンが更に干からびた感じで、処分にじつは困っていたのだろうと内心で判断できるものだったが、食べられるならなんだってましだ。
少年はそれをかじってかじって、誰かに奪われる前に腹の中に納めた。
「……」
これからどこに行こう。少年はそんな事を考えた。そもそも少年がここにやってきた最初の経緯としては、荷物持ちとして親戚が連れてきたからで、途中空腹でまともに動けなくなった少年を、親戚は使い物にもならないのだとのっぱらの道に捨て置き、捨て置かれたところで奴隷商人に拾われたのだ。
奴隷商人も拾ってからまともな値段のつかなさそうな子供に舌打ちし、食わせる方が儲けにならないと言って、少年をまた捨てた。捨てられたのが街のほど近い場所だったから、街まで歩いて入ってきたのだ。
誰からも捨てられた身の上だったからこそ、少年は勝手に聖域なんかに入り込めたわけだったのだ。誰かの目があったらそんな真似はできなかっただろう。
少年はふらふらとありふれた身寄りのないぼろを身にまとう子供として街を歩いた。まともに自分の心の行くままに歩くなんて、どれくらいぶりだろう。
使えそうな道具扱いの長かった子供にとって、本当に久しぶりの感覚だった。
色んなものを眺められる。色んなところで足を止められる。
そして気づくのだ。魔のものどもと争っている今の方が、人々の顔が穏やかだという真実に。
それが何を意味するのか、少年にはわからない。
ただ。
少年はよそ見をしながら歩いていたから、目の前のものにぶつかったのだ。
どん、とぶつかり、少年は尻餅をついた。まだ空腹だ、慢性的な空腹のせいか、目の前がぐらぐらと揺れたりふらついたりする。
ぐるぐるまわる視界に気持ちの悪さを覚えながらも、少年はこれで前を向いた。
前を向いて、ぶつかった相手を見上げたのだ。そしてしばし固まった。
「……」
何故ならば少年は目の前の相手を知っていた。人格とか功績とかそんなものは知らなかったが知っていた。
そのためとても驚いたのだが、ぼんやりとした顔の少年の表情に、その驚きはほぼ出てこなかった。
少年は何も考えなかった。考えなかったからとんでもない言葉を唱えた。
「格好いいお兄さん、ぼくの事、買ってくれない?」
記憶正しくそうなら、魔の王であろう男が、さすがにこの発言には仰天したのか、目を丸くしていた。
だがこんなことを言ってくる浮浪児に似た身なりの人間など、実はいくらでもいるものだ。
何もかもを失った人間が、最後に持っているのは自分自身だけというわけで、自分自身を切り売りしてその日暮らしをすることなどたいして珍しい話でもなんでもない。
それと同じだった。そして少年は、本当に素直にそう思ったのだ。
この格好いいお兄さんに、一晩買ってもらえないかな、と。
あの魔の国の城で。あの魔の国での戦いの中で。
少年は、魔の国の王に一目惚れをして、国を豊かにしたいのだ、民を飢えさせたくないのだと言う思いで突き進んだ心を知って、あの頃たった一度だけ恋をしたのだ。
それも自分で終わらせる恋だ。少年は正しく勇者で魔の王を倒したのだから。
触れ合ったのは最後に、死にゆく魔の国の王の手を握ったときだけ。相手からすれば屈辱だったかもしれない。
そんな話はさておき、少年は彼がどういう反応をするのかと見ていた。ぼんやり顔で見ていた。
そもそも誰かめぼしい相手に声をかけることなどおかしくないし、怪しまれもしないことで、少年は正しく怪しまれない発言だった。
ちょっと相手を選び間違えたんだな、と外野からは思われたかもしれないが。
「……」
こんな痩せこけた相手に言われることは思わなかったのか。それとも自分にそんな価値が未だあると過信していると呆れられたのか。
魔の国の王は何も言わなかったが、不意にその視線が、少年の手の甲に向いていることに気付いた。
「あ、火傷が気に入らないなら、その分やすくしていいよ」
少年はそう言って手の甲を見せた。それは親戚の家で、やっとありつけた灰の中で焼いたパンを、馬鹿にされながら竈の中に投じられた時に、あまりの空腹だったから必死に灰をかいて、取り戻した時に出来た火傷の痕だった。
引き攣れて紫色に変わったそれは、とても変な模様にも似ている。なんの模様かは知らないが。
「……なるほどな」
魔の国の王はなにか思案した様子だったが、ひょいと少年を持ち上げた。そこで初めて視線が合うほど、身長差は歴然としている。そもそもまだまだ小さな少年と、それなりの年齢の魔の国の王の背丈が並ぶことなどありえない。
「その度胸が気に入った。お前の人生を買ってやろう」
「ひと一人分の人生を保証するってすごーい」
「大した心臓だなお前は」
少年が心底感心すると、魔の国の王は呆れたように、それとも感心したように言い、少年を抱き上げたまま歩き出した。
「……どこで何をしていたのだお前は。買ってもらいたいならもっと身なりに気を使え」
「お腹が空いたからいっぱいがんばった」
「……そうか」
抱き上げたからこそ感じる臭さなのだろうそれに、わずかばかり眉をひそめた魔の国の王だが、少年はとりあえずの食事の心配はない気がしたので気が抜けていた。
「お兄さんお名前は? ぼくはねえ、忘れちゃった。昔はお名前あったんだけど、もう呼ばれなくなって」
「ラシッド」
「ラシッドお兄さん。素敵なお名前だ」
そんなことを言う間に眠気が襲ってきた。少年は魔の国の王、ラシッドの肩に額を預けて、そのまま寝入ってしまったのだった。




