009・恩返し(※マルティーナ視点)
今話はマルティーナ視点です。
どうかお楽しみ下さいね。
(……行ってしまいましたか)
遠ざかる黒髪の少年の背を、私は見つめます。
彼の名は、エト・アルモラン。
先日まで祖父と共に山奥で暮らしていたという14歳の不思議な少年でした。
「お兄様……」
私の隣で、娘のレイナが心配そうに呟きます。
(……ふふっ)
内心苦笑し、そんな娘の髪を撫でました。
普段、人見知りなレイナの変化に、けれど、仕方のない事だろうと母親としても思います。
(まさに、物語の英雄みたいでしたものね)
魔狩人としての仕事の帰路、私たちの乗る馬車は不運にも『森林狼』の群れに襲われてしまいました。
対処できるのは私1人で。
そして、数の多さに不覚を取り、レイナを攫われかけたのです。
血の気が引きました。
泣き叫ぶ大切な1人娘が目の前で連れ去られ、手が届かなくなる絶望感――目の前が暗くなる中、一筋の光が天から落ちたのです。
それは、レイナを攫う魔物の頭部を貫きました。
(――え)
驚く間にも、私の周囲の魔物たちも次々に天からの光に射抜かれて、絶命していくのです。
そして、私は見ました。
丘の上から、その光を放つ黒髪の少年を。
――それが、エト君でした。
その光景は、私の胸深くに突き刺さり、今も忘れることはできません。
きっと、レイナも同じでしょう。
何より彼は、娘のため、高価な『万能薬』を当たり前のように使ってくださいました。
(ああ……)
そのような事をする人が、他のどこにいるのか?
私はもう、その恩をどう返せば良いのかわかりません。
強力な『グレイシスの遺産』を持つ彼でしたが、根は純朴な少年でした。
良くも悪くも世間に慣れていないようで、年長者として放っておくのも怖いぐらいで……。
実際、ギルド内で質の悪い冒険者に絡まれていた時は、私自身、我が身を顧みることも忘れて、彼の前に飛び出していた程です。
正直、そんな自分にも驚きました。
(なぜか、この子を守らねば……と。どうしてでしょうね?)
ただ、この子を守れたことに、そして、その笑顔に心が満たされる自分がいるのも確かでした。
またその感覚は、私だけではなかったのかもしれません。
「――お、お兄様、お家に泊めてあげよう?」
娘のレイナが提案しました。
普段、大人しいこの子が『お願い』をしてきた事に私は驚き、同時に嬉しくも思いました。
(ええ、そうですね)
私も内心、頷きます。
娘のためと言い訳しながら、自分自身の感情も宿っていたかもしれません。そして、私たちの誘いに彼も了承を示してくれました。
こうして私たち母娘は、エト君を我が家に招く事にしたのです。
◇◇◇◇◇◇◇
――娘を助けられた恩を返す。
その名目で、私は彼をもてなしました。
料理を作り、お風呂を用意し……その中で、男の人のためにこういう事をするのは、夫を亡くして以来なのだと気づきます。
また普段着に着替えた私に対し、年若い少年の魅了された眼差しを向けられて、
トクン
と、心がときめいたのも事実です。
(ふふっ、おかしいですね)
こんなに年齢も離れているのに……。
7年前に夫を亡くしてから、多くの男性に口説かれ、誘われた事もありました。
けれど、その全てを断ってきました。
人見知りな娘のためもあります。
その多くは私を求めるあまり、娘を蔑ろにする様子も見えましたから。
何より私自身、男たちに向けられる下卑た感情の視線、それがとても不快で嫌でした。
ですが、
(……なぜか、エト君の視線は気になりませんね)
いえ、むしろ嬉しく感じます。
何よりこの少年は、娘を大事にしてくれました。
一緒の遊び、笑い、楽しんでいる姿に、母親としても喜びを覚えます。
また、私の作った料理に「いただきます」と告げてくれる育ちの良さや、美味しそうに食べてくれる姿も好印象でした。
純粋で、素朴な少年。
他の男とは違う、その素直な笑顔が好ましかったのです。
(ああ、レイナもあんなに嬉しそうに……)
食卓で楽しそうな笑顔を見せる少年と娘に、夫が生きていた過去の景色を思い出しました。
とても、良い時間でした。
だからこそ、
「――どうか、お気をつけくださいね」
私は、黒髪の少年に『魔窟迷宮』に挑む危険性を告げました。
私の夫、レオンダーク・シュメは凄腕の『魔狩人』でした。
アーヴィン王国でも五指に入る実力者で、私より5歳年上の先輩冒険者でもあったのです。
10年前、彼と知り合い、パーティーを組み、多くの冒険を共にする中で、やがて、私は妊娠し彼と結婚、レイナを出産しました。
ですが、結婚生活は3年ほど。
私は家事育児に専念し、夫は魔狩人を続けたため、共にいた時間は更に短かったでしょう。
そして、レイナが2歳の時、彼は亡くなりました。
(…………)
その痛みは、まだ覚えています。
いえ、生涯、消える事はないのでしょう。
『魔窟迷宮』深層で、特殊個体『黄金霊虎』に遭遇し、死亡……後日、別の冒険者が彼の残骸を発見、血塗れの登録カードと折れた『雷の大剣』を回収して、私の下に遺品として届けられました。
(……あんな思いは、もう……っ)
だからこそ、エト君に伝えます。
如何に強力な『グレイシスの遺産』があろうと、何の生存の保証にもならないのだと。
彼は頷きました。
でも、その青い瞳から『魔窟迷宮』に行く意思は消えません。
(これも若さ、ですね)
私はただ、彼の身を案じ、無事の帰還を願うしかありませんでした。
◇◇◇◇◇◇◇
「――あ、ん……っ」
それは、事故でした。
敏感な部位を強く握られ、私の口から堪え切れなかった嬌声が漏れてしまいます。
(っ、なんとはしたない……っ)
慌てて口を押えました。
エト君を客室に案内した折、誤って、彼とベッドに倒れ込んでしまったのです。
その体勢は、私が上から圧しかかる形で……まるで、熟れた女が年若い男を押し倒しているかのようでした。
(~~~~)
急ぎ、身を離します。
ですが、顔が……そして、下腹部の芯が熱い。
長く男性との関係がなかった肉体は久しぶりの刺激に強く反応し、あろう事か、こんな年端も行かない少年に触れられただけで欲情してしまったのです。
長く忘れていた渇望に、自身が濡れていくのを感じます。
(っ……何を考えているのです、マルティーナ。落ち着きなさいっ)
自分に言い聞かせ……あ。
彼が、私の胸の感触を思い出すように指を動かしていました。
目が、離せません。
同時につい先程与えられた快感を思い出し、もう1度味わいたいという淫らな欲求が湧き上がってしまいました。
「――触りたい、ですか?」
口が勝手に動いていました。
彼は驚き、恥ずかしそうになりながらも頷いてくれました。
(っ……ああ……)
喜びの感情が湧き上がります。
こんな年増の女に、けれど、この若い少年は欲情してくれている――その事実は、私の中に沈めていた『女』としての矜持を強く満たしてくれるものでした。
彼は私に『女』を求めてくれて、私も彼の欲情を受け入れ、この淫らに実った年増女の乳房を自由にさせました。
(ああ、可愛い……)
必死に求める黒髪の少年が、愛おしくて堪りません。
娘を助け、私にも礼儀正しく接してくれた少年が、今は私の胸に夢中になっています。
魔物を一蹴するほどの力を持つ、この子が……。
ただ、私の『女』に魅了されている……その背徳感に、心が震えました。
その時、一瞬、亡き夫の顔が脳裏を過ります。
(――――)
ああ……ごめんなさい、あなた。
ですが、夫を亡くして7年間、私とレイナが2人で必死に生きてきた中で、今のこの慰めがどれ程、乾いたこの心を救うものか……。
どうか……どうか許してくださいね。
何よりも、この少年は『娘の恩人』なのです。
だから、
(その恩を返したいのです)
言い訳とわかりながら、私は自分に言い聞かせ、そして、この子にも伝えました。
「――明日、無事に『魔窟迷宮』から生きて戻ってくれたなら、また続きをしましょう。私とエト君の、秘密の約束です」
その言葉に、彼は頷きました。
少年の顔に、『男』の覚悟が宿ったのがわかります。
(ええ、それでいい)
甘い悦びの中で、私も安堵しました。
この約束が、死地の中でも彼が諦めない『楔』として、少しでもその心に刺さってくれたのなら。
私は『魔窟迷宮』で夫を失いました。
ですが、娘の恩人であるこの黒髪の少年だけは、同じ轍を踏ませず、生きて戻って来させなければなりません。
――それが私にできるせめてもの『恩返し』でしょうから。
昨夜の甘い感触を思い出しながら、去っていく黒髪の少年を私と娘は見送ります。
その背中に、
「――どうか、無事に戻って来てくださいね」
その願いを、私は祈るような小声で呟くのでした。




