005・僕の名は……
「あ……」
その時、母親に抱かれる幼女と目が合った。
僕は『お?』と思い、友好的に笑いかけてみる。
途端、幼女の円らな紫色の瞳が更に真ん丸くなり、尻尾の毛もボワッと膨らむと、その顔が真っ赤になった。
「レイナ?」
お母様も気づき、娘の顔を覗く。
母親と身体が離れた幼女は、そんな母の背中に慌てて隠れてしまった。
(あらら……)
まぁ、初対面だし恥ずかしいのかな?
内心苦笑していると、お母様の方も、娘の視線の先にいる僕の存在に気づいた。
彼女は槍を手に、立ち上がる。
長く綺麗な金髪を肩からこぼし、毛足の長い尻尾を揺らしながら、僕へと深く頭を下げた。
「娘を助けていただき、ありがとうございました」
「あ、いえいえ」
僕は手を振る。
振りながら、
(今の会話、日本語じゃないな)
と自覚する。
相手の言葉も、自分の口から出た言葉も理解はできるけど、聞いたこともない言語だった。
――ウェド大陸公用語。
すぐ『異世界知識』が教えてくれる。
なるほど、手紙にも、新しい肉体に『異世界言語』を記憶させてあるって書いてあったっけ。
納得しながら、
「治ってよかったです」
と、その言語で会話を続けた。
美人のお母様は、柔らかく微笑む。
「頂いた薬のおかげです。しかし、これほどの効果のある『万能薬』は初めて見ました。相当、高価な物なのでは……?」
「あ~……」
確か『王侯貴族用』とあったような?
(でも、いいか)
「うん、でも、命よりは安いですよ」
「…………」
彼女は紫水晶の瞳を見開き、それから、噛み締めるように頷く。
豊かに実った胸元に手を当て、
「私は『迷宮都市オルガランテ』の冒険者、魔物狩りを専門とする『魔狩人』のマルティーナ・シュメと申します。こちらは娘のレイナ・シュメ」
「あ、どうも」
「レイナ、さぁ、挨拶を」
ポン
母親に背中を軽く叩かれ、
「あ、う……レ、レイナ、です」
獣人の幼女は真っ赤になりながらお辞儀する。
長い尻尾と垂れ耳も揺れて、
(可愛い~)
僕、ほっこり。
「こんにちは、レイナちゃん」
と、頭を撫でる。
おかっぱの金髪は細く、獣耳も温かくて、とても手触りが良かった。
幼女は目を見開き、
「~~~~」
真っ赤な顔を俯かせる。
尻尾も倍ぐらいに太くなり、ああ、うん、何だか驚かせてしまったみたいだ。
(つい、子犬を撫でるように触ってしまったよ)
反省、と手を離す。
幼女は即、お母様の背後にパッと隠れ、マルティーナお母様はその娘の反応に驚き、それから苦笑する。
「娘がすみません」
「あ、ううん。こっちも急に触ってしまって、ごめんなさい」
「いえ、そんな」
と白い手を揺らし、彼女は僕を見つめる。
(?)
僕は内心、首をかしげ、
「その……もしよろしければ、貴方のお名前を教えて頂くこともできますか?」
あ……。
(そりゃそうだよね)
自己紹介されたのだ、ならば、ちゃんと返すのが礼儀。
僕は答えようとして、
(待て。……僕、名前ないぞ)
と、今世の自分が名無しなのを思い出した。
やべ、どうしよう?
僕の様子に、お母様は「?」と長い金色の髪を揺らしながら、その白い首をかしげなさる。
(ええと……)
「僕は……その、エトです」
と、答えた。
(ひ、必死に考えたんだよ、これでも)
まるで見えない誰かに言い訳するように、心の中で釈明する。
お母様は頷き、
「エト君、ですか」
「は、はい」
「ふふ、いいお名前ですね」
どこか嬉しそうに、上品に微笑まれる。
(…………)
あぁ……居た堪れない。
ふと見れば、マルティーナお母様の背に隠れる娘ちゃんも「エト、様……エトお兄様」と小声で繰り返している。
そんな美人母娘の様子に、僕は曖昧に笑うのみ。
――こうして今世の僕の名前は『エト』になった。
◇◇◇◇◇◇◇
(よいしょ)
ドスン
横転した馬車を、僕と乗客全員で引き起こした。
この馬車は、乗合馬車でオルガランテへの定期便だったらしい。その移動中、森林狼の群れに襲われてしまったそうな。
マルティーナお母様曰く、
「巡回の兵士も定期的に通るので、本来は安全な街道なのですが……」
とのこと。
(ふ~ん?)
つまり、今回はイレギュラーだったらしい。
ちなみに、彼女は『馬車の護衛』などではなく、たまたま乗り合わせていただけの乗客の1人で、戦えるのが自分だけだったので単独で戦っていたのだとか。
(マジか)
なんて災難……。
そして、他の乗客を見捨てて逃げずに戦うのだから、きっと心根が『良い人』なのだろう。
そういう人、僕、嫌いではない。
(むしろ、好き)
というか、
「本来の護衛はどうしたんですか?」
「元々いません」
「え? いない?」
「はい。馬車には『魔物避け』の魔法護符がありました。ただ今回は魔物の数が多かったので、忌避感よりも集団行動の意識が勝ってしまい、効果がなかったようですね」
「あらら……」
そんなことあるんだね?
確か、彼女は魔物狩り専門の冒険者『魔狩人』だと名乗っていた。そうした魔物の生態、性質にも詳しいのだろう。
その会話中、
「…………」
レイナちゃんはずっとお母様の後ろに隠れていた。
ふと目が合うと「っ」と真っ赤になり、母親の背中に引っ込んでしまう。
(おやおや)
本物の子犬みたいで、本当、可愛い。
娘の様子にお母様は申し訳なさそうだったけど、僕が笑って『大丈夫ですよ』と伝えると、何だか安心したように微笑んでくれた。
やがて、御者さんたちにより馬車の損傷が大したものでないことが確認され、馬も1頭が生き残っているので再び運航可能だと判明する。
そして、
「え、僕も乗せてもらえるの? 無料で?」
僕の行き先も『オルガランテ』だと伝えると、一緒に乗車させてもらえる事になった。
(おお、ラッキー)
やったね、あと半日歩くことを覚悟してたのに。
お母様は、
「エト君は皆の命の恩人ですから。エト君がいなければ、娘も、私も、乗客全員が殺されていたでしょう。これぐらいは当然です」
と、断言する。
馬車ギルド所属の御者さん、乗客の皆さんも頷き、賛同してくれた。
(…………)
情けは人の為ならず、か。
素直に嬉しいね。
見れば、母の後ろで幼女も必死にコクコクコク……と、垂れた獣耳とおかっぱの金髪を躍らせながら、何度も頷いてくれていた。
(あはは)
僕は笑う。
それから、少し照れながら、
「ありがとうございます、お言葉に甘えます」
と、皆さんに頭を下げたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「まぁ、ではエト君は、今まで山暮らしを……」
マルティーナさんは、馬車の車内で驚きの表情を浮かべた。
車内は両側に長椅子の座席があり、僕の隣にはお母様、その奥に娘ちゃんがいる。そして、母娘と周囲の乗客の皆さんは、僕の即興の作り話に耳を傾けていらっしゃった。
僕は「うん」と頷き、
「幼い頃、両親が流行り病で他界して祖父に引き取られたんです。それでアルカナ大霊峰の麓近くの山で2人で暮らしてたんだけど、この間、その祖父も亡くなって」
「まぁ……」
「で、その遺言で『これからは町で暮らせ』と言われて、昨日、家を出たばかりでした」
「そうでしたか」
彼女は、痛ましげな表情で頷く。
幼いレイナちゃんも「お兄様……」と涙目だ。
周囲の乗客の皆さんの中には、実際、泣いている人もいる。
(こ、心が痛いな)
ごめんなさい、全部作り話です。
でも、嘘も方便。
社会で生きるためには、少しぐらいの偽りは必要だろう。
むしろ『転生』だ何だと正直に言って、胡散臭く思われるよりはマシだよね、うん。
マルティーナさんは言う。
「オルガランテの街には、何か伝手が?」
「いえ、何も」
「……何も」
「はい。だけど祖父は元冒険者だったらしいんで、僕も『冒険者』になろうかなって思ってます」
異世界転生の定番だしね。
やっぱり1度は経験してみたいでしょ。
(ね、前世の僕?)
と、心の中で呼びかける。
そして、現役の『冒険者』である美女は、紫色の目を丸くして、
「まぁ、冒険者に?」
「うん」
「なるほど……。確かに先程、森林狼を光の魔法で倒していましたし、それだけの腕があるなら充分やっていけるでしょう」
と、保証してくれる。
(光の魔法……?)
ああ、勘違いされてるのか。
「いえ、光の魔法じゃないです」
「え?」
ヒィン
僕は、自分の手に銀色に輝く魔法の銃――『マギ・ブラスター』を亜空間から出現させた。
マルティーナさんは「!」と驚く。
娘ちゃんも円らな瞳を更に丸くし、尻尾の毛も大きく膨らませる。
乗客の皆さんもギョッと目を瞠っていた。
「魔法の銃です」
「まぁ……」
「祖父の形見で、何十年も前、冒険者時代に手に入れた物らしいです。今は『魔法契約』して僕の物になっていますが」
と、また作り話をする。
美しいお母様は、銀色に輝く『魔法の銃』をジッと見つめる。
小さく頷き、
「これほど小型で、あれだけの威力、弾数、精度を持つとは……とても高性能な魔法銃ですね」
「…………」
「古代遺物――恐らく、『グレイシスの遺産』の1つでしょう」
(グレイシス?)
何だろう、と不思議に思うと、
――古代グレイシス神帝国。約500年前、人類の魔法文明最盛期に存在した超魔法国家。
と、僕の『異世界知識』が教えてくれる。
(ほほぅ?)
大昔にそんな国があったのか。
つまり、その500年前の現在より高性能な魔法の遺物が『グレイシスの遺産』として、今の時代でも発掘されてるってことだろう。
で、『マギ・ブラスター』もその1つと思われた、と。
(まぁ、いいか)
勘違いして納得してくれるなら、それはそれで構わないだろう。
特に訂正する気もない。
僕は何も言わず、ただ笑っておく。
レイナちゃんや乗客の皆さんは物珍しそうに、銀色の『魔法の銃』を覗き込んでいた。
と、お母様が、
「このような遺物を入手できるなんて、エト君のお爺様は、もしかしたら高名な冒険者だったのかもしれませんね」
「え?」
「お爺様のお名前は何と?」
「あ……えっと」
「……?」
「その、フィーゴです。フィーゴ・アルモラン」
咄嗟に言ってしまった。
(ごめんなさい、異世界管理神霊さん。お名前、お借りしましたっ)
心の中で謝罪する。
お母様は白い指を形の良い顎に当て、少し考え込む。
その首が傾くと、綺麗な長い金髪がサララ……と流れ、それだけで絵になる感じ。
「フィーゴ・アルモラン……聞いたことはないですね」
「そ、そうですか」
「はい、ごめんなさい。ですが、世間に名は知られずとも、きっと優れた冒険者だったのでしょう」
「…………。そうですね」
僕は頷き、
「僕のために色々してくれた、素敵な祖父でした」
と、笑顔で答えた。
それに、マルティーナさんも、他の皆さんも、とても優しい表情で頷いた。
(そう言えば)
その時、ふと思いつく。
美人のお母様を見て、
「僕はこんな理由ですけど、マルティーナさんたちは何をしに『オルガランテの街』へ?」




