014・想いの決壊(※マルティーナ視点)
(まだ、帰ってきませんね……)
ふと手を止めて、私は窓の外を見ていました。
家の前の通りには通行人が何人か歩いていましたが、あの黒髪青目の少年の姿はありません。
室内の時計の針を確かめれば、
(午後4時ですか)
もうすぐ日が暮れます。
もし『魔窟迷宮』から戻るなら、もう姿を見せてもおかしくない時間なのですが……。
と、その時、
「お母様?」
(――あ)
レイナの声に、我に返ります。
リビングで一緒に洗濯物を畳んでいた9歳の娘は、
「窓の方、また見てるの?」
「あ、いえ」
「お兄様?」
「……そうですね。そろそろ帰ってくるのでは、と」
「そっか」
娘も立ち上がり、窓の外を見ます。
左右を見回し、やがて、「いないね……」と寂しそうな表情で呟きます。
私は微笑み、
「きっと、もうすぐ帰ってきますよ」
「うんっ」
娘も元気に頷きます。
そして、再び2人で洗濯物を畳み始めました。
あの子はとても利発そうな子で、『グレイシスの遺産』も持っていましたし、きっと無茶な真似もしないでしょう。
ですが、『魔窟迷宮』は油断ならない場所。万が一、不測の事態が起きれば……。
その時、ふと思い出します。
結婚後、妊娠や育児で、私は1人、今日と同じように家で夫の帰りを待つ時間を過ごしていました。
ですが、
(……ここまで心配したでしょうか?)
夫は、王国有数の『魔狩人』。
私もその実力を認め、尊敬していましたし、殺しても死なないような豪快な人物でした。
なのに、今の私は、
(エト君……)
あの少年を、とても気にしています。
どうしてでしょうね?
気づけば、また窓の外を見ていました。
私と娘の恩人で、けれど、とても素直で可愛らしい男の子……。
(こんな年増の私の胸で、あんなに喜んで)
昨夜を思い出し、顔が熱くなると同時に、心が満たされる甘い感覚を覚えます。
――本当に不思議な子ですね。
知らず、窓に反射する私の顔は微笑んでいました。
「お母様?」
(あ……)
娘の声で、再び我に返ります。
内心苦笑しながら、
「何でもありませんよ」
平然とした笑顔を作り、目の前の洗濯物をまた折り畳んだのでした。
◇◇◇◇◇◇◇
結局、あの子が戻ったのは夜8時半でした。
怒りたい気持ちもありましたが、無事な顔を見たら、それも霧散してしまいます。
――生きて帰った。
(ええ、それで充分です)
何より彼には、本来、私との『約束』を守る義理などないのですから……。
その後、彼の食事を用意し、今日の話を聞きました。
――その内容は、驚くべきものでした。
「まぁ、『輝石甲虫』を!?」
堅固な外皮を持ち、中堅冒険者でも倒す事は難しい魔物です。
また高値の宝石素材となる反面、冒険者の死亡率も非常に高い危険な魔物でした。
けれど、エト君は初めての『魔窟迷宮』探索で、初見で、その『輝石甲虫』を仕留めてしまったというのです。
(何という子でしょう……)
その才能に、驚愕を禁じ得ません。
ただ、彼は冷静でした。
今回の成功は幸運も味方した結果であり、自分には前衛となる味方が必要なのだと分析していたのです。
私は、その相談を受けました。
(…………)
頼られている事実に、少し胸が高鳴ります。
亡くなった夫は『冒険者』としての経験、実績、実力が私よりも上でした。だから、私に何かを相談する事もなく、全てを自分で決め、私は夫に従うのみだったのです。
でも、この子は……。
(……私の言葉を、私を必要としてくれる)
その事が嬉しかったのです。
やがて、娘も話に加わり、
「――レイナとお母様が、お兄様の仲間になろうよ」
と、簡単に言いました。
私とエト君は驚きました。
でも、悪くない考えです。
夫を亡くしたあと、私をパーティーに誘う人たちは何組もいました。
ですが、多くは私の実力ではなく女である事を目的とし、あるいは幼い娘の存在を考慮してもらえませんでした。
結果として全てを断り、母娘2人で活動をしています。
ただ、先日の馬車の時のように、1人でレイナを守るのは難しい時もあるのです。
(けれど、エト君なら……)
娘を大事にしてくれる。
そして、娘の方も彼に懐いています。
……何より私自身が、この少年を……。
だから、
「――お願いします!」
彼が私たち母娘を受け入れてくれた事に、私は深い喜びを覚えてしまったのです。
◇◇◇◇◇◇◇
娘も眠り、エト君と2人きりの時間となりました。
「ん……あっ」
私の口から、はしたなく声が漏れます。
彼が『約束』を守り、戻って来てくれたように、私も『約束』を守らねばなりません。
ですが、
(なぜ、こんなに……っ)
思った以上の快楽に、私自身、戸惑います。
拙い指使い。
けれど、目の前の少年の懸命な顔を見ていると、不思議と感情が満たされるのです。
こんな若い男の子が……。
私のような年増の女に興奮し、必死に求めている――その事実が、私の『女』としての矜持を満たし、より愛おしく感じさせるのかもしれません。
「あ、ああ……っ」
嬉しく、心地好い。
夫を亡くしたあと、他の男性から再婚やお付き合いを求められた事もあります。
ですが、その内心が、私には透けて見えました。
オルガランテ最強だった男の妻を自分のモノにしてやる、という歪んだ自負心。
また、夫を亡くした可哀想な女なら簡単に落とせるだろう、といった浅はかな思考。
――誰も私を、マルティーナ・シュメを見ていない。
多くの男が私を『道具』として、または『哀れな存在』として見てくるのです。
でも、
(この子は……違う)
エト君の眼差しは、私を1人の『人』として見ています。
先輩として『尊敬』し、女として『魅力的』だと感じて、彼からの純粋な思いが伝わり、私の胸も熱く感じてしまうのです。
だから、
「――直接、触りますか?」
彼にもう少しだけ報いたくて、はしたない言葉を口にしたのです。
…………。
やめる時は大変で、
(っ……我慢なさい、マルティーナ。私の方が年上なのですよ?)
と、内心、必死でした。
エト君も健気に頷いてくれます。
本当にいい子ですね……。
それだけ私の事を大事にしたいと思ってくれている……それがまた、私の心を苛みます。
自分の感情を必死に抑えました。
なのに、
「――これ、よかったら」
(え?)
彼は、私の手に小さな宝石を落としました。
透明な赤や青、黄や緑など、小粒だけれど、煌めく美しい小石たちです。
その少年は言います。
「――僕の初成果だし――マルティーナさんにあげたいなって」
その人生の初めてのモノを、この私に……?
(なぜ?)
出会って数日のこんな年増の女に、なぜ、自分の大切な記憶となる品を贈ってしまうのですか?
黒髪の少年は照れたように笑っています。
無垢で、純粋に。
私に渡せた事を、心から喜んで……。
(~~~~)
感情が爆ぜました。
年上の矜持も、母としての顔もなく、1人の飢えた『女』として、私は彼を求めてしまいました。
ごめんなさい、あなた。
(でも……もうっ)
全てを振り切り、彼を押し倒します。
浅ましく、卑しい年増女の行為を、けれど、その少年はむしろ喜びと共に受け入れてくれました。
(ああっ)
その事実が、また私の『女』を満たすのです。
…………。
やがて、私たちは1つになり、私は彼の『初めての女』として、その一生の記憶に残る事になったのです。
◇◇◇◇◇◇◇
窓の外に光が差しました。
その優しい太陽の輝きに、ベッドに寝ていた私は目覚めます。
(ん……朝、ですか)
上半身を起こします。
ユサッ
重く乳房が揺れ、自分が全裸なのを思い出しました。
隣を見れば、黒髪の少年が同じベッドで眠っています。
ドキッ
生娘のように胸が高鳴ってしまいました。
そんな自分に苦笑し、私は自身の長い金色の髪を手で押さえながら、彼の寝顔を覗き込みます。
(ふふ、可愛い……)
あどけない顔に、つい笑みがこぼれます。
昨夜、行為が終わったあとに、エト君はすぐに眠ってしまいました。
無理もありません。
日中は『魔窟迷宮』に挑み、夜は、飢えた女の欲情を受け入れ、初めてなのに何度もがんばってくれたのですから。
私の下腹部も、まだ熱く潤んだままです。
「…………」
少年の黒髪を、私は指で梳いていきます。
まだ14歳の少年を、こんな年増の女が求め、交わってしまったのです。
合意の上とは言え、それは罪深いことなのかもしれません。
(――ですが、後悔はしません)
この黒髪の少年は、私たち母娘の恩人です。
そして、こんな年上の私で良いのなら、この子の望むまま、このマルティーナ・シュメは何度でもこの身を捧げましょう。
救われた娘の母として、また1人の女として……。
「……エト君、大好きですよ」
その名を呼び、彼の頬にソッと唇を落とします。
その時、
「ん……」
(――あ)
くすぐったかったのか、彼は小さく声を漏らして目を覚ましたようでした。
まぶたが震えて、その目を開きます。
綺麗な、青い瞳……。
その無垢な瞳が寝ぼけたように、ゆっくりと周囲を見回していきました。
そして、私を見つけます。
途端、
ホニャ
その顔が嬉しそうに綻びました。
(~~~~)
無垢な少年の笑顔に、私は胸を刺されます。
必死にその甘い痛みに耐えながら、大人の女として微笑み返し、黒髪の少年に伝えました。
「――ふふっ、おはようございます、エト君。もう朝ですよ」




