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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第四章 ゲーム本編開始

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ヒロインとの出会い(ノエル視点)

扉が閉まった。

アルベルトの足音が、廊下の向こうに消えていく。


部屋には、私とライアスだけが残された。


(二人きりだ)

(推しと二人きりだ)

(なのに、少しも嬉しくない)


「ノエル」

「はい」

「座れ」


低い声だった。

怒鳴ってはいない。

怒鳴られた方がまだマシな種類の静けさだった。


私は大人しく椅子に腰を下ろした。


「一応、雇い主として言うが、お前は今、王太子にお茶を吹きかけた。本人の顔にだ」

「……はい」

「普通なら不敬罪だ。衛兵を呼ばれてもおかしくなかった。アルベルトが笑って流す男だったから良かったものの、そうでなければ」


そこで、ライアスの言葉が止まった。


視線が私の手元に落ちて、ゆっくりと窓の外へ逸れる。

銀色の睫毛が、わずかに伏せられた。


沈黙が、ひどく長く感じた。


「……どうなっていたか、分からない」

「申し訳ございません、ライアス様」


深く頭を下げながら、私は気づいていた。

ライアスは怒ると、声が大きくなるのではない。

口数が増える。


説教が始まってから、すでに普段の半日分は喋っている。


(尊い、早口お説教版)

(いや、観察日誌の時間ではない)


ただ、これだけは言わせてほしい。


いきなり聖女かと尋問されたのだ。

その上で、もう一人の聖女候補がいるなどと言われたのだ。

驚いて、口の中のお茶が噴出しただけだ。


(理不尽ではなかろうか)


もちろん口には出せない。

私は神妙な顔のまま、床の模様を数え続けた。


扉が叩かれたのは、その五分後だった。


着替えを終えたアルベルトが、何事もなかったような顔で戻ってきた。

私は椅子から跳ね上がり、そのまま腰を九十度に折った。


「殿下、先ほどは大変なご無礼を」

「顔を上げて」

「お詫びのしようもございません。この上は、どのような処分でも」

「ノエル嬢」


穏やかな声に、恐る恐る顔を上げる。


アルベルトは、いつもの笑顔だった。


「気にしないで。驚かせた僕が悪い」


(神か)

(ありがとう、アルベルト)


借金の次は不敬罪で、ベルナード家の履歴書が真っ黒になるところだった。

胸の内で、深々と手を合わせる。


背中に刺さる視線を感じる。

ライアスが睨んでいる気がする。

気にしないでおこう。


「ところで」


アルベルトが、軽い調子で切り出した。


「この後、もう一人の聖女候補に会うことになっている」

「そうですか」

「よければ、君も一緒に来ない?」


一拍、置いた。


「おい、アル!さすがにそれは!」


背後で、ライアスの声が跳ねた。


私の脳は、ライアスの発した言葉に敏感に反応した。


(アル)

(アル!)

(今、ライアスがアルって言った)


脳内の私が、花畑で転げ回り始めた。


アル!だぁああってよーーーー!!

のほほほほ。

久々の愛称呼びだ。尊い。今夜の日誌は三行では足りない。


「まあまあ」


遠くで、アルベルトの声がする。


「普通の女性たちと違って、思考内容の理解が難しい女性が二人もいるんだよ。別々に対応するより、二人を会わせた方が、何か見えてくるかもしれない。僕が立ち会う。何かあれば、すぐに止められる」

「しかし、聖女のことは未だによく分かっていない。これ以上ノエルを関わらせて、騒ぎが大きくなるのは避けたい」

「何?彼女のことが心配なの?」

「それもあるが、彼女が関わると、また色々と話が難しくなる」


(色々とは)


「だってさ、ノエル嬢」


急に、名前を呼ばれた。


「君、色々な意味でライアスに心配されてるね」


花畑から、一気に引き戻された。


「ひゃ!ひゃい、何でしょうアルしゃま」


……。

……。


部屋の空気が、止まった。


アルベルトは、目を丸くして私を見ている。

ライアスは、眉をわずかに寄せて私を見ている。


私は、背筋を伸ばした。

顎を引く。

目に力を入れる。


「何でしょうか、アルベルト殿下」

「いや、キリッとした顔でこっちを見てるけどね」

「はい」

「ごまかせてないからね」


「アル、しゃま?」


ライアスが、小さく呟いた。

やめてほしい。

繰り返さないでほしい。


「もう一人の聖女候補との面談ですよね!承知いたしました、同席いたします!」


早口で言い切った。

言い切った後で、自分の声が裏返っていたことに気づいた。


アルベルトが、喉の奥で笑う。


「やっぱり、彼女、面白いね」

「面白いで済んで良いな、お前は」


二人が顔を寄せて、小声で何か話し始めた。

聞こえない。

聞こえないふりをする。


私は表情筋に全力を注ぎ、涼しい顔を保った。


(凌いだ)

(完全に凌いだ)


背中は冷や汗でびっしょりだった。


その時、ライアスの低い声だけが、静かな部屋によく通った。


「……俺も同席する。それが条件だ」

「最初からそのつもりだよ」


(同席。条件)

(つまり、私は連れて行かれる側で、ライアスは保護者枠だ)


聞かなかったことにして、天井の隅を見つめた。


◇


王宮の廊下は、長かった。


先を歩くアルベルトの後ろを、私はライアスと並んで歩く。

ライアスの歩幅は、いつもより少し小さい。

私に合わせてくれているのだと思う。


(尊い、歩幅調整版)


すれ違うのは、ローブ姿の魔術師たちだった。

袖口に、インクの染み。

目の下に、薄いクマ。


ふと、角を曲がった先の部屋が目に入った。

扉の隙間から、書類の山を抱えた若い魔術師が見える。


(あの量を、一人で)


事務員の目が、勝手に働いた。

机の数は同じなのに、書類の偏りが大きすぎる。


(業務の分担が偏っている?)

(それとも、誰かが押しつけられているのだろうか)


「ノエル」

「はい」

「余計なことは考えるな」

「考えておりません」

「顔に出ている」


横目で見上げると、ライアスがこちらを見ていた。

目が合って、すぐに逸らされた。


アルベルトが、一つの扉の前で足を止めた。

軽くノックをする。


「はい!」


中から、明るい声が返ってきた。

アルベルトが扉を開ける。


そして、今。


私の目の前には、散々見てきた乙女ゲーム「ヴェールド・クラウン~働く乙女と王国の騎士~」の主人公が立っていた。


リーネ・アルト。


蜂蜜色の長い髪は、毛先がやわらかく波打っている。

透き通ったエメラルドグリーンの瞳。

小さな顔に、優しげな目元。

華奢で、いかにも女性らしい柔らかさがある。


窓から差し込む光を受けて、その髪が金色に輝いていた。


(外見は、完璧にヒロインだ)


間違いない。

このゲームの、正真正銘のヒロインである。


そのリーネは、今。


目を輝かせ、抑えきれない吐息を漏らし、口の端から若干の涎をたらしながら、

アルベルトと、その後ろに立つライアスを見ていた。

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― 新着の感想 ―
続きをありがとうございます! とても嬉しいです! ヒロインが涎垂らすとかありえないのでやっぱりヒロインも転生者かな?
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