目を離せない光景(ライアス視点)
【ライアス視点】
時間は少し巻き戻る。
タウンハウスにて、執事長が急ぎライアスへ用件を伝えた。
「ノエルが屋敷から出て行っただと」
執事長が頷いた。
「はい。先ほどマントを羽織って出ていく姿を、警備の者が発見しました。現在はクラウス様が後を追っています」
「クラウスも連れずに、一人で出て行ったのか」
「そのようです」
ライアスは外套を手に取った。
「自分も追う」
執事長が一礼した。
◇
クラウスが目印として魔力石を置きながら追っているので、後を辿るのは難しくなかった。
しかし心中は、穏やかではなかった。
何か不満でもあったのだろうか。
王都に居を移すことが嫌だったのだろうか。
(なぜ黙って出て行った)
魔力石を辿りながら、ライアスは自分がこれほどのショックを受けていることに、少し驚いた。
いつから彼女のことを、これほど。
その先の思考が始まりかけて、ライアスは意識して打ち切った。
今は追うことだけを考えろ。
◇
辿り着いた先は、王都の中でも立ち入り禁止に指定されている区画だった。
この区画がなぜ立ち入り禁止なのか、ライアスも明確な理由を知らなかった。
誰もがそこに近づかず、しかし誰もその理由を問わない。
奇妙な場所だった。
区画の奥に進むと、朽ち果てた教会の前にクラウスがいた。
クラウスがライアスに気づき、小声で手招きした。
ライアスは頷いて教会の前に立った。
「ノエル様は、先ほど中に入りました」クラウスが小声で言った。「建物の劣化が酷く、中の様子が確認できていません」
「何があって、こんな場所に」
呟きながら教会に近づいた瞬間、ライアスとクラウスは同時に足を止めた。
背筋に、薄ら寒いものが走った。
教会の中から、恐ろしい気配が漏れていた。
これまでに感じたことのない種類の、異様な魔力だった。
二人は瞬時に戦闘体制を取った。
クラウスがライアスの前に出ながら、素早く教会の扉に手をかけた。
なるべく音を立てないように、しかし素早く開けた。
(ノエル)
心の中で名前を呼んだ。
無事でいてくれ。
◇
扉が開いた瞬間、目に飛び込んできた光景に、ライアスの思考が一瞬、完全に止まった。
礼拝堂の中央に、緑色の光に包まれたノエルが立っていた。
短剣を構え、前を見据えていた。
その向かいに、影を纏った異形の何かがいた。
人の形をしていたが、明らかに人ではない何か。
あの気配が、あれから発せられていた。
(ノエルが危ない)
踏み込もうとした、その瞬間だった。
ノエルの周囲を浮遊していた緑色の発光体が、突然、異形の者に向かって魔力矢を連射した。
立て続けに、無数に、容赦なく。
ライアスは足を止めた。
理解が、一瞬追いつかなかった。
クラウスも止まっていた。
二人とも、動けなかった。
異形の者が激昂したように、今度は強力な炎を生み出してノエルに向かって叩きつけた。
思わず叫びそうになった瞬間、ノエルの周囲に展開していた緑色の結界が、その炎を完全に受け止めた。
炎が結界の表面で押し潰されるように霧散した。
ライアスは目を見開いた。
異形の者が今度は直接、爪を伸ばしてノエルに斬りかかった。
今度こそ踏み込もうと踏み出した瞬間、結界がその一撃を弾き返した。
弾かれた勢いで異形の者がよろめく。
その隙にノエルが短剣を振るい、脇腹を浅く斬りつけた。
さすがに、状況の整理ができなかった。
クラウスも隣でかすかに息を呑んでいる。
異形の者が何事か叫びながら、渾身の力で火と風を組み合わせた巨大な魔法を放った。
礼拝堂の空気が震えた。
火を纏った竜巻が、ノエルへ向かって迫るのを、ノエルは短剣を構えて、ただ立っていた。
無茶だ、と思い飛び込もうとしたその瞬間。
ノエルが短剣を、竜巻に向かって振るった。
竜巻が、短剣に吸い込まれるように、消えた。
跡形もなく。
ライアスは、完全に動きを止めた。
クラウスが隣で、声にならない音を漏らした。
次の瞬間、異形の者が毒々しい赤紫色の霧を礼拝堂に一気に噴出させ、そのまま異形の者が距離を取り、逃げようとした。
瞬時にクラウスはライアスの前に飛び出した。
「閣下、下がってください」
両腕を広げて庇う形になった。
しかし霧はノエルの周囲に展開した結界に触れた瞬間、音もなく消えていった。
結界が状態異常そのものを無効化しているのか、霧は結界の表面で霧散し、ノエルにもライアス達にも一切届かなかった。
次の瞬間、ノエルが地を蹴り、煙幕を使って逃げようとした異形の者の横に現れた。
信じられないほどの速さだった。
先ほどまでとは明らかに違う身体能力で、逃げる異形の者に追いつき、そして脇腹に蹴りを叩き込んだ。
ライアスはとうとう言葉を失った。
異形の者が信者用の椅子を巻き込んで吹き飛んだ。
そこに魔力矢が降り注いだ。
ライアスはそれを見ながら、ほんの少し、異形の者に同情した。
何事か言葉を交わしながら激昂している異形の者を見て、それはそうだろうな、と思った。
異形の者の動きが乱れ、完全に追い詰められていた。
最後に異形の者が、ノエルめがけて拳を叩き込もうとした。
結界が、その拳を弾いた。
ノエルの短剣が、深く振るわれた。
今度は浅い傷などではなかった。
そこに魔力矢が降り注いだ。
異形の者が、声も上げずに倒れた。
体が、光の粒子となって消えていった。
ライアスはその光景を、扉の前から動けないまま呆気に取られて見ていた。
呆気に取られながらも、視線はノエルに釘付けだった。
自分が恐ろしいと感じるほどの存在を、ノエルは打ち滅ぼした。
緑色の光が静かに収まっていく中、短剣を手にしたまま立つノエルの姿が、かつて伝記の中で読んだ聖女という存在の記述と重なった。
ライアスはどうしても、ノエルから目が離せなかった。




