恐怖(ヴェイル視点)
【ヴェイル視点】
人間など、男も女も老いも若きも、全て取るに足らない虫と同じだと思っていた。
まれに魔人と対抗できる人間も存在する。
しかしそれでも、下等生物の中で多少ましという程度の認識だった。
しかし。
目の前にいる娘。
どこにでもいるような小さき存在。
魔力も含めて、魔人には及ぶこともない矮小な存在。
そんな存在が、自分を追い詰めようとしている。
ヴェイルは、初めて、人間という存在に恐怖を抱いた。
この人間が、得体の知れないものとして理解できない。
それが許せなかった。
許せないという感情が、恐怖から来ていることも、また許せなかった。
魔人たる自分が、人間を前に恐怖するなど、あってはならないことだった。
◇
ヴェイルは目の前の娘に向かって、最大火力の魔法を放つことにした。
短剣による能力で、自分の力が一時的に減退させられている。
それでも、攻撃をせずにはおれなかった。
目の前のノエルという存在を、打ち消したかった。
「がぁぁあああっ」
吠えながら、火と風の混合魔法を放った。
火を纏った竜巻が、ノエルに向かって迫る。
ノエルはその火炎竜巻を、短剣で斬るような素振りを見せた。
(そんな短剣ごときで防げるものか)
嘲笑った。
しかし次の瞬間、火炎竜巻は消失した。
結界が阻んだのかと思ったが、違った。
ノエルが短剣で斬りつけた瞬間、竜巻が短剣に飲み込まれるように消えた。
ノエルが短剣を見ながら、満足そうな表情を浮かべていた。
(……逃げるしかない)
瞬時に判断した。
下等生物である人間を相手に逃走を図るなど、屈辱以外の何物でもない。
しかしこの人間は危険すぎた。
こうなれば、この人間の情報を仲間たちに持ち帰らなければならない。
この娘は魔人たちの脅威になりかねない。
ヴェイルは屈辱に頭が沸騰しそうな感覚を抑え、麻痺と毒の効果を持つ霧を礼拝堂に一気に充満させた。
毒々しい赤紫色の煙が広がった。
煙幕の中、ヴェイルは礼拝堂から逃げようとした。
謎の魔道具を持っているとはいえ、身のこなしは普通の人間の小娘だ。
魔人である自分とは体の作りが根本から違う。
逃げるだけなら難しいことはない。
窓に向かって跳んだ。
その瞬間。
横に、ノエルがいた。
「え」
思わず声が出た。
次の瞬間、ノエルの蹴りが脇腹に叩き込まれた。
本来であれば、戦士でもない娘の蹴りなど、自分に効くはずがなかった。
しかしヴェイルは吹き飛んだ。
信者用の椅子を巻き込みながら、床に叩きつけられた。
そこに、魔力矢が降り注いだ。
先ほどの毒霧に反応して、魔道精霊が迎撃に出たようだった。
「ぐわぁああっ」
魔力矢の威力が、先ほどより大きくなっていた。
いや、違う。
(まさか、俺の能力がさらに減退しているのか)
唖然とした。
足音が近づいてきた。
顔を上げると、短剣を構えたノエルがいた。
「さて、この魔道具の威力も十分に試せましたし、そろそろ終わりにしましょう」
ヴェイルは、はっきりと恐怖した。
先ほどこの娘は言った。
練習台だと。
魔王様の忠実な部下であり、魔人として絶大な力を持つ自分を、練習台だと。
本当にこの娘は、その程度にしか自分を見ていなかった。
「貴様は、何者だ。いったい何なのだ」
ヴェイルには、目の前の人間が、もう人間とは思えなかった。
人間の皮を被った、別の何か。
自分たちと同じような存在なのかと。
「貴様は、まさか女神の眷属か」
「女神? そんなものは知りません」
ノエルが答えた。
「私はただの、経理と総務をメインとした事務員です」
「事務員だと!? ふざけるな!!」
ヴェイルは叫んだ。
「魔道具だけが優れているならともかく、貴様は先ほど私の速さを超え、その短剣も使わずに蹴りだけでこの私を吹き飛ばした。そんな出鱈目な力を持った人間が、ただの事務員なわけがあるか!」
ヴェイルは目の前の人間への得体の知れない恐怖と、どうしようもない怒りから、ノエルの顔に拳を叩き込もうとした。
しかしそれは結界に阻まれた。
その瞬間、ノエルが短剣でヴェイルを斬りつけた。
今度は浅い傷などではなかった。
はっきりとした深い傷を負い、そのまま自分の中の力を根こそぎ奪われるような感覚を覚えた。
そこに魔力矢が降り注いだ。
ヴェイルは最後に、降り注ぐ魔力矢を見上げながら、思った。
(この感情が、恐怖というものか)
人間に対して、恐怖を。
答えのないまま、ヴェイルは声も上げずに絶命した。




