エリナ襲来(ノエル視点)
【ノエル視点】
エリナが来た。
父親の近衛騎士団長、グレイン・フォルセアと共に、こちらに向かってくる姿が見えた瞬間、ノエルは少し身構えた。
グレイン団長は堂々とした体格の男性で、礼装姿もよく似合っていた。
「ヴァルトハイン公爵、今回の戦での活躍、見事でした。我々近衛団としても、誇りに思います」
グレイン団長がライアスに話しかけた。
ライアスが静かに答えた。
二人の話が始まった。
その間に。
エリナが、さりげなく、ノエルの隣に立った。
(さりげなく、というのが怖い)
エリナが、ノエルに向かって微笑んだ。
完璧な笑顔だった。
社交界用の、完璧な笑顔だった。
「お久しぶりですわ」
エリナが言った。
「優秀で、誠に見事な事務員のノエル様」
(ひょわぁぁああああ!!!)
全身に鳥肌が立った。
この笑顔は危険だ。
本能でそう感じた。
「ライアス様はお優しいですわねえ」
エリナが続けた。
笑顔のまま、少しだけ顔を近づけた。
「優秀で誠に見事な部下の事務員であるノエル様のエスコートをされるなんて」
ノエルは動けなかった。
エリナの笑顔が、じわじわと圧力として迫ってきた。
「ノエル様は仰ってましたわよねえええ」
エリナの声が、周囲に聞こえない程度の音量で、しかし確実に、ノエルの耳に届いた。
「借金の形の事務員だってぇぇええ」
「私も言いましたわよねえええ」
「自分の立場をしっかりと覚えておけってぇぇぇええ」
「なぁぁああんで、ノエル様のエスコート役がライアス様なのかしらぁぁぁああ!!」
笑顔だった。
完璧な笑顔のまま、放たれていた。
周囲には聞こえていなかった。
グレイン団長もライアスも、気づいていなかった。
しかしノエルには、全てが届いていた。
(怖い)
(これは怖い)
(ドラゴンがブレスを吐くような圧倒的な威圧感が、笑顔の形をして放たれている)
(物理的な暴力かのように、押し潰してくる)
(泣きそうだ)
何とか、表情を保った。
「えーとですね。エスコートにつきましては、私が頼りないので、ライアス様が責任感で守ってくださっているというか」
ノエルは言った。
エリナが、笑顔のまま言った。
「嘘ですわね」
一言だった。
鋭かった。
「では、貴方のそのドレスは何ですの」
エリナが、ノエルのドレスを見た。
「青と銀の彩り。それはまさに、ヴァルトハイン公爵家の色」
ノエルは少し、止まった。
(青と、銀)
(ヴァルトハイン公爵家の、色)
(待って)
(待って待って待って)
(そういやそうだ!!!)
(ライアス様のイメージカラーだ!!!)
(ライアス様がこの色にしたのは、何となく分かるけど)
(よく考えたら、周囲からはそう見られるわな!!!)
「そんなドレスを身に纏って、ライアス様にエスコートされて」
エリナの声が続いた。
「それが、頼りないから仕方なくエスコートですってぇぇええ!」
エリナが持っている扇が、ミシミシと音を立てそうなほど、握りしめられていた。
「あり得ないでしょうがぁぁああ!!」
笑顔のまま言われた。
(脳内で号泣しながら、ノエルは考えた)
(ライアス様が意図してこの色を選んだのか、それとも別の理由があったのか)
(考えかけて、答えが出なかった)
(出なかったが、今はそれより目の前の問題が深刻だ)
「……ライアス様の、人形」
エリナが、ぽつりと言った。
「へ!?」
思わず声が出た。
エリナが、ノエルをじっと見た。
「ライアス様の人形で、今回のことを水に流して差し上げますわ」
そっぽを向いていた。
頬が、若干赤かった。
(この人、ライアス人形のことを知っている)
ノエルは少し驚いた。
(戦争の間、常にライアス様と一緒にいたから、どこかで見たか聞いたか)
常に一緒に、という言葉が、頭の中で繰り返された。
何か、モヤモヤした。
何がモヤモヤしているのか、言葉にしようとした。
できなかった。
(今は考えない)
ノエルはそのモヤモヤを振り払った。
エリナに向き直った。
「えと、ライアス様の人形ですが」
ノエルは少し、申し訳なさそうに言った。
「ちょっと色々ありまして、作成は自重しておりまして。公爵様の人形を、簡単に何個もお作りするわけにもいきませんので」
エリナが、固まった。
「え」
一言だった。
それから、エリナの肩が、少しだけ落ちた。
「そ、そうなのですね」
しゅんとしていた。
明らかに、しゅんとしていた。
あの凛とした令嬢が、扇をぎゅっと握りしめたまま、しゅんとしていた。
(何だかわからないが)
(やっぱり可愛いな、この生き物)
ノエルは内心でそっと思った。
そこへ。
「ノエル」
ライアスが戻ってきた。
グレイン団長と話を終えたようだった。
「陛下への報告がある。団長とエリナと共に、また少し席を外さなければならない。大丈夫か」
ノエルは、はっきりと頷いた。
「大丈夫です。行ってきてください」
コクコクと、二度三度、頷いた。
早くエリナを連れて行ってください、という意思が、全力で込められていた。
ライアスが、エリナとグレイン団長と共に歩き出した。
エリナが歩きながら、一度だけ振り返った。
ノエルと目が合った。
エリナが、また完璧な笑顔を作った。
しかしその笑顔の奥に、さっきとは少し違う色があった。
(またね、という顔だ)
(次も来る気だ)
(絶対にまた来る気だ)
ノエルは微笑みで返した。
三人の背中が遠ざかっていった。
ノエルは静かに息をついた。
(疲れた)
本当に疲れた。
飲み物を一口飲んだ。
広間を見渡した。
煌びやかな光の中、人々が話し、笑い、踊っていた。
少し落ち着いた。
ふと、顔を上げた。
そこに、笑顔の男が立っていた。
フェルトン侯爵だった。




