祝賀会(ノエル視点)
【ノエル視点】
会場に入った瞬間、空気が変わった。
煌びやかな光の中に、無数の視線があった。
ざわめきが、小さく、しかし確実に広がっていた。
ノエルはそれを感じながら、前を向いた。
ライアスの腕が、温かかった。
それだけを頼りに、歩いた。
◇
謁見は、想像以上に緊張した。
王様というのは、ゲームの中でも登場するが、目の前にいる存在として認識したのは初めてだった。
(脳内パニック最高潮)
(でも顔には出さない)
(出したら終わりだ)
ライアスが一番最初に謁見を行った。
最も高い爵位を持ち、今回の勲章授与の筆頭として。
その挨拶を、ノエルは隣で静かに聞いていた。
王様と横に並ぶ王族が、それを返した。
そして、王様の視線が、ノエルに向いた。
(来た)
(来てしまった)
(落ち着け)
(私は伯爵家の娘だ)
(カーテシーは貴族教育で習った)
(できる)
ノエルはカーテシーを行った。
体勢を崩さなかった。
完璧かどうかはわからない。
しかし、崩れなかった。
(よかった)
心の底から、そう思った。
「アルベルトからも聞いているが」
王様が、静かに言った。
「ヴァルトハイン領の財政改善に大きく貢献した、優秀な事務官と。その手腕、誠に見事と言えよう」
ノエルは、一瞬、固まった。
(王様が、私に話しかけている)
(私に、直接)
(ど、どういう顔をすればいいのか)
「もったいないお言葉でございます」
何とか、声が出た。
周囲から、小さなざわめきが聞こえた。
(なんでざわめいているんだ)
(よくわからないが、とにかく前を向こう)
謁見が、終わった。
◇
給仕から飲み物を受け取り、広間の端に移動した。
ライアスが隣に立っていた。
「初めての謁見にしては、堂々としていて立派だった」
ライアスが言った。
(死ぬかと思った)
心の底からそう思いながら、ノエルは顔には出さなかった。
「ありがとうございます」
答えながら、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。
ライアスに褒められると、やはり嬉しかった。
推し活とは少し違う温かさだった。
そのことを考えかけて、またすぐに別の方向に意識を向けた。
(今は、考えない)
周囲の視線とヒソヒソ声は、相変わらずだった。
煩わしいが、仕方がない。
そう思って、受け止めた。
◇
会場がダンスタイムに入った頃から、声をかけてくる人間が増えた。
最初に来たのは、若い貴族男性だった。
「ベルナード嬢、よろしければ一曲」
ライアスが、男性に向かって静かに言った。
「彼女はまだ正式に社交界に出ていないため、フロアでのダンスは辞退している」
男性が、一礼して去った。
次に来たのは、別の男性だった。
「ベルナード嬢、領地運営についてお話を」
「彼女は本日、私の随行として参加している。業務上の話は後日、公爵家を通じて」
また去った。
その次も、その次も。
ライアスが、次々と理由を変えながら、追い払っていった。
(閣下、理由のバリエーションが豊富だ)
(ちゃんと毎回違う理由を考えている)
(真剣な顔でやっているところが、また良い)
ノエルは飲み物を口に運びながら、内心でそっとそう思った。
◇
そこへ、騎士団の団員がライアスに近づいてきた。
小声で何かを告げた。
ライアスが、わずかに眉を動かした。
「申し訳ないが、少しだけ席を外さなければならない。騎士団側で対応が必要な案件があるようだ」
「大丈夫ですよ。行ってきてください」
「すぐに戻る」
ライアスが離れた。
ノエルは広間を見渡した。
(さて)
(壁の花になろう)
広間の壁際に移動した。
飲み物を手に、静かに立った。
(これはゲームでいう、一人行動イベントだ)
(何かが起きる予感がする)
(楽しみだ)
その予感は、すぐに当たった。
◇
五人の令嬢が、こちらに向かってきた。
先頭に立つのは、年齢はノエルより少し上だろうか、整った顔立ちの令嬢だった。
後から調べれば、とある侯爵家の令嬢だとわかる。
令嬢が、ノエルを上から下まで見た。
それから、笑顔を作った。
「まあ、可愛らしいお嬢さん。お父様とはぐれてしまったの?」
(きゃああああああ!!!)
(令嬢に絡まれている!!!)
(これはゲームのハラスメントイベントだ!!!)
(自分がそちら側に立つのは初めてだ!!!)
(ちょっと楽しい!!!)
顔には出さなかった。
微笑みで、返した。
「まあ、ご丁寧に。ベルナード伯爵令嬢のノエルと申します」
令嬢の目が、わずかに細くなった。
バカにされたと感じたのだろう。
「公爵閣下もお人が悪いわ」別の令嬢が続けた。「このような夜更けまで、まだ夜会の作法もご存知ないお方を、お連れになるなんて」
ノエルは微笑みのまま聞いていた。
(続きをどうぞ)
侯爵令嬢が、畳み掛けた。
「公爵家の帳簿を拝見して差し上げているとか? まあ、伯爵家のご令嬢が、まるで商家の番頭のような真似をなさるなんて」
「公爵閣下も大変ですわね」別の令嬢が笑った。「雇った事務員のご機嫌をとるために、わざわざ夜会にまで付き合わされるなんて」
ノエルは、その瞬間。
目を輝かせた。
両手を、パチンと合わせた。
「まあっ! 皆様、公爵領の財政改革にご興味がおありなんですね!? 嬉しいですわ!」
令嬢たちが、一瞬、固まった。
「……は? 改革?」
「ええ! 先程『商家の番頭のよう』と仰ってくださいましたよね? それこそが公爵様の卓見なんです! 公爵様は私の提案を真摯に聞いてくださり、領地の遊休資産を精査し、非効率な予算配分を見直して、新規の灌漑設備と街道整備への投資に回されたのですよ。その結果、領地の農業生産が大幅に向上し、税収の安定化にも繋がりましたの!」
「ち、違いますわ! わたくしたちは、ご令嬢が金勘定などとご品位が、と……!」
「そうですよね、資産を眠らせたままではもったいないですわ!」
ノエルは満面の笑みで、全く話を聞かなかった。
「得た利益は領民の生活向上と教育に再投資されているんです! おかげで治安の安定と人材育成が同時に達成されて、長期的な領地の発展基盤が整いつつありますの。もし皆様のお家でも、活用されていない領地や滞留している資産がおありでしたら、ぜひ一度見直されることをお勧めしますわ! 収益の再投資効果を試算してみると、数年後の見通しが劇的に変わりますのよ。よろしければ、後日わたくしが計算の考え方をお教えいたしましょうか? いつでもご相談に乗りますわよ!」
満面の笑みだった。
有無を言わさぬ勢いだった。
令嬢たちが、じりじりと後退していた。
侯爵令嬢の顔が、引きつっていた。
「け、結構ですわ! ごきげんよう!」
そう言って、踵を返した。
他の令嬢たちが、慌てて後に続いた。
遠ざかっていく背中を見ながら、ノエルは少しだけ思った。
(少し言い過ぎたかもしれない)
いや、でも。
(向こうから来たんだしな)
まあいいか、という結論に達した。
その令嬢集団とすれ違うように、ライアスが戻ってきた。
「ノエル、大丈夫だったか。何かあったのか」
ノエルは飲み物を一口飲んだ。
「勉強熱心なご令嬢に、ちょっとお勉強をしていただけですわ」
さらりと答えた。
ライアスが、去っていく令嬢たちの後ろ姿と、ノエルを見比べた。
しばらく、黙っていた。
それから。
口元が、わずかに動いた。
「なるほど。良い勉強になっただろうな」
愉快そうだった。
いつもの無表情ではなかった。
完全に笑っているわけでもなかった。
しかし確かに、そこに笑いがあった。
その表情を見た瞬間、広間のあちこちから、どよめきが起きた。
ノエルも、そのどよめきを聞いた。
(そうか)
(ライアス様が、こういう表情をすること自体が、この場では珍しいのか)
改めて、そう思った。
隣に立つライアスを、横目で見た。
もう表情は戻っていた。
いつもの無表情だった。
しかし今日はもう何度も、いつもと違う表情を見た。
(今日は、随分と色々な顔を見た)
ノエルはそっと前を向いた。
祝賀会の夜は、まだ続いていた。




