公爵からのお願い(ベルナード伯爵視点)
【ベルナード伯爵視点】
私は今、非常に混乱している。
授与式が始まる前の、王宮の廊下でのことだった。
ヴァルトハイン公爵が、私に声をかけてきた。
「ベルナード伯爵、少しよろしいか」
振り返った。
公爵が立っていた。
礼装姿の、完璧な出で立ちだった。
しかしその表情が、いつもと少し違った。
どこか、慌てているように見えた。
(この青年が、慌てている?)
それだけで、私は少し驚いた。
「本日夜の祝賀会のことだが」公爵が言った。「ノエル嬢のエスコートを、させてもらえないだろうか」
私は、少し止まった。
(エスコート)
デビュー前の令嬢のエスコートは、基本は父か兄が行う。
ノエルに兄はいない。
だから本日の祝賀会のエスコートは、当然自分がする予定だった。
「……理由をお聞きしてもよろしいですか」
公爵が、頷いた。
そして、話し始めた。
やや、早口だった。
「今回ノエル嬢が王室から招待されたのは、ヴァルトハイン領の財政改善に大きく貢献したためだ。それが貴族内で知られれば、各家から我が家にも助言をという声が彼女に殺到する可能性がある。また彼女はこういった夜会に慣れていない。良からぬ思惑で声をかける不埒な輩も出てくるかもしれない。私は名目上、彼女の上司的立場にある。彼女の安全を守るために、そばにいるべきだと考えた。それに、公爵領にはまだまだ彼女の助けが必要だ。他領に彼女の手腕を取られるわけにはいかない。どうか、公爵家の思いを汲んでいただけないだろうか」
言い終えた。
私は、しばらく黙っていた。
(色々と言ったが)
頭の中で、整理した。
財政改善の件。安全の確保。上司としての立場。他領への牽制。
(この青年、随分と色々な言い訳を考えたものだ)
言い訳、という言葉が自然に浮かんだ自分に、私は少し驚いた。
しかし、そうとしか思えなかった。
ドレスを贈りたいと言ってきたとき、一瞬だけ脳裏を掠めて、すぐに不敬だと否定したことがある。
まさか公爵はノエルのことを、と。
しかし今、目の前でやや早口に理由を並べ立てるこの青年を見ていると。
(まさか、本当に)
その考えが、先ほどより少しだけ、強くなった。
確信はなかった。
しかし、疑いが深まったのは確かだった。
それと同時に、別のことも気になった。
(この青年、自分がデビュー前の令嬢をエスコートすることで、他の貴族たちからどう見られるか、わかっているのだろうか)
社交界において、特定の令嬢のエスコートを申し出るという行為が持つ意味を。
女性との浮いた噂一つなく、むしろ異性が苦手とまで噂されるこの公爵が。
デビュー前の娘のエスコートを申し出る。
もちろん、公爵ほどの立場にあれば、その程度の社交上の意味くらい知識としては知っているはずだ。
知らないのではない。
ただ、その意味を今の自分の行動に結びつけて考えていないのだろう。
(わかっていないな、これは)
そう判断した。
完全に、わかっていなかった。
大真面目に、ノエルのそばにいるための正統な理由を並べ立てているだけだった。
「その、どうだろうか」
公爵が、再度聞いてきた。
少し、不安そうだった。
この慌ただしい時間に。
間もなく授与式が始まろうとしているこの時間に。
公爵は謁見の間での自分の立場より、夜の祝賀会でノエルのエスコートができるかどうかを、気にしていた。
(今まで抱えていたイメージが、崩れていく)
冷静沈着で、感情を表に出さない公爵、という印象が。
しかしそれは、嫌なものではなかった。
ノエルは、少々、それなりに、だいぶ、激しく、心配になるほどに個性的な娘だ。
伯爵家の財政が苦しくなった時も、文句一つ言わずに帳簿を整え、私の代わりに家を支えてきた。
そんな娘に、借金の清算と引き換えに公爵家へ行ってもらった。
申し訳ないと、ずっと思っていた。
しかし目の前のこの青年は、そのノエルに対して、大真面目に、一生懸命に、エスコートを申し出ている。
どういう形であれ、大切にしてもらっているのだということは、わかった。
(それを、父として、嬉しいと思う)
それと同時に。
(少し、面白いとも思ってしまうのだが)
私は咳払いを一つした。
「ヴァルトハイン公爵様」
「はい」
「娘をよろしくお願いします」
公爵が、少し、ホッとしたような顔をした。
一瞬だけ、そういう顔をした。
すぐに真顔に戻った。
「ああ。上司として、ノエル嬢には誰も近づかせない」
(上司として、か)
その言葉に、私は少し引っかかった。
上司として、という言葉が。
この状況で、その言い方を選ぶということが。
(照れ隠しだな、これは)
そう思いながら、私は続けた。
「公爵様、本日の授与式の主役はあなたでございます。控えの間にお急ぎください。娘には私から伝えておきます」
「そうか。よろしく頼む」
公爵は短くそう言って、控えの間の方向に歩き出した。
その背中を見ながら、私は少し思った。
(エスコートの件、ノエルに伝えたら、どんな反応をするだろうか)
あの娘のことだ。
まず最初に言うのは、感謝でも喜びでもないだろう。
(何か変なことを言い出すに違いない)
そう思ったら、自然と口元が緩んだ。
笑みを浮かべながら、私はノエルを探しに歩き出した。




