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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
動き出す脅威

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授与式当日の朝(ライアス視点)

【ライアス視点】


 授与式の当日だった。


 王宮に向かう前の、準備の時間だった。

 ライアスは鏡の前に立っていた。

 礼装を身につけた自分を、静かに確認していた。


 ふと、ここ数日のことが、頭に浮かんだ。



 ノエルが父親のホテルから戻ってきた日のことだった。


 執務室の扉が、勢いよく開いた。


「か、かかかか閣下!」


 ライアスは書類から顔を上げた。

 ノエルが立っていた。

 顔が赤かった。


「どうされたのですか、あのドレスは!」


「……ドレス?」


「経費の帳簿を確認しましたが、あのようなドレスの金額は一切ございませんでした! どこからあの費用が!」


(第一声がそれか)


 ライアスは内心で、少し呆れた。


 感謝でも、驚きでも、喜びでもなく。

 経費の確認だった。


 これがノエルの面白いところだとも、同時に思った。


「あのドレスは経費ではない。私の個人資金から出している」


 ノエルが、口を開いた。

 しかし声が出なかった。

 口だけが、ぱくぱくと動いていた。


 その様子を、ライアスは表情を変えずに見ていた。


(面白い)


 そう思いながら、続けた。


「勲章の授与式は謁見の間で行われる。君は入れない。だが、その後の祝賀会には参加できる。公爵領でずっと働きづめだったことへの感謝の意味も含めて、ドレスを贈らせてもらった」


 ノエルがようやく声を取り戻した。


「き、気に入らなかったということでは、もちろんないのですが」


「では何が問題だ」


「自分は、まだ、デビュタントをしておりませんので」


 言い辛そうに、ノエルが言った。


「それについては問題ない。アルベルトからの招待状がある」


「……は」


「王家からの招待状は、拒否できない。正式なものだ」


「……は?」


「祝賀会への参加は確定している」


 ノエルが、完全に、固まった。


(アルベルトがこういう動きをするだろうとは、薄々思っていた)


 あの男のことだ。

 功績評価と称しながら、実際は面白がっているのが半分だ。

 長年の親友として、そのくらいはわかる。


 ライアスはそれを黙認した。

 ノエルが王都に来る機会はそう多くない。

 せっかくなら、祝賀会という場を経験させてやりたいとも思っていた。


「で、でも」ノエルが続けた。「あんな素晴らしいドレス、私に着こなせるかどうか」


「仕立て屋を手配した。サイズの調整は授与式までに済む」


「そういうことじゃなくて」


 ノエルが、少し眉を寄せた。


「こんな田舎娘に、あんな華美なドレス、完全にドレスになめられます」


 半泣きだった。

 本気で心配していた。


 ライアスは少し、止まった。


(田舎娘)


(ドレスになめられる)


 ノエルの顔を見た。

 顔立ちは整っていた。

 スタイルも、問題がなかった。


 どこをどう見ても、あのドレスが似合わない要素が見当たらなかった。


(何を言っているんだ、この娘は)


 しかし、ノエルは本気だった。

 本気で心配していた。


 ライアスは何か言おうとした。

 しかし、何を言えばいいのかが、わからなかった。


 ノエルの言っていることが、根本的に理解できなかった。



 鏡の前で、ライアスは気づいた。


 自分の口元が、わずかに動いていた。

 笑っていた。


(……笑っているのか、私は)


 少し、驚いた。

 こういう顔が自分にできるとは、以前は思っていなかった。


 ノエルが来てから、こういうことが増えた。

 自分が知らなかったことを、知る機会が増えた。

 笑えることも、その一つだった。


(最近、知らなかったことばかり知る)


 そう改めて思った。


 扉が、ノックされた。


「閣下、ベルナード様のご用意が整いましたとのことです」


 執事長の声だった。


「わかった」


 ライアスは鏡から離れた。

 礼装を一度確認して、扉を開けた。


 廊下を歩いた。

 タウンハウスの玄関前の広間に向かった。


 広間に入った瞬間、中央に人影を見つけた。

 後ろ姿だった。

 青と銀のドレスを身につけていた。


 メイドに整えられたのだろう、髪が丁寧に結い上げられていた。


 ライアスが声をかけようとした。


 その前に、人影が気づいたのか、こちらを振り返った。


 ノエルだった。


 言葉が、出なかった。


 周囲の景色が、遠のいた。

 石畳も、シャンデリアも、壁も、消えた。

 ノエルだけが、そこにいた。

 そこだけが、光り輝いているように見えた。


 ノエルがライアスを見た。

 少し、笑った。

 それから、照れたようにうつむいた。


 ライアスは何かを言うべきだと思った。


 目の前のノエルが素晴らしいと。

 美しいと。

 そのドレスが似合っていると。


 しかし。


 口が、動かなかった。

 声が、出なかった。


 言葉というものを、自分は知っていたはずだった。

 しかし今この瞬間、何一つ出てこなかった。


 広間に、静かな沈黙があった。

 これまでのどの沈黙とも、違う種類の沈黙だった。

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