授与式当日の朝(ライアス視点)
【ライアス視点】
授与式の当日だった。
王宮に向かう前の、準備の時間だった。
ライアスは鏡の前に立っていた。
礼装を身につけた自分を、静かに確認していた。
ふと、ここ数日のことが、頭に浮かんだ。
◇
ノエルが父親のホテルから戻ってきた日のことだった。
執務室の扉が、勢いよく開いた。
「か、かかかか閣下!」
ライアスは書類から顔を上げた。
ノエルが立っていた。
顔が赤かった。
「どうされたのですか、あのドレスは!」
「……ドレス?」
「経費の帳簿を確認しましたが、あのようなドレスの金額は一切ございませんでした! どこからあの費用が!」
(第一声がそれか)
ライアスは内心で、少し呆れた。
感謝でも、驚きでも、喜びでもなく。
経費の確認だった。
これがノエルの面白いところだとも、同時に思った。
「あのドレスは経費ではない。私の個人資金から出している」
ノエルが、口を開いた。
しかし声が出なかった。
口だけが、ぱくぱくと動いていた。
その様子を、ライアスは表情を変えずに見ていた。
(面白い)
そう思いながら、続けた。
「勲章の授与式は謁見の間で行われる。君は入れない。だが、その後の祝賀会には参加できる。公爵領でずっと働きづめだったことへの感謝の意味も含めて、ドレスを贈らせてもらった」
ノエルがようやく声を取り戻した。
「き、気に入らなかったということでは、もちろんないのですが」
「では何が問題だ」
「自分は、まだ、デビュタントをしておりませんので」
言い辛そうに、ノエルが言った。
「それについては問題ない。アルベルトからの招待状がある」
「……は」
「王家からの招待状は、拒否できない。正式なものだ」
「……は?」
「祝賀会への参加は確定している」
ノエルが、完全に、固まった。
(アルベルトがこういう動きをするだろうとは、薄々思っていた)
あの男のことだ。
功績評価と称しながら、実際は面白がっているのが半分だ。
長年の親友として、そのくらいはわかる。
ライアスはそれを黙認した。
ノエルが王都に来る機会はそう多くない。
せっかくなら、祝賀会という場を経験させてやりたいとも思っていた。
「で、でも」ノエルが続けた。「あんな素晴らしいドレス、私に着こなせるかどうか」
「仕立て屋を手配した。サイズの調整は授与式までに済む」
「そういうことじゃなくて」
ノエルが、少し眉を寄せた。
「こんな田舎娘に、あんな華美なドレス、完全にドレスになめられます」
半泣きだった。
本気で心配していた。
ライアスは少し、止まった。
(田舎娘)
(ドレスになめられる)
ノエルの顔を見た。
顔立ちは整っていた。
スタイルも、問題がなかった。
どこをどう見ても、あのドレスが似合わない要素が見当たらなかった。
(何を言っているんだ、この娘は)
しかし、ノエルは本気だった。
本気で心配していた。
ライアスは何か言おうとした。
しかし、何を言えばいいのかが、わからなかった。
ノエルの言っていることが、根本的に理解できなかった。
◇
鏡の前で、ライアスは気づいた。
自分の口元が、わずかに動いていた。
笑っていた。
(……笑っているのか、私は)
少し、驚いた。
こういう顔が自分にできるとは、以前は思っていなかった。
ノエルが来てから、こういうことが増えた。
自分が知らなかったことを、知る機会が増えた。
笑えることも、その一つだった。
(最近、知らなかったことばかり知る)
そう改めて思った。
扉が、ノックされた。
「閣下、ベルナード様のご用意が整いましたとのことです」
執事長の声だった。
「わかった」
ライアスは鏡から離れた。
礼装を一度確認して、扉を開けた。
廊下を歩いた。
タウンハウスの玄関前の広間に向かった。
広間に入った瞬間、中央に人影を見つけた。
後ろ姿だった。
青と銀のドレスを身につけていた。
メイドに整えられたのだろう、髪が丁寧に結い上げられていた。
ライアスが声をかけようとした。
その前に、人影が気づいたのか、こちらを振り返った。
ノエルだった。
言葉が、出なかった。
周囲の景色が、遠のいた。
石畳も、シャンデリアも、壁も、消えた。
ノエルだけが、そこにいた。
そこだけが、光り輝いているように見えた。
ノエルがライアスを見た。
少し、笑った。
それから、照れたようにうつむいた。
ライアスは何かを言うべきだと思った。
目の前のノエルが素晴らしいと。
美しいと。
そのドレスが似合っていると。
しかし。
口が、動かなかった。
声が、出なかった。
言葉というものを、自分は知っていたはずだった。
しかし今この瞬間、何一つ出てこなかった。
広間に、静かな沈黙があった。
これまでのどの沈黙とも、違う種類の沈黙だった。




