王都へ(ノエル視点)
【????視点】
そこは、光のない場所だった。
青白い炎が壁に沿って揺れ、広大な石のテーブルを中心に、六つの椅子があった。
その一つから、音が鳴った。
拳が、テーブルを叩いた音だった。
背筋の真っ直ぐな男が、立ち上がっていた。
いつもと違った。
いつもは微動だにしない男が、テーブルに両手をついて、立っていた。
「排除できれば上々と言った」
男の声が、低く部屋に響いた。
「できなくても材料になると言った」
また言った。
「では聞く。バーサーカー状態の兵を、ほぼ一人で全滅させるというのは、どういう材料だ」
誰も答えなかった。
橙色の髪の娘が、頬杖をついたまま口の端を上げた。
「まあまあ、落ち着きなって」
「落ち着いていられるか」
男の声が、初めて、明確な感情を帯びた。
「あれだけの数だ。バーサーカー状態の兵が、何千といた。それをほぼ一人で全滅させた。正気の沙汰ではない」
「同意する」
白金の髪の女が、静かに口を開いた。
「ヴァルトハイン公爵の危険性は、今回の件で確定した。あの男は、我々の計画において無視できない存在になった」
「無視できない、どころではない」
影の中に沈んだ人物が、ぼそりと言った。
「俺たちだって、単独であれだけの数のバーサーカー兵を相手に、一人で全滅させられるか?」
沈黙があった。
答えは、出なかった。
橙色の髪の娘が、珍しく、頬杖から手を外した。
「……そう言われると、ちょっと微妙なんだけど」
「微妙、では済まない」
黒髪の男が腕を組んだ。
「あの公爵が覚醒した原因が特定できていない。何が引き金になったのか、わからないまま放置するのは危険だ」
「加えて」
白金の女が続けた。
「王太子もいた。あの二人が共に動くとなれば、我々の計画の根幹に影響する」
また、沈黙があった。
部屋の奥。
最も暗い場所に座る人物が、ゆっくりと目を開けた。
全員が、その動きに気づいた。
自然と、声が止まった。
人物は、全員を一瞥した。
それだけで、部屋の空気が変わった。
「想定外の事態だ」
静かな声だった。
感情がなかった。
「ヴァルトハインは、退場してもらう」
それだけ言って、目を閉じた。
また沈黙があった。
影の中の人物が、ゆっくりと手を挙げた。
「私がやろう」
ぼそりとした声だった。
「暗殺なら、私の領分だ」
誰も反論しなかった。
黒髪の男が、静かに頷いた。
白金の女が頷いた。
橙色の娘が、今度は笑わずに頷いた。
背筋の真っ直ぐな男が、ゆっくりと椅子に座り直した。
青白い炎が、静かに揺れた。
◇
【ノエル視点】
書類を整理していたら、グラントさんが執務室に入ってきた。
「ベルナード嬢、閣下がお呼びです」
「はい」
羽ペンを置いて、立ち上がった。
廊下を歩きながら、ノエルは特に何も考えていなかった。
呼ばれた理由も、何の書類の話かも、特に考えていなかった。
しかし執務室に入って、ライアスとグラントの顔を見た瞬間。
雰囲気が、いつもと少し違った。
「座れ」
「はい」
ノエルは椅子に座った。
ライアスが、机の上の書類を一枚、ノエルの方に向けた。
「王都から連絡が届いた」
書類を見た。
王家の紋章が入っていた。
「先の戦争での功績を讃え、勲章の授与と報奨金を授ける、とのことだ」
(すごい)
ノエルは書類を読みながら、内心でそう思った。
(戦場の血鬼と呼ばれてるだけある)
(ライアス様、本当に凄い人なんだなと改めて感じる)
(いや、知ってたけど)
「授与式のため、二週間ほど王都に行く」
「わかりました」
「それと」
ライアスが少し、ノエルを見た。
「君にも同行してほしい」
ノエルは少し、止まった。
「私が、ですか」
「そうだ。理由が二つある」
ライアスが続けた。
「一つ目。今回の授与式には、伯爵以上の上級貴族が参加する。ベルナード伯爵も来られる。しばらく顔を合わせていないだろう。良い機会ではないかと思った」
(お父様が)
しばらく会っていなかった。
公爵家に来てから、ずっと会えていなかった。
(それは、確かに会いたい)
「二つ目。アルベルトから連絡があった。内々に、我々に相談したいことがあると」
ノエルは、少し前を向いた。
(アルベルト殿下からの相談)
(ゲームの最高難度の隠しルートキャラが、直々に相談したいことがある)
(断る選択肢が、この宇宙のどこにも存在しない)
「かしこまりました。同行いたします」
「そうか」
ライアスが頷いた。
その顔は、いつも通りの無表情だった。
しかし、ほんの少しだけ、何かが違った気がした。
何が違うかは、わからなかった。
グラントが静かに口を開いた。
「出発は三日後を予定しております。馬車で半日ほどの道のりです」
「かしこまりました。準備しておきます」
ノエルは一礼して、執務室を出た。
廊下を歩き始めた。
王都への準備、お父様への挨拶、アルベルト殿下への対応、やることを頭の中で整理し始めた。
しかし。
そこで、ふと、気づいた。
(待って)
足が、止まった。
(三日後、王都へ)
(馬車で半日の道のり)
(ライアス様と)
(二人で)
(旅)
(これ)
(旅行では)
(旅行なのでは!!!!!!!!!!!!!!!)
廊下の壁に、背中をぺたりとつけた。
胸を押さえた。
心臓の主張が激しかった。
(落ち着け)
(落ち着くんだ)
(私は前世込みで四十年超の社会人だ)
(旅行と言っても公務の随行であって推し活とは違う)
(違うのだが)
(ライアス様と半日、馬車に乗るという事実は変わらない)
(半日だぞ)
(半日ずっと閉じた空間に)
(ライアス様と)
(二人で)
(半日)
ノエルは天井を見上げた。
深呼吸を三回した。
壁から背中を離した。
歩き出した。
廊下を歩きながら、ふと思い出したことがあった。
執務室に入った瞬間に、見えたものがあった。
ライアスの机の上。
書類や羽ペンが並ぶその隅に、小さな人形が置かれていた。
(あれ)
(あれ、私が作ったライアス人形では)
(机の上に、飾っていた)
(飾っていたんだ)
(呪いの魔道具じゃないかとジト目で疑って)
(私をじっと見ながらブツブツ言っていたくせに)
(ちゃんと机の上に飾っているんだ)
(しかも書類の隅の、ちょうど目に入る場所に)
ノエルは廊下の壁に、背中をぺたりとつけた。
(尊い)
(これは尊い)
(尊いが今それを噛み締める時間はない)
歩きながら、次のことを考えた。
(旅行までに、やらなければならないことがある)
(準備として、書類の引き継ぎ)
(グラントさんへの申し送り)
(お父様への手紙)
それと。
(ノエル人形を、作らなければならない)
そう決意した。
ライアスが今も人形を胸に持っていてくれている。
ならばノエルも、対になるものを用意しなければならない。
(設計はどうするか)
(ライアス人形は銀糸で髪を表現した)
(ノエル人形は茶色の糸で)
(ボタンも茶色の方が良いか)
(いや、目に相当するボタンを何色にするかは慎重に選ぶ必要がある)
(問題は布の色だ、ライアス人形と対になるなら素材を揃えた方が良いか)
気づいたら、自室の前まで来ていた。
扉を開けた。
中に入った。
針と糸と布の在り処を、頭の中で確認した。
ノエルは袖をまくった。
(旅行まで、三日ある)
(間に合う)
(間に合わせる)
(絶対に)




