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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第一章 公爵領 改革編

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夕焼けの空の下で(ライアス視点)

【ライアス視点】


 ノエルが後ろからついてきた。

 廊下を歩きながら、足音が聞こえた。


 いつも通りの、小気味よい足音だった。

 ライアスは前を向いたまま歩いた。


 どこへ向かっているか、ノエルには言っていなかった。

 聞いてこなかった。


(この娘は、いつもそうだ)


 余計なことを聞かない。

 ついてこいと言えば、ついてくる。


 信頼しているのか、それとも単に好奇心が勝っているのか、どちらかはわからなかった。


 屋敷の裏手に向かった。

 使用人もあまり通らない、静かな通路だった。


 突き当たりに、古い木の扉があった。

 ライアスは扉を開けた。


 石段があった。

 緩やかな坂が続いていた。


 二人で上った。

 ノエルは何も言わなかった。


 石段を上りきったところで、視界が開けた。



 高台だった。

 公都全体が、眼下に広がっていた。


 夕暮れの光が、街並みを橙色に染めていた。

 遠くに川が見えた。

 その向こうに、山の稜線が続いていた。


 空は広かった。

 雲が、夕日を受けてゆっくりと色を変えていた。


「……っ」


 ノエルが、小さく声を上げた。

 声にならない声だった。


 ライアスはノエルを見た。

 ノエルは眼下の景色を見ていた。


 目が、大きく開いていた。

 口が、少し開いていた。


 圧倒されている顔だった。

 景色に、完全に飲み込まれている顔だった。


 ライアスは前を向いた。

 自分にとっては、いつもの景色だった。

 子供の頃から、何度も見てきた景色だった。


(父が、ここへ連れてきてくれた)


 滅多に姿を見せない父が、珍しく時間を作って、ここへ連れて来た。

 何も言わなかった。

 ただ並んで、この景色を見ていた。

 それだけだった。


 父が逝ってからも、ライアスは時々ここへ来た。

 自分の立場を、言い聞かせるために。


 公爵とは何か。

 この街を守るとはどういうことか。


 それを、この景色を見ながら、一人で考えてきた。


 誰かをここへ連れてきたのは、今日が初めてだった。


(なぜ、ここへ連れてきたのか)


 自分でも、うまく答えられなかった。

 ただ、ここで話したかった。

 それだけだった。


「……綺麗ですね」


 ノエルが、静かに言った。


「ずっと見ていられます」


 ライアスは少し、ノエルを見た。


「そうか」


「閣下はよくここへ来るんですか」


「……たまに来る」


「一人で?」


「そうだ」


「素敵な場所ですね」


 それだけ言って、ノエルが、また景色を見た。

 


「一つ、話がある」


「はい」


「まもなく、戦争が始まる可能性がある」


 ノエルが、少し止まった。

 景色を見ていた目が、こちらを向いた。


「……東の国境付近で、動きがある。早ければ三ヶ月以内だ」


「そうですか」


 ノエルの声は、静かだった。

 取り乱してはいなかった。


「私も出兵することになる」


「……はい」


「その間の領地を、グラントと二人で頼みたい」


 ノエルが、少し頷いた。


「かしこまりました」


 短い返事だった。

 しかし揺れていなかった。


(やはりこの娘は、こういうときに崩れない)


 ライアスはそれを確認してから、ノエルの目を見て続けた。


「君に来てもらってから、公爵家は変わった」


 ノエルが、少し目を動かした。


「働く者たちの顔が明るくなった。屋敷の空気が変わった」


 思い出すのは、以前の公爵家だった。

 使用人たちが、淡々と仕事をこなしていた。


 不満があっても言えない。

 改善を求めることもできない。


 ただ毎日が、粛々と過ぎていくだけだった。


 今は違う。

 昔から働く使用人や未亡人たちが、笑顔で働いていた。

 子供たちが、声を上げて遊んでいた。


「書類の処理も、領地管理の把握も、以前より格段に見えるようになった」


 以前は、自分が何をしているのかが、ぼんやりとしていた。

 書類をこなす。指示を出す。

 しかし何がどう動いて、誰に届いているのかが、見えていなかった。


 今は違う。

 何が問題で、どこが改善されて、誰の生活がどう変わったか。

 それが、はっきりと見えた。


「グラントも、今まで見たことのない顔をするようになった」


 あの老家令が、口元を緩める場面を、ライアスは何度か目にしていた。

 五十年の奉公人が、珍しい表情を見せるようになった。

 それだけで、何かが変わったことがわかった。


「公爵家の外も、変わった」


 孤児院の光景が浮かんだ。

 レイが泣いていた夜が浮かんだ。


「あの夜、孤児院で、全員が揃った」


 ライアスは静かに続けた。


「あそこにいた全員が、それぞれに何かを抱えていた。それが少し、解けた夜だった」


 ノエルは黙って聞いていた。


「全部、君のおかげだ」


 ライアスは、夕焼けの空を見ながら言った。


「ありがとう、ノエル」


 言葉が、出た。

 そのまま、続けた。


「今まで私は、戦場へ行くことを、領地管理から逃げる口実にしていた」


 ノエルが、少し止まった気配があった。


「しかし今は違う。領地のことを考えて、王国を守り、領民を守るために、戦場へ行く。そして帰ってきたとき、グラントと君でさらに良くなった領地を見るのが楽しみだ」


 夕日が、少し傾いた。

 橙色の光が、公都の街並みをさらに深く染めていた。


「必ず帰ってくる。それまで、よろしく頼む、ノエル」


 少し間があった。


「は」


 ノエルの声がした。


「は、はひ」


 呂律が、回っていなかった。


 ライアスは少し、ノエルを見た。

 ノエルは、夕焼けの空へ顔を向けたまま、固まっていた。


 耳まで赤かった。

 口が、微妙に開いたまま止まっていた。


(また、あの顔だ)


 しかし今日のそれは、これまで見たどの顔とも少し違った。

 何かが、溢れそうになっているような顔だった。


 ライアスは前を向いた。

 胸の中で、何かが静かに動いていた。


 心臓が、いつもより少し速く打っていた。

 それが何故かを、今夜は考えないでおこうとした。


 しかし、できなかった。


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出兵か、、、
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