戦争の兆候(ライアス視点)
【ライアス視点】
アルベルトが公爵家を訪れたのは、午後のことだった。
事前に連絡はあったが、来るたびに思う。
この男は、いつも少し早い。
執務室で向かい合って座った。
アルベルトはいつもの温かそうな笑みを浮かべていた。
しかしその目は、笑っていなかった。
幼馴染だからこそわかる。
この目が笑っていないとき、この男は何かを測っている。
「久しぶりだな、ライアス」
「そうだな」
「領内の改革が随分と進んでいると聞いた」アルベルトは続けた。
「給与台帳の整理、未亡人の雇用、孤児院の設立。この短期間でよくここまで動いたな」
「必要なことをやっただけだ」
「謙遜するな」アルベルトは少し笑った。
「俺が把握している限り、王国内でこれだけ領内改革を同時に動かした領主は、ここ数年いない。しかも短期間で形にしている」
ライアスは何も言わなかった。
「これを考えたのは、お前か」
「違う」
アルベルトが少し、眉を動かした。
「では誰だ」
「公爵家の事務員だ」
「事務員」
「そうだ」
アルベルトがライアスを見た。
少し間があった。
「……その事務員というのは、どういう人間だ」
「優秀だ」
「それだけか」
「それだけだ」
アルベルトが少し、口元を動かした。
(この男が何かを測っている)
ライアスはそれを感じながら、表情を動かさなかった。
「未亡人の雇用と子供の預かり場所を作ること、傷を負った兵士の再雇用、孤児院の設立」アルベルトは続けた。
「これらは全部、現状の王国内ではまだほとんど手が付けられていない分野だ。それを一人の事務員が考えたのか」
「そうだ」
「その人間は、どこでそれを学んだ」
「知らない」ライアスは正直に言った。
「ただ、必要なことを見て、考えて、形にする。それができる人間だ」
アルベルトが少し、黙った。
「その事務員、一度会ってみたいな」
ライアスは少し、止まった。
(この男が興味を持った)
「今日は席を外させている」
「そうか」アルベルトは軽く言った。
「次の機会に」
(次の機会、か)
ライアスは何も言わなかった。
アルベルトが続けた。
「子持ちの女性が働ける環境を整えること、障害を負った兵士が社会に戻れる仕組みを作ること。これは俺も王都で考えてきた課題だが、なかなか動かせていない。お前の領地でそれが形になっているのは、素直に評価する」
「事務員の功績だ」
「しかし決断したのはお前だろう」
ライアスは少し、グラントに言われた言葉を思い出した。
「……そうだな」
「随分と素直になったな」アルベルトは少し笑った。
「以前のお前なら、そこで何でもないと言っていた」
ライアスは何も言わなかった。
アルベルトがしばらく、ライアスを見た。
「その事務員だが」
「なんだ」
「お前が随分と大切にしているようだな」
ライアスは、表情を動かさなかった。
動かさないように、した。
「優秀な人間を手放したくないのは当然だ」
「そういう意味で言っていない」アルベルトは静かに言った。
「お前が誰かの話をするとき、あの顔をするのを俺は初めて見た」
「どんな顔だ」
「それを自分で気づいていないなら、俺が言っても意味がない」
アルベルトは軽く笑って、話を変えた。
(この男は、いつもこうだ)
刺して、引く。
ライアスは内心で息をついた。
「それで」ライアスは言った。
「今日の本題は何だ。世間話をしに来たわけではないだろう」
アルベルトの表情が、少し変わった。
笑みが、引いた。
「わかっているな」アルベルトは静かに言った。
「東の国境付近で、動きがある」
ライアスは少し、前を向いた。
「どの程度だ」
「今すぐではない。ただ、放置できる規模でもない」アルベルトは続けた。
「早ければ三ヶ月以内に、動きが本格化する可能性がある」
「つまり、戦争だ」
「可能性が高い、という段階だ。しかし準備は始める必要がある」
ライアスは黙っていた。
「お前には出兵を頼むことになる。詳細はまた改めて伝える。今日はまず、知っておいてほしかった」
「わかった」
アルベルトが立ち上がった。
「その事務員の話、また聞かせてくれ」
「必要があれば」
「必要は俺が作る」アルベルトは軽く笑った。
「では」
扉が閉まった。
◇
一人になった執務室で、ライアスは少し、窓の外を見た。
三ヶ月以内。
戦争の準備。
出兵。
以前なら、そう聞いて何を思ったか。
(領地管理から離れられる、と思っていた)
しかし今、頭の中に浮かんできたのは、そういうことではなかった。
未亡人たちの顔が浮かんだ。
孤児院の子供たちの顔が浮かんだ。
カルロスとイルマが浮かんだ。
レントが浮かんだ。
レイが浮かんだ。
そして。
泣きながら笑っていたノエルの顔が浮かんだ。
(なぜ、今それが出てくる)
ライアスは少し、眉を寄せた。
答えは出なかった。
しかし頭から、離れなかった。
ライアスは立ち上がった。
今日中に、話しておかなければならないことがある。
廊下に出て、クラウスを探した。
「クラウス」
「はい」
「ベルナード嬢に、少し時間を作ってもらえるか伝えてくれ」
クラウスが少し、ライアスを見た。
「今日ですか」
「今日だ」
「かしこまりました」
クラウスが歩き出した。
ライアスは少し、廊下の窓の外を見た。
夕暮れが近かった。
まだ、間に合う。
◇
しばらくして、クラウスがノエルを連れてきた。
「閣下、お時間をいただけるとのことで」
「ありがとう。クラウス、少し席を外してくれ」
クラウスが一礼して、廊下の向こうに消えた。
ノエルがライアスを見た。
「何かございましたか」
「話がある」ライアスは言った。
「ついてきてくれ」
ノエルが少し、首を傾けた。
(何の話だろう、という顔をしている)
ライアスはそのまま歩き出した。




