孤児院の完成(ノエル視点)
【ノエル視点】
孤児院が完成したのは、白い服の連中が来た夜から、ちょうど二週間後のことだった。
公都の外れ、公爵家の土地にあった古い建物が、大工たちの手で見違えるほど変わっていた。
外壁を補修して、屋根を葺き直して、内側を整えた。
豪華ではない。
しかし清潔で、暖かくて、雨風をしっかりと防ぐ建物になった。
建物の正面には、公爵家の紋章が入った木の板が掲げてあった。
(これで、むやみに手を出しにくくなる)
ノエルはそれを確認しながら、今日の本番に備えた。
◇
午後、子供たちをスラムから連れてきた。
全員で来てもらうのは、今日が初めてだった。
十一名の子供たちが、孤児院の前に立った。
一番小さい子が、建物を見上げた。
「……おっきい」
「ここに住んでいいの?」
「本当に?」
小さい子たちが、ノエルの服の袖を引っ張りながら聞いた。
「住んでいいです」
「ここが、俺たちの?」
「そうです」
小さい子たちが、目を輝かせた。
しかし全員がそうではなかった。
少し年上の子たちは、建物を見ながら黙っていた。
警戒している目だった。
レイは腕を組んで、少し離れたところに立っていた。
ノエルはレイに近づいた。
「どうですか」
「……きれいだな」
レイは短く言った。
「ただ」
「ただ?」
「ここに入ったら、スラムはどうなる」
(縄張りを心配している)
「今すぐ何かするつもりはありません」
ノエルは正直に言った。
「ただ、皆が全員孤児院に入って、誰もスラムにいなくなったら、その区画は整理して別の使い方を考えることになります」
レイが少し、ノエルを見た。
「スラムは、厳密には皆のものでも、誰かのものでもありません。ただ、今ここに皆がいる間は、今すぐ何かをするということはしません」
「……正直だな」
「嘘はつきたくないので」
別の年上の子が、少し前に出た。
「きれいすぎる。俺たちには、もったいない気がする」
「取り上げられたりしないのか。前に助けてくれた兄ちゃんも姉ちゃんも、連れていかれた。また、そうなるんじゃないか」
(それが、一番の恐れなんだ)
「公爵家の建物です」
ノエルは言った。
「公爵家の管轄です。無関係の人間が勝手に動かすことはできません」
「公爵家って、信用できるのか」
「今まで何度も貴方たちに会いに行きました。約束を守りました。それだけは、事実です」
子供たちが、少し黙った。
レイがまた口を開いた。
「良いことには、裏がある。今まで、そうだった」
「裏があるかどうかは、私には証明できません」
ノエルは続けた。
「ただ、見てきた通りだと思っています。信じるかどうかは、皆さんが決めることです」
しばらく、沈黙があった。
ノエルは続けた。
「全員に今すぐ入ってほしいとは言いません。まず、体の小さい子と、体が丈夫でない子に入ってほしいです。この間、雨の夜に病気になった子がいました。また同じことになっても困るので」
小さい子たちが、ノエルを見た。
「まだスラムを離れる決心がつかない子は、すぐに入らなくていいです。ただ、勉強と食事には来てほしいです。ここは、入って住まなくても、来ていい場所にします」
しばらく、沈黙があった。
小さい子の一人が、ノエルを見た。
「……じゃあ、私、入る」
「俺も」
「俺も入る」
小さい子たちが、次々と手を上げた。
少し体の細い子も、頷いた。
年上の子たちは、まだ動かなかった。
レイも、動かなかった。
「中を見てみますか」
ノエルは年上の子たちに言った。
「住まなくていいので」
レイが少し、横の子たちを見た。
子供たちが、互いの顔を見合わせた。
「……見るだけなら」
レイが短く言った。
◇
小さい子たちが先に入って、年上の子たちが後ろからついていった。
中に入ると、小さい子たちが歓声を上げた。
「あったかい!」
「においがいい!」
「ここが寝る部屋?」
走り回りたそうにしている小さい子を、イルマが優しく制した。
「走るのは外でね。中では歩いて」
「はーい」
年上の子たちは、少し離れたところから室内を見ていた。
レイが、壁を触った。
しっかりしていることを確認するように、何度か叩いた。
窓の外を見た。
天井を見上げた。
(壊れないか確認している)
ノエルはそれを黙って見ていた。
レイが、ノエルを見た。
「……雨漏りはしないのか」
「しません。屋根を全部葺き直しています」
「床は抜けないか」
「補強しています」
レイが少し黙った。
「……悪くない」
それだけだった。
しかしその目が、入ってきたときより、少し柔らかくなっていた。
年上の子たちも、それぞれ部屋を覗いたり、壁を触ったり、窓を開けたりしていた。
誰も、何も言わなかった。
ただ、確かめていた。
ノエルはその様子を見ながら、何も言わなかった。
(今は、確かめてもらえばいい)
◇
小さい子たちと体の弱い子が、孤児院に入ることになった。
それをカルロスとイルマが迎えた。
「来たか」
カルロスが言った。
「入れ」
ぶっきらぼうだったが、声が少し緩んでいた。
イルマが子供たちの顔を見て、ひとりひとりの名前を確認した。
「ちゃんと覚えてあげるからね。ゆっくり教えてちょうだい」
小さい子の一人が、イルマの手をぎゅっと握った。
イルマが少し、目を細めた。
レントは入口の横の椅子に座って、子供たちを見ていた。
「騒ぐな。走り回るな。勝手に部屋に入るな」
子供の一人が、少し縮こまった。
「怖くはない」
レントは続けた。
「ただ、ルールがある。わかったら頷け」
子供たちが、一斉に頷いた。
「よし」
レントが短く言った。
◇
夜になった。
初めて孤児院に泊まる夜だった。
カルロスとイルマは、自分たちの寝室ではなく、子供たちの部屋に布団を持ち込んだ。
「なんで一緒に寝るの」
小さい子が聞いた。
「最初の夜だからだ」
カルロスが言った。
「怖くなっても、すぐに声をかけられる」
「怖くないよ」
「そうか。ならいい」
それだけだった。
しかしカルロスは布団を隅に置いて、子供たちが全員横になるのを確認してから、自分も横になった。
イルマが、小さい子の背中をゆっくりさすった。
しばらくして、小さい子が眠った。
別の小さい子も、眠った。
◇
その前に、一幕があった。
寝る時間になって、レントが廊下に立って言った。
「もう寝る時間だ」
鐘を小さく鳴らした。
コン、と短い音が廊下に響いた。
「はーい」
「もう寝るの?」
「まだ眠くない」
「眠くなくても、横になれ」
レントは言った。
「体を休める時間だ」
子供たちがざわざわしながら、それぞれの布団に入り始めた。
その中で、一番小さい子が、もじもじとしていた。
「どうした」
レントが言った。
「……トイレ」
「行ってこい」
「……暗い」
廊下は、夜になると薄暗かった。
小さい子が、廊下の方を見て、また布団の方を見た。
一人では行けない、という顔をしていたが、言い出せないでいた。
レントが少し、その子を見た。
何も言わずに、松葉杖を取った。
「ついていく」
「……いいの?」
「行くなら早くしろ。寝る時間が遅くなる」
小さい子が、ぱっと立ち上がった。
レントがゆっくりと廊下を歩いた。
小さい子が、レントの横にぴったりとついて歩いた。
廊下の暗がりの中で、レントの松葉杖の音だけが静かに響いた。
(レントさんが、ついていった)
部屋の中でカルロスが、それを見ていた。
目が合った。
二人とも、何も言わなかった。
イルマが、小さく笑っていた。
◇
その翌日から、変化が出始めた。
毎日、スラムから子供たちが通ってきた。
カルロスの授業に来た。
イルマの作った食事を食べた。
レントが鳴らす鐘で時間を知った。
最初は来るだけだった。
しかし数日経つと、少し年上の子の一人が、ノエルに言った。
「……今夜、ここに泊まってもいいか」
「もちろんです」
「スラムに戻るのが、少し、面倒になった」
「それで十分です」
その子が荷物を持ってきた翌日、もう一人が来た。
その翌日、また一人来た。
少しずつ、部屋が埋まっていった。
入る理由は、それぞれだった。
面倒になった子もいた。
夜が怖くなった子もいた。
イルマの飯が食いたかった子もいた。
理由はどうでもよかった。
来たいから来た。
それだけで十分だった。
◇
最初に泊まった夜から、十日ほど経った。
レイ以外の全員が、孤児院に入っていた。
残るのは、レイだけだった。
ノエルはレイに何も言わなかった。
来るたびに、普通に接した。
授業に来たら授業をした。
食事に来たら食事をした。
帰ろうとしたら、また来てほしいと言った。
それだけだった。
(レイが一人残っているのは、何かあったときにスラムに戻れるよう、帰る場所を守っているからかもしれない)
ノエルはそう思いながら、何も言わなかった。
急かすことが、一番いけないことだとわかっていた。
ある夕方、レイが食事を終えて、立ち上がった。
いつも通り、帰ろうとした。
ドアの前で、少し止まった。
振り返らなかった。
「……明日、荷物を持ってくる」
短く言った。
それだけ言って、出ていった。
部屋の中が、少し静かになった。
小さい子の一人が、ぱっと顔を輝かせた。
「レイも来る!」
「来るって言った!」
子供たちが騒ぎ始めた。
カルロスが「うるさい」と言った。
しかし口元が、わずかに動いていた。
イルマが台所の方で、少し肩を揺らした。
レントが窓の外を見ながら、静かに鐘の時間を確認していた。
その目が、少しだけ、潤んでいるように見えた。
しかしレントは何も言わなかった。
(気づかれないようにしているのかもしれない)
ノエルはそれを見ながら、静かに思った。




