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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第一章 公爵領の改革

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孤児院の完成(ノエル視点)

【ノエル視点】


 孤児院が完成したのは、白い服の連中が来た夜から、ちょうど二週間後のことだった。


 公都の外れ、公爵家の土地にあった古い建物が、大工たちの手で見違えるほど変わっていた。


 外壁を補修して、屋根を葺き直して、内側を整えた。


 豪華ではない。


 しかし清潔で、暖かくて、雨風をしっかりと防ぐ建物になった。


 建物の正面には、公爵家の紋章が入った木の板が掲げてあった。


(これで、むやみに手を出しにくくなる)


 ノエルはそれを確認しながら、今日の本番に備えた。



 午後、子供たちをスラムから連れてきた。


 全員で来てもらうのは、今日が初めてだった。


 十一名の子供たちが、孤児院の前に立った。


 一番小さい子が、建物を見上げた。


「……おっきい」


「ここに住んでいいの?」


「本当に?」


 小さい子たちが、ノエルの服の袖を引っ張りながら聞いた。


「住んでいいです」


「ここが、俺たちの?」


「そうです」


 小さい子たちが、目を輝かせた。


 しかし全員がそうではなかった。


 少し年上の子たちは、建物を見ながら黙っていた。


 警戒している目だった。


 レイは腕を組んで、少し離れたところに立っていた。


 ノエルはレイに近づいた。


「どうですか」


「……きれいだな」


 レイは短く言った。


「ただ」


「ただ?」


「ここに入ったら、スラムはどうなる」


(縄張りを心配している)


「今すぐ何かするつもりはありません」


 ノエルは正直に言った。


「ただ、皆が全員孤児院に入って、誰もスラムにいなくなったら、その区画は整理して別の使い方を考えることになります」


 レイが少し、ノエルを見た。


「スラムは、厳密には皆のものでも、誰かのものでもありません。ただ、今ここに皆がいる間は、今すぐ何かをするということはしません」


「……正直だな」


「嘘はつきたくないので」


 別の年上の子が、少し前に出た。


「きれいすぎる。俺たちには、もったいない気がする」


「取り上げられたりしないのか。前に助けてくれた兄ちゃんも姉ちゃんも、連れていかれた。また、そうなるんじゃないか」


(それが、一番の恐れなんだ)


「公爵家の建物です」


 ノエルは言った。


「公爵家の管轄です。無関係の人間が勝手に動かすことはできません」


「公爵家って、信用できるのか」


「今まで何度も貴方たちに会いに行きました。約束を守りました。それだけは、事実です」


 子供たちが、少し黙った。


 レイがまた口を開いた。


「良いことには、裏がある。今まで、そうだった」


「裏があるかどうかは、私には証明できません」


 ノエルは続けた。


「ただ、見てきた通りだと思っています。信じるかどうかは、皆さんが決めることです」


 しばらく、沈黙があった。


 ノエルは続けた。


「全員に今すぐ入ってほしいとは言いません。まず、体の小さい子と、体が丈夫でない子に入ってほしいです。この間、雨の夜に病気になった子がいました。また同じことになっても困るので」


 小さい子たちが、ノエルを見た。


「まだスラムを離れる決心がつかない子は、すぐに入らなくていいです。ただ、勉強と食事には来てほしいです。ここは、入って住まなくても、来ていい場所にします」


 しばらく、沈黙があった。


 小さい子の一人が、ノエルを見た。


「……じゃあ、私、入る」


「俺も」


「俺も入る」


 小さい子たちが、次々と手を上げた。


 少し体の細い子も、頷いた。


 年上の子たちは、まだ動かなかった。


 レイも、動かなかった。


「中を見てみますか」


 ノエルは年上の子たちに言った。


「住まなくていいので」


 レイが少し、横の子たちを見た。


 子供たちが、互いの顔を見合わせた。


「……見るだけなら」


 レイが短く言った。



 小さい子たちが先に入って、年上の子たちが後ろからついていった。


 中に入ると、小さい子たちが歓声を上げた。


「あったかい!」


「においがいい!」


「ここが寝る部屋?」


 走り回りたそうにしている小さい子を、イルマが優しく制した。


「走るのは外でね。中では歩いて」


「はーい」


 年上の子たちは、少し離れたところから室内を見ていた。


 レイが、壁を触った。


 しっかりしていることを確認するように、何度か叩いた。


 窓の外を見た。


 天井を見上げた。


(壊れないか確認している)


 ノエルはそれを黙って見ていた。


 レイが、ノエルを見た。


「……雨漏りはしないのか」


「しません。屋根を全部葺き直しています」


「床は抜けないか」


「補強しています」


 レイが少し黙った。


「……悪くない」


 それだけだった。


 しかしその目が、入ってきたときより、少し柔らかくなっていた。


 年上の子たちも、それぞれ部屋を覗いたり、壁を触ったり、窓を開けたりしていた。


 誰も、何も言わなかった。


 ただ、確かめていた。


 ノエルはその様子を見ながら、何も言わなかった。


(今は、確かめてもらえばいい)



 小さい子たちと体の弱い子が、孤児院に入ることになった。


 それをカルロスとイルマが迎えた。


「来たか」


 カルロスが言った。


「入れ」


 ぶっきらぼうだったが、声が少し緩んでいた。


 イルマが子供たちの顔を見て、ひとりひとりの名前を確認した。


「ちゃんと覚えてあげるからね。ゆっくり教えてちょうだい」


 小さい子の一人が、イルマの手をぎゅっと握った。


 イルマが少し、目を細めた。


 レントは入口の横の椅子に座って、子供たちを見ていた。


「騒ぐな。走り回るな。勝手に部屋に入るな」


 子供の一人が、少し縮こまった。


「怖くはない」


 レントは続けた。


「ただ、ルールがある。わかったら頷け」


 子供たちが、一斉に頷いた。


「よし」


 レントが短く言った。



 夜になった。


 初めて孤児院に泊まる夜だった。


 カルロスとイルマは、自分たちの寝室ではなく、子供たちの部屋に布団を持ち込んだ。


「なんで一緒に寝るの」


 小さい子が聞いた。


「最初の夜だからだ」


 カルロスが言った。


「怖くなっても、すぐに声をかけられる」


「怖くないよ」


「そうか。ならいい」


 それだけだった。


 しかしカルロスは布団を隅に置いて、子供たちが全員横になるのを確認してから、自分も横になった。


 イルマが、小さい子の背中をゆっくりさすった。


 しばらくして、小さい子が眠った。


 別の小さい子も、眠った。



 その前に、一幕があった。


 寝る時間になって、レントが廊下に立って言った。


「もう寝る時間だ」


 鐘を小さく鳴らした。


 コン、と短い音が廊下に響いた。


「はーい」


「もう寝るの?」


「まだ眠くない」


「眠くなくても、横になれ」


 レントは言った。


「体を休める時間だ」


 子供たちがざわざわしながら、それぞれの布団に入り始めた。


 その中で、一番小さい子が、もじもじとしていた。


「どうした」


 レントが言った。


「……トイレ」


「行ってこい」


「……暗い」


 廊下は、夜になると薄暗かった。


 小さい子が、廊下の方を見て、また布団の方を見た。


 一人では行けない、という顔をしていたが、言い出せないでいた。


 レントが少し、その子を見た。


 何も言わずに、松葉杖を取った。


「ついていく」


「……いいの?」


「行くなら早くしろ。寝る時間が遅くなる」


 小さい子が、ぱっと立ち上がった。


 レントがゆっくりと廊下を歩いた。


 小さい子が、レントの横にぴったりとついて歩いた。


 廊下の暗がりの中で、レントの松葉杖の音だけが静かに響いた。


(レントさんが、ついていった)


 部屋の中でカルロスが、それを見ていた。


 目が合った。


 二人とも、何も言わなかった。


 イルマが、小さく笑っていた。



 その翌日から、変化が出始めた。


 毎日、スラムから子供たちが通ってきた。


 カルロスの授業に来た。


 イルマの作った食事を食べた。


 レントが鳴らす鐘で時間を知った。


 最初は来るだけだった。


 しかし数日経つと、少し年上の子の一人が、ノエルに言った。


「……今夜、ここに泊まってもいいか」


「もちろんです」


「スラムに戻るのが、少し、面倒になった」


「それで十分です」


 その子が荷物を持ってきた翌日、もう一人が来た。


 その翌日、また一人来た。


 少しずつ、部屋が埋まっていった。


 入る理由は、それぞれだった。


 面倒になった子もいた。


 夜が怖くなった子もいた。


 イルマの飯が食いたかった子もいた。


 理由はどうでもよかった。


 来たいから来た。


 それだけで十分だった。



 最初に泊まった夜から、十日ほど経った。


 レイ以外の全員が、孤児院に入っていた。


 残るのは、レイだけだった。


 ノエルはレイに何も言わなかった。


 来るたびに、普通に接した。


 授業に来たら授業をした。


 食事に来たら食事をした。


 帰ろうとしたら、また来てほしいと言った。


 それだけだった。


(レイが一人残っているのは、何かあったときにスラムに戻れるよう、帰る場所を守っているからかもしれない)


 ノエルはそう思いながら、何も言わなかった。


 急かすことが、一番いけないことだとわかっていた。


 ある夕方、レイが食事を終えて、立ち上がった。


 いつも通り、帰ろうとした。


 ドアの前で、少し止まった。


 振り返らなかった。


「……明日、荷物を持ってくる」


 短く言った。


 それだけ言って、出ていった。


 部屋の中が、少し静かになった。


 小さい子の一人が、ぱっと顔を輝かせた。


「レイも来る!」


「来るって言った!」


 子供たちが騒ぎ始めた。


 カルロスが「うるさい」と言った。


 しかし口元が、わずかに動いていた。


 イルマが台所の方で、少し肩を揺らした。


 レントが窓の外を見ながら、静かに鐘の時間を確認していた。


 その目が、少しだけ、潤んでいるように見えた。


 しかしレントは何も言わなかった。


(気づかれないようにしているのかもしれない)


 ノエルはそれを見ながら、静かに思った。


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