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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第一章 公爵領の改革

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面談と想い(ライアス視点)

【ライアス視点】


 面談の日は、晴れていた。


 執務室に、グラントとベルナード嬢が同席した。


 最初に来たのは、カルロスだった。


 扉を開けて入ってきたとき、ライアスは少し、その立ち方を見た。

 右腕の袖が、肘から先で折り畳まれていた。

 しかし姿勢は、崩れていなかった。

 元兵士の立ち方だった。


「ヴァルトハイン公爵閣下」


 カルロスが一礼した。


「カルロス・ヴェイと申します」


「座れ」


 カルロスが椅子に座った。


 ライアスは書類を一枚手に取った。

 ベルナード嬢がまとめてくれた候補者の資料だ。


 カルロス・ヴェイ。

 元騎士団所属。左腕を戦傷により失う。識字、計算ともに可。妻帯者。子供なし。


「軍に何年いた」


「十二年です」


「階級は」


「最終的には小隊長補佐でした」


「辞めた理由は」


「腕を失ってからは、現場に立てないと判断されました。退役を勧められ、従いました」


 ライアスは少し、カルロスを見た。


「勧められた、か。不満はなかったのか」


「……ありました」


 カルロスは少し間を置いた。


「ただ、不満を言っても腕は戻らない」


「それで、今は何をしていた」


「妻が市場で仕事をしています。私は家のことをしていました」


「字と計算は、軍で覚えたのか」


「はい。小隊長補佐になるには、記録や補給の計算ができる必要がありました。訓練を受けました」


「子供に教えた経験は」


「ありません」


 ライアスは少し、止まった。


「ないのに、教えられるか」


「わかりません」


 カルロスはまっすぐ答えた。


「ただ、できないと言うより、やってみてからわからないと言いたいです」


「やってみてから、か」


「軍でも、初めてのことは全部そうでした。やる前からできないと言っていたら、何もできません」


 ライアスはしばらく、カルロスを見ていた。


(この男は、腕を失って家の仕事をしながら、それでもこういう顔ができるのか)


「妻はどうする。宿舎に一緒に入ることになるが」


「妻と話しました」


 カルロスは答えた。


「妻は、行くと言っています」


「妻自身が決めたのか」


「はい。私から勧めましたが、妻が考えて、自分で決めました。今の仕事を続けるより、そちらの方がいいと」


「なぜそちらの方がいいと妻は言ったのか」


 カルロスが少し、目を細めた。


「……妻は、今の仕事を一人でやっています。私が家のことをやれることは、やっています。それでも、妻が一人で外に出て稼いでくることに、申し訳なさがあります」


 カルロスは続けた。


「宿舎に入れれば、私も仕事を持てる。妻も家事の仕事ができる。二人で同じ場所にいられる。妻はそれを望んでいます」


 ライアスは少し黙った。


(二人で同じ場所にいられる)


 その言葉が、少し引っかかった。

 視察の日に、カルロスが言っていた言葉を思い出した。


「妻の負担がどれだけかは、わかっている」


 あの言葉を、あの男は家で一人でいる時間に考え続けていたのだろう。


(字も計算も、俺たちの生活の助けにはならなかった、と言っていた)


 しかし今、その字と計算が使える場所ができようとしている。


「一つ聞く」


 ライアスは言った。


「子供は苦手か」


「正直なところ、よくわかりません」


 カルロスは答えた。


「接したことがないので」


「苦手でないとも言えない、ということか」


「はい」


「それを正直に言えるなら、問題ない」


 カルロスが少し、眉を動かした。


「……問題ない、とはどういうことですか」


「苦手でないふりをして子供に接する方が、問題になる。最初からわからないと言える方が、子供にとっても安全だ」


 カルロスが少し、黙った。


「……なるほど」


「以上だ。ベルナード嬢、後は任せる」


「かしこまりました」


 カルロスが退室した。


 ライアスは書類を置いた。


(あの男は、字も計算も生活の助けにならなかったと言っていた)


(しかしそれは、使える場所がなかったということだ)


(使える場所を作れば、変わる)


 視察から今日まで、何度かその考えが頭をよぎっていた。

 しかし今日、カルロスの顔を見て、それが少し実感になった気がした。


(まだ間に合うかもしれない、と思った)


 あの病室で自問したことが、また浮かんだ。

 ライアスはそれを、静かに胸の奥に戻した。


 次に来たのは、レントだった。

 松葉杖を一本使って、ゆっくりと入ってきた。


「ヴァルトハイン公爵閣下。レント・マースです」


「座れ」


 レントが椅子に座った。


 ライアスは資料を手に取った。


 レント・マース。

 元騎士団所属。右足を戦傷により失う。識字、計算ともに可。独身。


「軍に何年いた」


「八年です」


「辞めた経緯は」


「足を失った時点で、継続が難しいと判断されました。本人の意向も確認されましたが、続ける選択肢は実質なかったです」


「今は何をしていた」


「恩給で生活しています。買い物と、日常の維持で精一杯です」


 ライアスはレントを見た。

 声は淡々としていた。

 飾りがなかった。

 自分の状況を、感情なく並べていた。


「孤児院に入る意志があると聞いた」


「あります」


「理由を言え」


「一人でいると、考えが暗くなります」


 レントは静かに言った。


「誰かがいる場所に行けるなら、行きたいです」


「それだけか」


「子供の声はうるさそうだと思っています。苦手かもしれません」


 ライアスは少し、止まった。


「正直だな」


「嘘をついても意味がないので」


「子供が苦手かもしれないのに、孤児院に入るのか」


「苦手かどうかは、やってみないとわからないです。うるさそうだとは思いますが、それが嫌かどうかはまた別の話です」


 ライアスは少し、レントを見た。


(この男も、正直に言える)


「仕事の内容は理解しているか」


「時間管理と書類の整理が主と聞いています。座ってできる範囲で、他の作業も対応するとのことでした」


「できるか」


「字と計算は問題ありません。時間を伝える鐘を鳴らすのも、できます。ただ」


「ただ?」


「書類の整理は、どんな形式のものかによります。見たことのない形式であれば、教えてもらう必要があります」


「教えてもらうと言えるか」


「言えます。知らないことを知らないままにしておく方が、後で困ります」


 ライアスは少し黙ってから、頷いた。


「以上だ。ベルナード嬢、後は任せる」


「かしこまりました」


 レントが退室した。


 グラントが静かに言った。


「閣下、いかがでしたか」


「二人とも、正直に話せる人間だ」


 ライアスは言った。


「それだけでいい」


「採用ということで」


「ベルナード嬢が判断する。私は問題ないと伝えておけ」


「かしこまりました」



 面談が終わった午後、ライアスはベルナード嬢に言った。


「スラムに行く」


 ベルナード嬢が少し、止まった。


「今日ですか」


「今日でなくていい理由があるか」


「……ありません」


 ベルナード嬢は少し笑った。


「行きましょう」


 三人でスラムに向かった。


 路地に入ると、子供たちがいた。

 ライアスたちを見て、いつものように距離を取った。

 しかし逃げなかった。


 年長の少年が前に出た。


「来たのか」


「来ると言ったので来た」


 少年が少し、ライアスを見た。

 前回と少し、目が違った気がした。

 蔑みより、測るような目になっていた。


(少し、変わった)


 ベルナード嬢が少年の近くに自然な距離で立った。


「孤児院の改装が始まりました」


 ベルナード嬢が言った。


「来週から大工が入ります」


 少年が少し、眉を動かした。


「……本当に作るのか」


「作ります」


「いつできる」


「一ヶ月ほど見ています」


 少年は黙っていた。


 後ろの方から、小さな声がした。


「……あの、おじさん」


 ライアスが振り返った。


 小さな子供だった。

 医療院に運んだ少女だった。


(回復している)


 顔に色があった。

 雨の日に見た、青白い顔ではなかった。


「なんだ」


「……てて、してくれてありがとう」


 少女が、小さく頭を下げた。


 ライアスは少し、止まった。


(てて、とは何だ)


 ベルナード嬢が小声で言った。


「手、です。手を握っていてくれたことのお礼かと」


(ああ)


 ライアスは何と答えればいいか、少し迷った。


「……大丈夫だったか」


「うん」


 少女は頷いた。


「もうへいき」


「そうか」


 少女がまたライアスを見た。


「また来る?」


「来る」


 少女が少し、笑った。


 後ろで年長の少年が、複雑そうな顔をしていた。


(あの少年が、複雑そうにしている)


(それは、何かが変わりつつあるということかもしれない)


 クラウスが少年の隣に自然に近づいた。


「孤児院、一ヶ月後だってよ」


「聞こえてた」


「どう思う」


「……まだわからない」


 少年は短く言った。


「見てから考える」


「それでいい」


 クラウスは言った。


「見てから考えれば十分だ」


 少年が少し、クラウスを見た。

 何も言わなかった。

 しかしその沈黙は、拒絶ではなかった。



 帰り道、三人で並んで歩いた。


 ベルナード嬢が前を向いたまま言った。


「閣下」


「なんだ」


「今日の面談、ありがとうございました」


「仕事だ」


「はい。でも、ありがとうございます」


 ライアスは何も言わなかった。


 しばらく歩いてから、ベルナード嬢がまた言った。


「カルロスさんの話を聞いているとき、閣下が少し考え込んでいました」


「……気づいていたか」


「はい」


「あの男が、軍で覚えた字と計算が生活の助けにならなかったと言っていたのを、覚えていた」


「覚えています」


「今日、あの男の顔を見て、少し思ったことがある」


「なんですか」


「間に合うかもしれない、と」


 ベルナード嬢が少し、ライアスを見た。


「何に間に合うと思いましたか」


「……うまく言えない」


 ライアスは少し前を向いた。


「ただ、間に合うかもしれないと思った。それだけだ」


 ベルナード嬢が、少し笑った。


「間に合います」


「根拠は」


「根拠はありません」


 ベルナード嬢は静かに言った。


「でも、間に合います」


 ライアスは何も言わなかった。

 しかし、その言葉が、静かに胸の中に残った。


 公都の通りを、三人で歩いた。

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