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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第一章 公爵領の改革

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大きな手(ライアス視点)

【ライアス視点】


 扉が開いて、ベルナード嬢が戻ってきた。

 薬を手に持っていた。


 ライアスが少女の手を握っているのを見て、一瞬だけ止まった。

 何も言わなかった。

 静かに部屋に入ってきた。


「クラウスと年長の子は、一度スラムに戻ってもらいます」


 ベルナード嬢が小声で言った。


「他の子たちが心配しているでしょうから。クラウスには戻り際に、見回りの騎士に状況を伝えてから屋敷に帰るよう話します」


「わかった」


「少女は今夜、ここに泊まることになります。私が付き添います。閣下はクラウスと屋敷にお戻りください」


 ライアスは少し、止まった。


「……私も残る」


「閣下」


「残ると言っている」


 ベルナード嬢が少し考えた。


「では、一緒に残りましょう」


 ライアスは頷いた。


 廊下でベルナード嬢がクラウスと年長の少年に話した。

 クラウスは了解して、少年と共に出ていった。


 少年は出ていく前、一度だけ病室の扉を見た。

 それから何も言わずに歩き出した。


 夜が深くなった。

 廊下の窓の外は、まだ雨が続いていた。


 ライアスは椅子を寝台の横に引いて、座っていた。

 少女の手を、まだ握っていた。


 ベルナード嬢は部屋の隅で書類を広げていたが、ページを繰る音はしなかった。


 少女の息が、ゆっくりと変わった。

 眉間の皺が緩んだ。

 瞼が、少しずつ開いた。


 少女が目を覚ました。


「大丈夫か」


 ライアスが言った。


 少女が、ライアスを見た。

 寝ぼけたような目で、じっと見た。


「……だれ」


「ここまで運んだ者だ」


 少女が少し、緊張した。

 繋いでいない方の手でシーツを口元まで引き上げた。


「大丈夫ですよ」


 ベルナード嬢が立ち上がって、寝台の近くに来た。


「具合はどうですか」


 少女がベルナード嬢を見た。

 少し、表情が和らいだ。


 ライアスは少女の手を離そうとした。


「あっ……」


 小さな声だった。

 名残惜しそうな声だった。


 ライアスは少し、止まった。

 それからそっと、手を握り直した。


「医者に目が覚めたことを伝えてきますね」


 ベルナード嬢がそう言って、少し笑いながら病室を出ていった。


(笑っていた)

(何がおかしいのか、わからない)


 少女とライアスの二人になった。

 少し、気まずい沈黙があった。


 少女がライアスの手をじっと見ていた。


「……おじさんの手、大きい」


 ライアスは、雷に打たれたような気がした。


(……お じ さ ん)


 二十二歳だ。

 おじさんと呼ばれる年齢ではない、はずだ。

 しかし少女は、全く悪意なくそう言っていた。


 ライアスは表情を動かさなかった。


「……そうだな。大きいな」


 少女は不思議そうな顔で、ライアスの手をにぎにぎした。

 指を触ったり、手のひらを触ったり、また指に戻ったりした。


 ライアスは黙って、されるままにしていた。


(これは何をされているのか)


 わからないが、少女が楽しそうにしているので、止める理由もなかった。


 ベルナード嬢がミルク粥を持って戻ってきた。


「目が覚めたなら、少し食べられますか」


 少女が頷いた。


 ベルナード嬢が寝台の脇に小さな台を置いて、粥を乗せた。

 少女がゆっくりと体を起こした。


 ライアスは手を離した。


 少女は粥を少しずつ食べた。

 ベルナード嬢が水を差し出した。

 少女が飲んだ。

 それから薬を飲ませた。


「もう寝られますか」


 ベルナード嬢が言った。


 少女が頷いた。

 ゆっくりと横になった。


 しばらくして、少女の手がライアスの方に伸びてきた。

 ライアスの手を探して、掴んだ。

 そのまま、目を閉じた。


 少し経つと、寝息が聞こえてきた。


 ベルナード嬢がそれを見て、静かに笑った。


「……何がおかしい」


「いいえ」


 ベルナード嬢は笑いを引っ込めようとしていたが、引っ込みきっていなかった。


「おかしくはないです」


「おかしそうな顔をしていた」


「していません」


(明らかに、していた)


 ライアスは少女の手を握ったまま、前を向いた。

 雨の音が、窓の外で続いていた。



 夜が明けた。


 扉が開いて、クラウスと年長の少年が来た。

 少年は少女の寝台を見て、少し、肩の力が抜けた様子だった。


 少女が目を覚ました。

 少年を見て、少し笑った。


「……元気そうだな」


 少年が言った。

 ぶっきらぼうだったが、声が少し柔らかかった。


「うん」


 医療員が診察した。


「もう帰っても大丈夫です。ただし薬はちゃんと飲んでください。飲み忘れると悶絶するくらい苦くなりますので」


 少女が少し、顔をしかめた。


「……ちゃんと飲む」


「よろしい」


 医療院でミルク粥をもう一杯食べてから、帰ることにした。


 少女が食べ終えて立ち上がったとき、ライアスの隣に来た。

 ライアスの手を、掴んだ。

 そのまま歩き出した。


(自然に、掴んできた)


 ライアスは何も言わなかった。

 掴まれたまま、歩いた。


 少年が、その様子を見た。

 何とも言えない顔をしていた。

 複雑そうな、しかし完全に嫌そうでもない、微妙な顔だった。


 クラウスとベルナード嬢は、二人とも笑っていた。


(何がそんなにおかしいのか、やはりわからなかい)


 スラムまで戻り、少女と少年を送った。


 帰ろうとしたとき、少年が言った。


「……また来るのか」


 ライアスは少年を見た。


「来る」


 少年がベルナード嬢を見た。


「来ます」


 ベルナード嬢が言った。


「来ると言ったので」


 少年がクラウスを見た。


「俺も来る」


 クラウスが言った。


「当然だろ」


 少年は少し黙った。


「……そうか」


 それだけ言って、少女の手を引いて路地へ戻り始めた。


 少女が振り返った。

 小さな手を、ひらひらと振った。


 三人とも、黙って見ていた。


 少女の姿が路地の奥に消えた。


 ライアスは少し、前を向いた。


「孤児院の改装を急ぐよう、グラントに伝える」


「はい」


 それだけだった。


 三人は、並んで公都の通りを歩いた。

 雨は上がっていた。

 濡れた石畳が、朝の光を反射していた。

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