大きな手(ライアス視点)
【ライアス視点】
扉が開いて、ベルナード嬢が戻ってきた。
薬を手に持っていた。
ライアスが少女の手を握っているのを見て、一瞬だけ止まった。
何も言わなかった。
静かに部屋に入ってきた。
「クラウスと年長の子は、一度スラムに戻ってもらいます」
ベルナード嬢が小声で言った。
「他の子たちが心配しているでしょうから。クラウスには戻り際に、見回りの騎士に状況を伝えてから屋敷に帰るよう話します」
「わかった」
「少女は今夜、ここに泊まることになります。私が付き添います。閣下はクラウスと屋敷にお戻りください」
ライアスは少し、止まった。
「……私も残る」
「閣下」
「残ると言っている」
ベルナード嬢が少し考えた。
「では、一緒に残りましょう」
ライアスは頷いた。
廊下でベルナード嬢がクラウスと年長の少年に話した。
クラウスは了解して、少年と共に出ていった。
少年は出ていく前、一度だけ病室の扉を見た。
それから何も言わずに歩き出した。
夜が深くなった。
廊下の窓の外は、まだ雨が続いていた。
ライアスは椅子を寝台の横に引いて、座っていた。
少女の手を、まだ握っていた。
ベルナード嬢は部屋の隅で書類を広げていたが、ページを繰る音はしなかった。
少女の息が、ゆっくりと変わった。
眉間の皺が緩んだ。
瞼が、少しずつ開いた。
少女が目を覚ました。
「大丈夫か」
ライアスが言った。
少女が、ライアスを見た。
寝ぼけたような目で、じっと見た。
「……だれ」
「ここまで運んだ者だ」
少女が少し、緊張した。
繋いでいない方の手でシーツを口元まで引き上げた。
「大丈夫ですよ」
ベルナード嬢が立ち上がって、寝台の近くに来た。
「具合はどうですか」
少女がベルナード嬢を見た。
少し、表情が和らいだ。
ライアスは少女の手を離そうとした。
「あっ……」
小さな声だった。
名残惜しそうな声だった。
ライアスは少し、止まった。
それからそっと、手を握り直した。
「医者に目が覚めたことを伝えてきますね」
ベルナード嬢がそう言って、少し笑いながら病室を出ていった。
(笑っていた)
(何がおかしいのか、わからない)
少女とライアスの二人になった。
少し、気まずい沈黙があった。
少女がライアスの手をじっと見ていた。
「……おじさんの手、大きい」
ライアスは、雷に打たれたような気がした。
(……お じ さ ん)
二十二歳だ。
おじさんと呼ばれる年齢ではない、はずだ。
しかし少女は、全く悪意なくそう言っていた。
ライアスは表情を動かさなかった。
「……そうだな。大きいな」
少女は不思議そうな顔で、ライアスの手をにぎにぎした。
指を触ったり、手のひらを触ったり、また指に戻ったりした。
ライアスは黙って、されるままにしていた。
(これは何をされているのか)
わからないが、少女が楽しそうにしているので、止める理由もなかった。
ベルナード嬢がミルク粥を持って戻ってきた。
「目が覚めたなら、少し食べられますか」
少女が頷いた。
ベルナード嬢が寝台の脇に小さな台を置いて、粥を乗せた。
少女がゆっくりと体を起こした。
ライアスは手を離した。
少女は粥を少しずつ食べた。
ベルナード嬢が水を差し出した。
少女が飲んだ。
それから薬を飲ませた。
「もう寝られますか」
ベルナード嬢が言った。
少女が頷いた。
ゆっくりと横になった。
しばらくして、少女の手がライアスの方に伸びてきた。
ライアスの手を探して、掴んだ。
そのまま、目を閉じた。
少し経つと、寝息が聞こえてきた。
ベルナード嬢がそれを見て、静かに笑った。
「……何がおかしい」
「いいえ」
ベルナード嬢は笑いを引っ込めようとしていたが、引っ込みきっていなかった。
「おかしくはないです」
「おかしそうな顔をしていた」
「していません」
(明らかに、していた)
ライアスは少女の手を握ったまま、前を向いた。
雨の音が、窓の外で続いていた。
◇
夜が明けた。
扉が開いて、クラウスと年長の少年が来た。
少年は少女の寝台を見て、少し、肩の力が抜けた様子だった。
少女が目を覚ました。
少年を見て、少し笑った。
「……元気そうだな」
少年が言った。
ぶっきらぼうだったが、声が少し柔らかかった。
「うん」
医療員が診察した。
「もう帰っても大丈夫です。ただし薬はちゃんと飲んでください。飲み忘れると悶絶するくらい苦くなりますので」
少女が少し、顔をしかめた。
「……ちゃんと飲む」
「よろしい」
医療院でミルク粥をもう一杯食べてから、帰ることにした。
少女が食べ終えて立ち上がったとき、ライアスの隣に来た。
ライアスの手を、掴んだ。
そのまま歩き出した。
(自然に、掴んできた)
ライアスは何も言わなかった。
掴まれたまま、歩いた。
少年が、その様子を見た。
何とも言えない顔をしていた。
複雑そうな、しかし完全に嫌そうでもない、微妙な顔だった。
クラウスとベルナード嬢は、二人とも笑っていた。
(何がそんなにおかしいのか、やはりわからなかい)
スラムまで戻り、少女と少年を送った。
帰ろうとしたとき、少年が言った。
「……また来るのか」
ライアスは少年を見た。
「来る」
少年がベルナード嬢を見た。
「来ます」
ベルナード嬢が言った。
「来ると言ったので」
少年がクラウスを見た。
「俺も来る」
クラウスが言った。
「当然だろ」
少年は少し黙った。
「……そうか」
それだけ言って、少女の手を引いて路地へ戻り始めた。
少女が振り返った。
小さな手を、ひらひらと振った。
三人とも、黙って見ていた。
少女の姿が路地の奥に消えた。
ライアスは少し、前を向いた。
「孤児院の改装を急ぐよう、グラントに伝える」
「はい」
それだけだった。
三人は、並んで公都の通りを歩いた。
雨は上がっていた。
濡れた石畳が、朝の光を反射していた。




