雨の日に(ノエル視点)
【ノエル視点】
障害を負った兵士たちへの説明は、二日に分けて行うことにした。
最初の日は、視察で会った二人に改めて話を聞きに行った。
一人目は、腕を失った元兵士、カルロスだ。
前回会ったとき、「字も計算も生活の助けにならなかった」と言っていた男だ。
今日はその言葉を、少し塗り替えに来た。
「改めて、伺いに来ました」
ノエルは言った。
「以前お話しした、公爵家での仕事の件です」
カルロスは少し、目を細めた。
「また来たか」
「来ると言ったので」
「……お前は毎回そう言うな」
「嘘をつくのが面倒なので」
カルロスが少し、口元を動かした。
「今日は何の話だ」
「二つあります。一つは公爵家の事務仕事への参加について。もう一つは、孤児院の話です」
「孤児院」
「はい。公都の外れに、スラムの孤児たちが住める場所を作ります。そこで子供たちに字や計算を教える人間が必要です。カルロスさんのような方に、お願いできないかと思っています」
カルロスが少し、黙った。
「俺が、子供に教える」
「はい。できる仕事だと思っています」
「子供の扱いなど、知らないが」
「最初から上手くやれる人間はいません。一緒に考えます」
「……俺が行けば、どこに住む」
「孤児院に宿舎を用意します。通勤が難しい方には、院の中に部屋を作ります」
カルロスは少し間を置いた。
「子供は、俺のような人間を怖がらないか」
「怖がるかもしれません。でも子供は正直なので、誠実に接すれば、いつかわかってくれます」
「いつかわかってくれる、か」
カルロスは静かに繰り返した。
「随分と、のんびりした話だな」
「急いで信頼を作ろうとすると、崩れます。のんびりやった方が、長く続きます」
カルロスが少し、天井を見た。
「……考える時間をくれ」
「もちろんです。返事はいつでも構いません。ただ、面談は改めてお願いしたいと思っています」
「面談」
「公爵家として正式に採用するための確認です。私だけでなく、公爵にも報告が必要ですので」
「公爵に」
カルロスが少し、目を細めた。
「そこまで話が大きいのか」
「公爵家の管轄の施設になりますので」
カルロスはしばらく黙っていた。
「……面談、受ける」
「ありがとうございます」
◇
二人目は、片足を失った元兵士、レントだ。
雨戸が半分閉まった薄暗い部屋で一人で暮らしていた男だ。
ノエルが訪ねると、今日は扉を開けるまでの時間が少し短かった。
「また来た」
「来ました」
「……入るか」
「はい、お願いします」
中に入った。
前回より少し、部屋が明るかった。
雨戸が少し開いていた。
「今日は光が入っていますね」
「……雨戸を全部閉めていると、気が滅入ってきた」
レントは短く言った。
「それだけだ」
「そうですか」
ノエルは余計なことを言わなかった。
「今日は話があって来ました」
「聞く」
「公爵家の孤児院で、子供たちに時間を知らせる仕事があります。朝と昼と夕方に鐘を鳴らして、子供たちに時間を伝えるという役割です」
レントが少し、ノエルを見た。
「それだけか」
「それだけではありません。鐘の合間に、出欠の確認や教材の管理、記録の整理を担当していただきます。座ったままできる仕事です。院の中に宿舎も用意します」
「院の中に住む、ということか」
「はい。通うのが難しい方には、院の中に部屋を作ります。馬車の手配もできます」
レントがしばらく黙った。
「……子供の声がうるさいのは、苦手だが」
「苦手なことは苦手と言ってください。無理に好きになる必要はありません」
「正直に言っていいのか」
「その方が助かります。嘘をついて始めると、後で崩れます」
レントが少し、口元を動かした。
「……一人でいると、考えが暗くなる、と前に言ったな」
「言っていました」
「院に誰かがいれば、少しは違うかもしれない」
「違うと思います」
「……行く」
レントの返事は、短かった。
しかし今回は、迷いがなかった。
その日の夕方、ノエルは机に向かった。
今日の話し合いの内容を整理した。
カルロスは面談受諾。レントは参加の意志あり。
他にも数名、グラントが別ルートで当たっている候補者がいる。
面談のスケジュールを組まなければならない。
建物の改装の進捗も確認が必要だ。
(やることが多い)
しかし、動き始めている。
ノエルはそれだけを確認して、紙をまとめた。
◇
翌々日の朝、空が暗かった。
雲が厚く、今にも降りそうな色をしていた。
クラウスが朝の廊下でノエルに言った。
「ノエルさん、今日雨になりそうですよ。スラムへの訪問、延期しますか」
「行きます」
「雨ですよ」
「約束した日なので」
「……ノエルさんが行くと言ったら、止めても行くのは知ってるんですけど」
「賢いですね、クラウス」
「全然褒められた気がしない」
クラウスはそう言いながらも、外套を取りに戻った。
昼前に、雨が降り始めた。
大雨ではなかった。
しかし止む気配もなかった。
ノエルとクラウスは外套をかぶって、傘を持って、スラムへ向かった。
ライアスも同行していた。
「来ると言ったので来る」とだけ言って、帽子を深くかぶっていた。
(閣下が雨の日に傘を持って歩いている姿が尊いのは何故なのか。今は考えない。後で別紙に書く)
路地に入ると、子供たちがいた。
雨の中だった。
建物の軒下に固まっていた。
軒と呼べるかどうかわからないくらい、小さな庇しかなかった。
それでも子供たちは、その下に肩を寄せ合って座っていた。
ノエルたちを見た瞬間、年長の子が少し、目を丸くした。
「……来たのか。雨なのに」
「約束した日なので来ました」
子供が、少し黙った。
「馬鹿じゃないのか」
「そうかもしれません」
クラウスが軽く手を上げた。
「よう。濡れてないか」
「濡れてる」
子供が短く言った。
「屋根がないから」
「屋根、ないのか」
ライアスが少し、建物を見た。
「全部あるわけじゃない」
年長の子は当然のように言った。
「雨漏りするとこもある」
ライアスが黙った。
(閣下の顔が、また視察の日の顔になっている。記録したい。今は記録しない)
後ろから、小さな咳の音がした。
ノエルが振り返った。
一番小さい子の一人が、膝を抱えてうずくまっていた。
顔が赤かった。
ノエルは子供の前にしゃがんだ。
「大丈夫ですか」
子供が、ぼんやりした目でノエルを見た。
額に手を当てた。
(熱がある)
「いつから具合が悪いですか」
年長の子が答えた。
「昨日から。昨日の夜、雨漏りのとこで寝てて」
「今日は飲み物を飲めましたか」
「……朝から、あんまり」
ノエルは立ち上がった。
「クラウス」
「はい」
「医療院へ先に走ってもらえますか。公都の東の通りにあります」
「わかりました」
クラウスはすでに走り始めていた。
「先に行きます」
ノエルはライアスを見た。
ライアスはすでに子供の前にしゃがんでいた。
「閣下」
「わかっている」
ライアスが子供に向かって言った。
「背中に乗れるか」
子供がぼんやりとライアスを見た。
「……だれ」
「連れていく人間だ」
子供が少し、年長の子を見た。
年長の子がライアスを見た。
それからノエルを見た。
それからもう一度ライアスを見た。
「……行け」
年長の子が言った。
子供がゆっくりと立ち上がろうとした。
ライアスがしゃがんだまま背中を向けた。
子供が、ライアスの背中に乗った。
ライアスが立ち上がった。
子供の体が、雨に濡れていた。
熱があるのに、冷えていた。
「見回りの騎士を呼べますか」
ノエルが年長の子に言った。
「どこにいる」
「この路地の出口から少し行ったところに、いるはずです」
「呼んでくる」
「お願いします。この辺りに残って、他の子たちと一緒にいてもらえるよう頼んでください」
年長の子が頷いて、走り出した。
「閣下、行きましょう」
「ああ」
ライアスが子供を背負ったまま、歩き始めた。
雨の中を、ノエルとライアスと、少し遅れて年長の子が医療院へ向かった。
年長の子は、走ってきた分、息が上がっていた。
しかし離れなかった。
ずっとついてきた。
ノエルはその子の横を歩きながら、何も言わなかった。
何か言う必要はなかった。
この子は、自分で来た。
それだけで、十分だった。




