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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第一章 公爵領の改革

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雨の日に(ノエル視点)

【ノエル視点】


 障害を負った兵士たちへの説明は、二日に分けて行うことにした。


 最初の日は、視察で会った二人に改めて話を聞きに行った。


 一人目は、腕を失った元兵士、カルロスだ。

 前回会ったとき、「字も計算も生活の助けにならなかった」と言っていた男だ。


 今日はその言葉を、少し塗り替えに来た。


「改めて、伺いに来ました」


 ノエルは言った。


「以前お話しした、公爵家での仕事の件です」


 カルロスは少し、目を細めた。


「また来たか」


「来ると言ったので」


「……お前は毎回そう言うな」


「嘘をつくのが面倒なので」


 カルロスが少し、口元を動かした。


「今日は何の話だ」


「二つあります。一つは公爵家の事務仕事への参加について。もう一つは、孤児院の話です」


「孤児院」


「はい。公都の外れに、スラムの孤児たちが住める場所を作ります。そこで子供たちに字や計算を教える人間が必要です。カルロスさんのような方に、お願いできないかと思っています」


 カルロスが少し、黙った。


「俺が、子供に教える」


「はい。できる仕事だと思っています」


「子供の扱いなど、知らないが」


「最初から上手くやれる人間はいません。一緒に考えます」


「……俺が行けば、どこに住む」


「孤児院に宿舎を用意します。通勤が難しい方には、院の中に部屋を作ります」


 カルロスは少し間を置いた。


「子供は、俺のような人間を怖がらないか」


「怖がるかもしれません。でも子供は正直なので、誠実に接すれば、いつかわかってくれます」


「いつかわかってくれる、か」


 カルロスは静かに繰り返した。


「随分と、のんびりした話だな」


「急いで信頼を作ろうとすると、崩れます。のんびりやった方が、長く続きます」


 カルロスが少し、天井を見た。


「……考える時間をくれ」


「もちろんです。返事はいつでも構いません。ただ、面談は改めてお願いしたいと思っています」


「面談」


「公爵家として正式に採用するための確認です。私だけでなく、公爵にも報告が必要ですので」


「公爵に」


 カルロスが少し、目を細めた。


「そこまで話が大きいのか」


「公爵家の管轄の施設になりますので」


 カルロスはしばらく黙っていた。


「……面談、受ける」


「ありがとうございます」


 ◇


 二人目は、片足を失った元兵士、レントだ。

 雨戸が半分閉まった薄暗い部屋で一人で暮らしていた男だ。


 ノエルが訪ねると、今日は扉を開けるまでの時間が少し短かった。


「また来た」


「来ました」


「……入るか」


「はい、お願いします」


 中に入った。

 前回より少し、部屋が明るかった。

 雨戸が少し開いていた。


「今日は光が入っていますね」


「……雨戸を全部閉めていると、気が滅入ってきた」


 レントは短く言った。


「それだけだ」


「そうですか」


 ノエルは余計なことを言わなかった。


「今日は話があって来ました」


「聞く」


「公爵家の孤児院で、子供たちに時間を知らせる仕事があります。朝と昼と夕方に鐘を鳴らして、子供たちに時間を伝えるという役割です」


 レントが少し、ノエルを見た。


「それだけか」


「それだけではありません。鐘の合間に、出欠の確認や教材の管理、記録の整理を担当していただきます。座ったままできる仕事です。院の中に宿舎も用意します」


「院の中に住む、ということか」


「はい。通うのが難しい方には、院の中に部屋を作ります。馬車の手配もできます」


 レントがしばらく黙った。


「……子供の声がうるさいのは、苦手だが」


「苦手なことは苦手と言ってください。無理に好きになる必要はありません」


「正直に言っていいのか」


「その方が助かります。嘘をついて始めると、後で崩れます」


 レントが少し、口元を動かした。


「……一人でいると、考えが暗くなる、と前に言ったな」


「言っていました」


「院に誰かがいれば、少しは違うかもしれない」


「違うと思います」


「……行く」


 レントの返事は、短かった。

 しかし今回は、迷いがなかった。


 その日の夕方、ノエルは机に向かった。


 今日の話し合いの内容を整理した。

 カルロスは面談受諾。レントは参加の意志あり。

 他にも数名、グラントが別ルートで当たっている候補者がいる。


 面談のスケジュールを組まなければならない。

 建物の改装の進捗も確認が必要だ。


(やることが多い)


 しかし、動き始めている。

 ノエルはそれだけを確認して、紙をまとめた。


 ◇


 翌々日の朝、空が暗かった。

 雲が厚く、今にも降りそうな色をしていた。


 クラウスが朝の廊下でノエルに言った。


「ノエルさん、今日雨になりそうですよ。スラムへの訪問、延期しますか」


「行きます」


「雨ですよ」


「約束した日なので」


「……ノエルさんが行くと言ったら、止めても行くのは知ってるんですけど」


「賢いですね、クラウス」


「全然褒められた気がしない」


 クラウスはそう言いながらも、外套を取りに戻った。


 昼前に、雨が降り始めた。

 大雨ではなかった。

 しかし止む気配もなかった。


 ノエルとクラウスは外套をかぶって、傘を持って、スラムへ向かった。

 ライアスも同行していた。


 「来ると言ったので来る」とだけ言って、帽子を深くかぶっていた。


(閣下が雨の日に傘を持って歩いている姿が尊いのは何故なのか。今は考えない。後で別紙に書く)


 路地に入ると、子供たちがいた。


 雨の中だった。

 建物の軒下に固まっていた。

 軒と呼べるかどうかわからないくらい、小さな庇しかなかった。

 それでも子供たちは、その下に肩を寄せ合って座っていた。


 ノエルたちを見た瞬間、年長の子が少し、目を丸くした。


「……来たのか。雨なのに」


「約束した日なので来ました」


 子供が、少し黙った。


「馬鹿じゃないのか」


「そうかもしれません」


 クラウスが軽く手を上げた。


「よう。濡れてないか」


「濡れてる」


 子供が短く言った。


「屋根がないから」


「屋根、ないのか」


 ライアスが少し、建物を見た。


「全部あるわけじゃない」


 年長の子は当然のように言った。


「雨漏りするとこもある」


 ライアスが黙った。


(閣下の顔が、また視察の日の顔になっている。記録したい。今は記録しない)


 後ろから、小さな咳の音がした。

 ノエルが振り返った。


 一番小さい子の一人が、膝を抱えてうずくまっていた。

 顔が赤かった。


 ノエルは子供の前にしゃがんだ。


「大丈夫ですか」


 子供が、ぼんやりした目でノエルを見た。

 額に手を当てた。


(熱がある)


「いつから具合が悪いですか」


 年長の子が答えた。


「昨日から。昨日の夜、雨漏りのとこで寝てて」


「今日は飲み物を飲めましたか」


「……朝から、あんまり」


 ノエルは立ち上がった。


「クラウス」


「はい」


「医療院へ先に走ってもらえますか。公都の東の通りにあります」


「わかりました」


 クラウスはすでに走り始めていた。


「先に行きます」


 ノエルはライアスを見た。

 ライアスはすでに子供の前にしゃがんでいた。


「閣下」


「わかっている」


 ライアスが子供に向かって言った。


「背中に乗れるか」


 子供がぼんやりとライアスを見た。


「……だれ」


「連れていく人間だ」


 子供が少し、年長の子を見た。

 年長の子がライアスを見た。

 それからノエルを見た。

 それからもう一度ライアスを見た。


「……行け」


 年長の子が言った。


 子供がゆっくりと立ち上がろうとした。

 ライアスがしゃがんだまま背中を向けた。

 子供が、ライアスの背中に乗った。


 ライアスが立ち上がった。


 子供の体が、雨に濡れていた。

 熱があるのに、冷えていた。


「見回りの騎士を呼べますか」


 ノエルが年長の子に言った。


「どこにいる」


「この路地の出口から少し行ったところに、いるはずです」


「呼んでくる」


「お願いします。この辺りに残って、他の子たちと一緒にいてもらえるよう頼んでください」


 年長の子が頷いて、走り出した。


「閣下、行きましょう」


「ああ」


 ライアスが子供を背負ったまま、歩き始めた。

 雨の中を、ノエルとライアスと、少し遅れて年長の子が医療院へ向かった。


 年長の子は、走ってきた分、息が上がっていた。

 しかし離れなかった。

 ずっとついてきた。


 ノエルはその子の横を歩きながら、何も言わなかった。

 何か言う必要はなかった。


 この子は、自分で来た。

 それだけで、十分だった。

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