次の約束(ライアス視点)
【ライアス視点】
ベルナード嬢が執務室に入ってきたのは、夕刻だった。
今日は提案書を持ってくると、昨日グラントから聞いていた。
孤児院案だ。
ライアスは書類から顔を上げた。
「持ってきました」
「聞こう」
ベルナード嬢が椅子に座り、紙を広げた。
(今日もその顔だ。仕事の顔だ)
ライアスは書類を脇に置いた。
「まず全体像を説明します」
ベルナード嬢が言った。
「孤児院案は四つの柱で構成しています。建物、費用、管理体制、そして子供たちとの信頼の構築です」
「信頼の構築まで、案に入れてきたのか」
「はい。建物を作っても、子供たちが入ってこなければ意味がありません」
ライアスは少し、眉を動かした。
「続けろ」
「建物については、公都の外れにある公爵家の土地を使います。グラントさんに確認してもらったところ、倉庫として使っていた建物が一棟あります。改装すれば、二十名程度が生活できる規模になります。多少の余裕を持たせた設計にします」
「改装の費用は」
「試算書の二ページ目に出ています。初期費用と、最初の一年間の運営費を合算した額です」
ライアスが二ページ目を開いた。
しばらく見た。
「……費用の原資は」
「フェルトン侯爵家からの返還金と慰謝料を充てます。全額ではありませんが、初期費用と一年分の運営費は賄えます」
「二年目以降は」
「公爵家の通常予算から出す形を想定していますが、孤児院での就労が軌道に乗れば、一部は自立した運営に移行できます」
「自立した運営、とは」
「孤児院の子供たちが成長して仕事を持てるようになれば、院の維持にかかるコストは下がります。また、孤児院で働く障害兵士や未亡人の一部は、公爵家の給与体系に組み込むことができます。完全に公爵家の持ち出しにならない設計が可能です」
ライアスが紙をめくった。
「管理体制は」
「主管理者として、足を失った元兵士を配置します。座りながらできる仕事を中心に担当してもらいます。補助として、障害の程度が軽い兵士や、希望する未亡人にも入ってもらう予定です」
「足を失った者が、子供を管理できるのか」
「管理というより、共に生活する形です」
ベルナード嬢は続けた。
「子供たちが院の日常を手伝い、兵士たちが子供に字や計算を教える。お互いに必要な存在になれるように設計しています」
「子供に労働をさせるのか」
「労働ではなく、共同生活の補助です」
ベルナード嬢はすぐに答えた。
「買い物の付き添い、食事の準備の補助、片づけなど、子供が無理なくできる範囲に限ります。強制ではなく、一緒に生活する中で自然にやること、という形にします」
「その区別は、現場でどう担保する」
「管理者となる兵士が判断します。子供に無理をさせていると判断すれば、私に報告する仕組みを作ります。定期的に私も確認に行きます」
ライアスは少し考えた。
「白い服の連中への牽制は」
「建物の正面に公爵家の紋章を入れます。定期的に公爵家の人間が訪問する記録を残します。孤児院が公爵家の管轄であることを、公都内で広く知らせます」
「広く知らせる方法は」
「市場の掲示板と、町の寄合への告知を考えています。グラントさんにも方法を相談しています」
ライアスがまた紙をめくった。
「信頼の構築、と書いてある項目は何だ」
「今現在、スラムの子供たちは大人を信用していません」
ベルナード嬢は続けた。
「孤児院を作っても、最初から全員が来るわけではないと想定しています。信頼を作ってから来てもらう順序を取ります」
「どのくらいかかる」
「わかりません」
ライアスが、少し止まった。
「わからない、と言ったか」
「はい。相手は人間ですので、何日で信頼が生まれるかは出せません。ただ、今すでに七回通っています。少しずつ変化は出ています」
「七回通った」
「はい。クラウスと一緒に、数日おきに通っています」
「それは……把握していなかった」
「グラントさんには報告していました」
ライアスが少し黙った。
(グラントには報告していた。私には言わなかった)
(いや、今日の提案書に全部入っているということは、全体が整ってから持ってくる判断をしたのか)
「子供たちの現状は」
「確認できている人数は十一名です。年齢は五歳前後から十三、四歳まで。年長の子が代表格で、他の子はその子の判断に従っています。今はまだ警戒が強いですが、来るたびに少しずつ変化があります」
「具体的にはどう変化している」
「最初は逃げていました。今は逃げません。最初は質問自体を拒否していました。今は答えてくれる場合があります」
「それで、孤児院に来るまでにはどうする」
「まず昼だけ来られる居場所から始めます。全員いきなり移住させるのではなく、院に慣れてから来たい子から順番に、という形を取ります」
ライアスはしばらく紙を見ていた。
めくり終えて、テーブルに置いた。
「質問がある」
「はい」
「管理者となる兵士の選定は、どうする」
「候補者面談を行います。子供と接することができるか、性格や気質も確認します。字が読めて計算ができることに加えて、短気でないことが条件です」
「短気でないことが条件、か」
「子供は予測できない動きをします。それに対して怒鳴るような人間では、逆効果になります」
「判断基準はどこに置く」
「面談時の様子と、クラウスの意見を参考にします。クラウスはスラム近くで育った経験があります。子供が安心できる大人かどうかの判断が、私より正確です」
ライアスが少し、眉を動かした。
「クラウスを判断基準に使うのか」
「使います。私は子供との接し方の経験が豊富ではありません。わかる人間に判断を委ねる方が確実です」
(自分の限界を、はっきり言える)
ライアスは少し、ベルナード嬢を見た。
「費用の原資について、もう一度確認する」
「はい」
「侯爵家からの金を使う判断は、私がするべき話ではないか」
「はい」
ベルナード嬢は即座に言った。
「だからここに持ってきました。私の判断ではなく、閣下の判断をいただくために」
「……わかった」
ライアスは少し間を置いた。
「条件をつける」
「はい」
「一つ目。管理者の選定は、面談後に私にも報告しろ。最終判断は私がする」
「かしこまりました」
「二つ目。費用の使途は月次で報告しろ。想定と大きく乖離した場合はすぐに知らせろ」
「かしこまりました」
「三つ目。子供たちへの接触については、引き続き段階を踏め。一気に動かすな」
「はい。その方針で進めています」
「四つ目。白い服の連中の動向については、何か変化があれば即座に報告しろ。子供たちの安全に直結する」
「かしこまりました。クラウスと共有します」
「以上だ。進めろ」
「ありがとうございます」
ベルナード嬢が立ち上がりかけて、少し止まった。
「閣下、一つだけよろしいですか」
「なんだ」
「今日の午後、子供たちのところに行きます。よろしければ、また同行していただけますか」
ライアスは少し、ベルナード嬢を見た。
「……視察か」
「はい。視察です」
間があった。
「……行く」
「ありがとうございます」
ベルナード嬢が退室した。
ライアスは提案書をもう一度開いた。
四つの柱。建物、費用、管理体制、信頼の構築。
信頼の構築に、数字は一切なかった。
文章だけが書いてあった。
繰り返し通う。約束を守る。急がない。
(これを、案として持ってくるのか)
数字にならないものを、案として整理する。
それがどれほど難しいか、ライアスにはなんとなくわかった。
提案書をテーブルに置いた。
(また視察だ)
そう思いながら、しかし今回は、気が重くなかった。
◇
午後、三人でスラムに向かった。
ライアスはまた帽子をかぶった。
路地に入ると、子供たちがいた。
ライアスを見た瞬間、いつもより少し警戒が強くなった。
(前回来た顔だ。覚えていたか)
年長の子が前に出た。
「また来た。その人も」
「はい」
ベルナード嬢が言った。
「また来ました」
「今日は何しに来た」
「来ると言ったので来ました」
子供が少し黙った。
クラウスが軽く手を上げた。
「よう」
子供がクラウスを見た。
少しだけ、目が和らいだ。
(クラウスがいると、空気が変わる)
ライアスは後ろで静かに立っていた。
今日は前に出るつもりはなかった。
ベルナード嬢が、子供たちの近くに自然な距離で立った。
何か話しかけるわけでもなく、ただそこにいた。
しばらく、静かな時間が続いた。
後ろの方にいた小さい子が、ベルナード嬢の方をじっと見ていた。
ベルナード嬢は気づいていたが、何もしなかった。
じっと見ている子を、じっと待っていた。
そのとき。
「なあ」
年長の子が言った。
ベルナード嬢を見ていた。
「なんですか」
「孤児院、って、作るのか」
ライアスは少し、止まった。
(孤児院という言葉を、この子は知っていた)
「作ろうと思っています」
ベルナード嬢は静かに答えた。
「まだ決まったわけではありませんが」
「俺たちを入れようとしているのか」
「入りたければ、入れる場所を作ろうとしています。入りたくなければ、入らなくていいです」
子供が黙った。
「どこに作るんだ」
「この辺りから歩いて少しのところです。今は古い建物があるだけです」
「……白い服の連中は」
「来にくくなるようにします。公爵家の建物にするので」
子供はしばらく黙っていた。
後ろの子供たちが、じっと年長の子を見ていた。
「信じていいのか」
その一言が、静かに落ちた。
ベルナード嬢は少し間を置いた。
「今すぐ信じなくていいです」
「……え」
「今すぐ信じろとは言いません。私が嘘をついていないかどうかは、これから確かめればいい。約束したことを守るかどうか、見ていてください」
子供が、ベルナード嬢をじっと見た。
ライアスも、その横顔を見ていた。
(今すぐ信じなくていい、か)
そう言える人間が、どれだけいるか。
普通は、信じてくれと言う。
この娘は、信じなくていいと言った。
「……また来るのか」
「来ます。来ると言ったので」
「何日後に来る」
「三日後に来ます」
「本当に来るのか」
「来ます」
子供が少し、ライアスを見た。
「あんたも来るのか」
ライアスは少し止まってから、答えた。
「来られるときは来る」
「来られるときは、って何だ。来るのか来ないのかどっちだ」
(子供に詰められた)
「……できる限り来る」
「できる限り、ってのも曖昧だな」
クラウスが小さく噴き出した音がした。
ベルナード嬢は前を向いたまま、肩が少し揺れた。
(笑っているのか、二人とも)
「次も来る」
ライアスは言い直した。
子供が少し、鼻を鳴らした。
「……まあいい」
それだけだった。
しかしその「まあいい」は、今日の年長の子の中で、一番柔らかい言葉だった。
ライアスには、それがわかった。
路地を出てから、三人で並んで歩いた。
クラウスが言った。
「あの子、初めて自分から質問しましたね」
「はい」
ベルナード嬢が静かに言った。
「孤児院のことを知っていた」
「どこで知ったんですかね」
「見回りの騎士が話しているのを聞いたか、町の誰かから聞いたか、どちらかだと思います」
「警戒しながら、ちゃんと情報を集めているんですね」
「賢い子です」
ライアスは少し前を向いたまま言った。
「三日後、また来る」
ベルナード嬢が少し、ライアスを見た。
「……ありがとうございます」
「視察だ」
「はい。視察です」
クラウスが、また小さく笑った。
ライアスは気にしないことにした。
公都の通りは、夕方の光の中にあった。
三人で、屋敷への道を歩いた。




