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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第一章 公爵領の改革

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推し活とは記録すること(ノエル視点)

【ノエル視点】


 屋敷に戻ってから、ノエルはまず自室に入った。


 扉を閉めた。

 三秒、静かに立っていた。


 そして。


(ぅああああああああああああああああああああああああ!!!!!)


 声は出なかった。

 出なかったが、脳内で叫んだ。


 叫びながら、両手を口に当てて、その場でくるりと二回転した。


(今日の閣下を、どう言葉にすればいいんだ)


 石段に座り込んだ閣下。

 視察先で言葉を失った閣下。

 子供たちに蔑まれて、それでも何も言い返せなかった閣下。


(それが、尊い方向に全部振り切れていた)


(完璧な人間だと思っていたわけではない。ゲームの中でもライアス様はポンコツな部分がある。でも現実で見るのとゲームで知っているのは全然違う。石段に座り込んだときの閣下の背中が。知らなかったと言ったときの声が。あの顔が。あの目が。全部が、全部)


(尊すぎた)


 膝から崩れ落ちた。

 床にへたり込んで、天井を見上げた。


(あの苦悩する顔が、尊かった。正直に知らなかったと言えるあの姿が、尊かった。ノエルが言ったことで石段から立ち上がったあの背中が、尊かった。今日の閣下は全方位から完全崩壊案件だった。別紙が何枚必要になるのか見当もつかない。十枚では絶対に足りない)


(後悔も一人でするなと言ったときの閣下の目が。あの目が。何かを受け取ってくれた目が。尊い。尊い。尊すぎる。観察日誌が足りない。別冊が必要だ)


 しばらく床で天井を見上げていた。

 それから、深く息を吸った。


(落ち着け。今夜やることがある)


 ノエルは起き上がった。

 机に向かった。

 羽ペンを取った。


(今日見てきたことを、全部整理する。感動は後でする。今はまず仕事だ)


 紙を広げた。

 書き始めた。


 一時間後。


 ノエルは書き出したものを前に、少し考えた。


(問題が多すぎる)


 今日一日で見てきたことを並べると、頭が重くなりそうだった。


 未亡人。

 障害を負った兵士。

 スラムの子供たち。


 それぞれ、抱えている問題が違う。

 それぞれ、必要な解決策が違う。

 それぞれ、動かすまでの手順が違う。


(全部一度に解決しようとすると、全部が中途半端になる)


(まず何から動かせるか)


 ノエルは紙の上に、三つに分けて書いた。


 一、今すぐ動かせるもの。

 二、準備が必要なもの。

 三、もっと時間をかけて詰めるもの。


 未亡人の雇用と、子供の預け先の設置は「一」に入る。

 公爵家の人手不足と、高齢従業員の活用案も「一」だ。


 障害を負った兵士の配置は「二」になる。

 一人一人のスキルを確認しないと動かせない。面談が必要だ。


 孤児院は「三」だ。


(孤児院は、建物が要る。費用が要る。管理体制が要る。白い服の連中への対策も要る。一晩で詰められる話じゃない)


 今日スラムで見た子供たちの目が、頭に浮かんだ。

 あの目に、早く応えたかった。


(でも、今すぐ何かしようとするのは、危うい)


 何人孤児がいるのかも、まだわからない。

 子供たちは大人への警戒が強い。


 今安易に、例えば公爵邸に匿うとしても、誰が面倒を見るのか。

 人手不足の公爵邸で、一時的に引き取ったとして、孤児院ができたらそちらに移ることになる。


(良くも悪くも、公爵邸の暮らしを見せてしまえば、そこと比較する)


 子供たちは賢い。

 今日会った年上の子の目を見ればわかる。


(見せかけの優しさで手を差し伸べても、あの目は見抜く)


 必要なのは、その場しのぎの優しさではない。

 子供たちが自分で未来を作るための、環境だ。


 それを整えるには、時間をかけて、正しく作らなければならない。


(だから今夜は、動かせるところから動かす)


 ノエルは紙をまとめた。


 グラントに面会の申し入れをするため、立ち上がった。


「今夜でよろしいですか」


「はい。視察を踏まえて、まず動かせる部分の提案を持ってきました」


 グラントが少し目を細めた。


「……わかりました。取り次ぎます」


 執務室に入ると、ライアスは机に向かっていた。

 ノエルを見た。

 今日の視察の重さが、まだ少し残っているような目をしていた。


(その目も尊い。落ち着け私。今は仕事だ)


「今日の視察を踏まえて、まず動かせる部分の整理をしてきました」


「聞こう」


「今回の問題は複数あります。全部を一度に動かそうとすると、全部が中途半端になります。なので今夜は、今すぐ着手できる部分だけ提案します」


 ライアスが少し、眉を動かした。


「孤児院の話はないのか」


「今夜はまだ持ってきません。詰めが足りないからです。粗い案をお持ちするより、詰めてから出す方がいいと判断しました」


「……わかった。続けろ」


「まず、未亡人の雇用についてです。今の公爵家には人手が足りていない部署があります。家事系の業務を中心に、未亡人を雇用します」


「子供がいると動けないという話だったが」


「そこが最初の問題です。子供の預け先がなければ、来られません。そのために、公爵家の空き部屋に、小さい子供を日中預かる場所を設けます」


「子供を……まとめて預かるのか」


「親が働いている間だけ、別の者が見る仕組みを作る、ということです」


 ライアスが少し、眉を寄せた。


「使用人に任せればいいのではないか」


「その『誰かが面倒を見る』ための仕組みを作るという話です」


「なるほど」


「まずは少人数から試験的に始めます。公爵家の従業員の中に、体力仕事が難しくなってきた高齢の方がいます。その方々に全体を見てもらいながら、兄弟が多く子供の世話に慣れているメイドを二名、実際のお世話担当として配置します」


「……体力仕事が難しい者が、子供の面倒を見られるのか」


「小さい子供を抱えて走り回るのは難しくても、そばで見守って、困ったときに声をかけることはできます。実際に動き回る部分は、若いメイドが担います。年配の者が全体を把握して、若いメイドが動く、という形です」


「高齢の従業員にも仕事を作る、ということでもあるな」


「はい。公爵家の人員不足と、高齢従業員の活用と、未亡人の子供の預け先不足を、一度に解消できます」


 ライアスがもう少し考えた。


「その預かる場所に、スラムの子供も一緒に入れればいいのではないか。手間が一度で済む」


 ノエルは少し、止まった。


(合理的に考えればそうなる。でも)


「それは、避けた方がいいと思います」


「なぜか」


「親が仕事から帰ってくるのを待っている子と、誰も迎えに来ない子を、同じ場所に置くことになります」


 ライアスが、少し止まった。


「夕方になれば、未亡人の子供たちの親が迎えに来ます。でもスラムの子供には、誰も来ません。毎日それを繰り返すことになります」


「……」


「子供は、見たものを感じます。説明されなくても、自分だけ誰も来ないということを、毎日見ることになります」


 ノエルは続けた。


「大人の目には合理的に見えても、子供にとっては、自分が誰にも必要とされていないという証明を毎日突きつけられることになりかねません」


 ライアスは黙った。

 長い沈黙だった。


「……それは、考えていなかった」


「この世界では、子供の心をどう守るかという話はあまりされていません。でも、子供だからといって、傷つかないわけではありません。大人の合理的な思考で、子供が窮屈な思いをするのは、避けたいです」


「……わかった」


 ライアスは静かに言った。


「一緒にはしない」


「ありがとうございます」


 ライアスが、少し間を置いてから続けた。


「未亡人の選考は」


「必ず設けます」


 ノエルははっきり言った。


「公爵家に不審な人間を入れることはできません。身元の確認と面談は絶対に必要です。希望者全員を受け入れるわけではありません」


「それは当然だ」


「希望者には宿舎への引越しも可とします。子供を連れて通うより、住み込みの方が負担が減る方もいます」


 ライアスが頷いた。


「障害を負った兵士については」


 ノエルは続けた。


「今夜は概要だけです。一人一人の状況が違うので、面談をしてから配置を考えます」


「わかった」


「孤児院については」


 ノエルは少し止まった。


「今夜は一点だけお願いがあります」


「なんだ」


「孤児院ができるまでの間だけでも、あのスラム街周辺の夜間見回りを強化していただけますか。完全な対策にはなりませんが、抑止にはなります」


 ライアスが、ノエルを見た。


「……見回りを増やすだけで、抑止になるか」


「完全にはなりません。でも、公爵家の人間が定期的に見回っている場所に、あからさまに手を出しにくくなります。今すぐできることとして、それだけでもお願いしたいです」


 ライアスは少し考えた。


「……わかった。手配する」


「ありがとうございます」


「孤児院案は、いつ出てくる」


「数日いただきたいです。建物と費用と管理体制、それから子供たちとの信頼の作り方まで詰めてから持ってきます」


「急ぎすぎるな」


「わかっています」


 ノエルは静かに言った。


「ただ、あの子たちは今夜も、そこにいます。それも、わかっています」


 部屋が少し静かになった。


「……それを踏まえた上で、詰めてから出せ」


 ライアスは言った。


「未亡人の雇用と子供の預かり場所については、準備を進めろ。場所の候補は明日グラントと詰めろ」


「かしこまりました」


「障害兵の面談については、クラウスと動け」


「はい」


 ノエルは一礼して立ち上がった。


 退室しかけて、少し止まった。


「閣下」


「なんだ」


「今日、来てくださってありがとうございました」


 ライアスは少し、ノエルを見た。


「……視察だ」


「はい。視察でした」


 ノエルは退室した。


 廊下に出てから、少し歩いて、止まった。


(今の「視察だ」の言い方が)


(尊かった)


(何故か。何故あの言い方が尊いのか。分析が必要だ。今夜の別紙の一枚目はこれにする)


 ノエルは少し早足で自室に向かった。


 その夜の観察日誌の冒頭には、こう書いた。


「本日、閣下と公都を視察した。今日の閣下については、別紙を参照のこと。本編に書ける分量を超えている」


 一行空けて、業務の話を短く記録した。


「未亡人雇用と子供の預かり場所の設置について、閣下の承認を得た。見回り強化も了承いただいた。孤児院は数日詰めてから再提出。一歩ずつだが、動き始めた」


 さらに一行空けて、最後に書いた。


「別紙は今夜十四枚になった。まだ書き足りない気がしている。閣下の苦悩する背中が忘れられない。石段に座り込んだときの横顔が忘れられない。視察だ、と言ったときの声が忘れられない。推し活とは、記録することだ。私は今夜も義務を果たした」

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