1434話 コウタ vs ”海賊姫”マリナ -2
「生き残るために海へ出た。奪われたもんを奪い返すつもりでな。けど現実はそう簡単じゃない。海賊だの賞金首だの、好き放題呼ばれて追われることになる」
吐き出される言葉は乱暴で、けれどその実、どれも諦めきれなかった過去の破片みたいに重かった。
ただ荒れているだけの声音ではない。
歯を食いしばって飲み込んできた苦さが、声の底に澱のように沈んでいる。
「それで、この国の”闇”に拾われたか」
「拾われたって言い方は癪だけどね。条件は悪くなかった。いろんな汚れ仕事を指示通りにこなせば、この国でオレを匿う。過去の罪も揉み消す。活躍次第じゃ、名誉爵位までくれるって話だった」
そこでマリナは肩をすくめた。
わざと大げさに見せる仕草だ。
そこに滲む嘲りは、自分自身へ向けられたものの方が強いように見える。
「笑えるだろ? 亡国の姫が、別の国の名誉貴族様だ」
「……笑えねえな」
「だろうね。オレも笑えなかったよ。でも他に道があるか? 部下を食わせて、追手を躱して、生き延びる。そのためには、何でもするしかなかった」
言葉の最後に、わずかな苦味が混じる。
その時だった。
マリナが、ふっと自嘲気味に笑った。
「なのに、だ。最後の最後――この”覇剣祭”絡みの仕事で、あんたみたいなのが出てくる。雑魚どもを蹴散らしたかと思えば、その場で懐柔して即興のチームを組んで……このオレとのサシ勝負でも、圧倒して見せた。しかも――」
マリナは曲刀を構えたまま、俺を睨んだ。
視線は鋭い。
だが、その奥には怒りだけじゃないものが宿っている。
悔しさ。
呆れ。
そして、理解できない相手を前にした戸惑い。
「――手加減してるだろ、伯爵様。女を殴る趣味はないってか?」
「そうだ」
「甘いな」
「そうかもな。だが、単に性別だけの話じゃない。お前に事情があることは、戦いの中でなんとなくわかっていた」
剣を交えると見えてくるものがある。
こいつの一撃には、単なる殺意だけじゃない重さがあった。
後へ引けない者の焦りと、何かを掴みたい者の執着が混じっていた。
「同情か?」
「違う。気に食わないだけだ。――この国の”闇”に使い潰されるのが、お前の終わり方として面白くない」
その言葉に、マリナは目を丸くした。
一瞬、呼吸すら忘れたみたいな顔になる。
次いで、こらえきれないみたいに喉で笑った。
「はっ……! あんた、本当に変な男だよ」
「よく言われる」
「この試合が終わったあと、オレがあんたと敵対しないって保証はないぜ? そのときはどうすんだ?」
「場合による。少なくとも、ここで首を刎ねるつもりはない」
敵になるなら、その時に考える。
だが、今ここで切り捨てる理由にはならない。
俺の中では、それだけの話だった。
「お優しいことで」
「勘違いするな。借りを作らせる方が得だと思っただけだ」
軽口で返したが、半分は本音だった。
マリナみたいな手合いを、黒幕に好き放題使われるのは面白くない。
何より、この女はまだ終わっていない。
しばらく沈黙が落ちたあと、マリナはふっと肩の力を抜いた。
曲刀の切っ先が、わずかに下がる。
ほんの少し。
だが、命のやり取りの最中においては、それだけで十分な意味を持つ。
「……参った、って言ったら」
「受け入れよう。俺としても、その方が助かる」
「本戦は諦めるしかない、か」
「そうなるな」
「ちぇっ。せっかくの爵位生活が遠のいた」
マリナがそう言って笑った、その瞬間だった。
風を裂く、ごく小さな音。
ほんの気配ほどの違和感。
「――伏せろ!」
叫ぶより先に、俺は地を蹴っていた。
だが、間に合わない。
プツッ、と。
何かが肌に刺さる、嫌な音がした。
「……え?」
マリナが目を瞬かせる。
首筋に、細い吹き矢が一本、突き立っていた。
「くそっ!」
俺は即座に駆け寄り、マリナの身体を支える。
曲刀が手から落ち、砂の上で鈍い音を立てた。
その音が、単なる敗北よりもはるかに冷たく響く。
「お、おい、しっかりしろ」
「これ、は……」
マリナの声が急速に掠れていく。
瞳から焦点が薄れ、足から力が抜ける。
さっきまであれほど鋭かった目が、信じられないほど速さで霞んでいく。
「毒か……!」
「は、はは……。やっぱり、そういうことか……」
マリナは俺の腕に寄りかかりながら、かすかに笑った。
悔しさとも、諦めともつかない笑みだった。
予感していたのだろう。
自分が勝てば都合よく使われ、負ければ切り捨てられる側なのだと。
「この国の”闇”は……負けた駒を、回収もせず捨てる……らしい……」
「喋るな!」
俺は吹き矢の飛んできた方向へ視線を飛ばした。
観客席の一角。
人混みがざわついている。
だが、もう射手の姿は見えない。
最初から一撃で逃げ切るつもりだったのだろう。
「伯爵、様……」
「何だ」
「オレ……まだ、死にたく……」
最後まで言い切る前に、マリナの身体から力が抜けた。
瞼が落ち、意識が闇に沈む。
腕の中で崩れ落ちるその重みが、現実を否応なく突きつけてくる。
「マリナ!」
俺はその身体を抱えたまま、歯を食いしばる。
観客席が一気にざわめいた。
さっきまでの見世物を見る目じゃない。
何が起きたのか理解できず、ただ騒いでいるだけの雑音だ。
だが、俺には分かった。
これで確定だ。
この覇剣祭の裏には、負けた駒を口封じするような連中がいる。
ただの小遣い稼ぎの裏稼業――そんなレベルではない額が動いているのだろう。
俺はマリナを抱え直し、闘技場の上でゆっくりと顔を上げた。
視線の先に、黒幕の顔は見えない。
群衆の中か。
貴賓席か。
あるいは、もっと離れた場所か。
「見てるんだろ」
吐き捨てるように呟く。
返事はない。
あるのは、ざわめきと砂を渡る風の音だけ。
それでも俺は、はっきりと言ってやった。
「この借り、絶対に返してもらうぞ」




