1435話 予選ブロックF リリィの戦い-1
コウタが乱戦式特別予選を戦っている頃。
別区画の小闘技場では、リリィの予選が始まろうとしていた。
こちらは一対一の勝ち抜き戦。
三連勝すれば本戦出場。
形式だけなら、コウタが放り込まれた乱戦よりずっとまともだ。
しかしそれでも、リリィにとっては決して楽な道ではない。
石造りの観客席は人で埋まり、歓声と野次が波のように降ってくる。
砂の匂い。
汗の匂い。
鉄と革の匂い。
剣を握る手のひらが、じっとり湿っていた。
「リリィちゃん」
試合場へ向かう直前、ユヅキが声をかけた。
その声は、喧騒の中でも不思議とまっすぐ耳に届いた。
「勝とうとしすぎなくていい。まず相手を見る。足を止めない。呼吸を忘れない」
「呼吸……ですか?」
「そう。緊張すると、みんな息を止めるからね」
リリィは胸に手を当てた。
確かに呼吸が浅い。
喉はからからで、心臓だけがやけに大きく鳴っている。
ナディアも静かに頷いた。
「そなたはまだ未熟だ。しかし、基礎は積んでいる。怖くても、剣を構えられるなら戦える」
「……はい」
リリィは小さく頷いた。
未熟という言葉が胸に刺さる。
けれど、ナディアの声には見下す響きがなかった。
ただ事実を置き、同時に背中を押してくれる重さがあった。
「それと」
ユヅキが少しだけ笑った。
「コウタなら、たぶんこう言うよ。負けても死ぬな。死ななきゃ次がある、って」
「お館様なら……言いそうです」
リリィの頬が少しだけ緩む。
けれど、試合場へ踏み出した瞬間、その笑みは消えた。
足裏が砂を踏む。
ざり、と乾いた音がした。
その音が、自分がもう観客でも付き添いでもなく、戦う側に立ったことを告げていた。
初戦の相手は、片手剣を持った若い冒険者だった。
年齢はリリィより少し上だろう。
体格は大きく、構えも安定している。
ざっくり言えば、”今はまだDランクだが将来有望な若手”といったところだろうか。
相手はリリィを見るなり、鼻で笑った。
「おいおい、子どもじゃねえか。覇剣祭もずいぶん間口が広いな」
「こ、子どもじゃありません!」
言い返した声は、思った以上に震えていた。
観客席から笑いが起こる。
それだけで、足元の砂が急に沈み込んだように感じた。
「第一試合、始め!」
合図と同時に、相手が踏み込んでくる。
速い。
そう思った瞬間、リリィの身体は硬直していた。
「っ!」
剣を上げるのが遅れる。
刃と刃がぶつかり、腕に重い衝撃が走った。
受け止めきれず、後ろへよろめく。
「どうした! やっぱり威勢だけか!」
相手が畳みかけてくる。
リリィは必死に剣を合わせた。
だが、腕が動かない。
足が砂に絡まる。
頭の中が真っ白になり、普段なら見えるはずの間合いが見えない。
怖い。
見られている。
失敗したら笑われる。
負けたら、やっぱり自分は足手まといだと思われる。
「リリィちゃん!」
観客席の端から、ユヅキの声が飛んだ。
「足!」
その一言で、リリィははっとした。
そうだ。
剣だけで受けるな。
足を使え。
何度も言われてきたことだ。
リリィは相手の二撃目を受けず、横へ逃げた。
完全には避けきれず、肩口を浅く裂かれる。
痛みが走る。
だが、その痛みで逆に頭が冴えた。
「……大丈夫。動けます」
「何をぶつぶつ言ってんだ!」
相手が大振りに斬り込んでくる。
今度は見えた。
肩が先に動く。
踏み込みが深い。
リリィは半歩だけ下がり、刃を流した。
相手の腕が伸びきった瞬間、胴へ木剣の柄頭を叩き込む。
「ぐっ……!」
相手の呼吸が一瞬止まり、身体がわずかに折れる。
その隙を、リリィは見逃さなかった。
「やあああっ!」
踏み込み、剣の腹で肩を打った。
全身の力を乗せた一撃だった。
相手は膝をつく。
「勝者、リリィ!」
歓声が上がる。
大きなものではなかった。
圧勝でもない。
鮮やかな勝利でもない。
それでも、リリィは確かに勝った。
「か、勝てた……」
剣を握る手が震えている。
怖さは消えていない。
けれど、震えたまま勝てた。
控え場所に戻ると、ユヅキが水筒を差し出した。
「初戦突破、おめでとう。よく戻ってきたね」
「はい……でも、最初、全然動けませんでした」
「大舞台の初戦なんてそんなものだ。我も初陣の時は、剣の重さが倍になったように感じた」
ナディアの言葉に、リリィは目を丸くした。
「ナディアさんでも、ですか?」
「当然だ。恐怖を知らない者は、ただの愚か者。戦いの重みを知っているからこそ、動きは鈍る」
その言葉は、不思議と胸に落ちた。
二回戦の相手は、槍を使う女傭兵だった。
初戦の相手より明らかに場慣れしている。
構えた瞬間、リリィは悟った。
強い。
少なくとも、今の自分より戦いを知っている。
「小さいのに、よく一回勝ったね」
「あ、ありがとうございます」
「でも、ここで終わりだよ」
穏やかな声だった。
だからこそ怖い。
合図と同時に突き出された槍は、まっすぐで速かった。
「くっ!」
リリィはかろうじて横へ避ける。
だが、槍の間合いが長い。
近づけない。
一歩踏み込もうとするたび、穂先が顔の前に現れる。
「防戦一方ってとこかい。怪我しないうちに、諦めな」
「っ、まだ……!」




