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深い森にて

 深い緑が、胸の内を掻き立てる。燃え滓などどこにも無い原生林を歩きながら、少女は海産物と鳥に囁いた。


「やっぱり、変わってる」

「溶けた過程も変わったのかな。あの子、どこに行っちゃったんだろう」


 意外に素早く這いずる海産物の言葉に、思わず辺りを見回す。同年代らしき少年の痕跡は、少なくとも少女には見つからなかった。


「そういえば、変な肉の塊とかも落ちてた。あれは何だったんだろう」


 海産物との逃避行の最中に見かけた不可思議な物を思い出す。元通りの森の中で、肉塊はどうなったのか。


「まだ残ってるかもね」


 触角を伸ばして海産物が呟く。


「あんなに丸っこい動物、いるんだね。流石異世界。生きてる姿が見られたらいいけど」

「ふふ、もう見てるよ。ふふふ」


 小刻みに膨れる。笑っているのだろうか。言葉も相まってどうにも不気味な海産物の行動に暫く口を噤む。


 不気味に思う一方で、木々の見分けがつくはずもなく、もっぱら少女はいつの間にか先導をしている海産物を頼りに歩く。以前はあんなに心細かった道中も、二人……もとい二匹も共に居れば流石に気が楽になる。


「ほら、あれ」


 ぴたりと海産物が蠕動を停める。向かう先の草陰に、見覚えのある肉塊が転がっていた。思わず声を上げる。


「うわ」

「あれは取り残されたみたい。小魚あたりに見つかって食べられたかと思ったけど」


 鰓がそよぐ。


「不味そうだったのかな」

「マズソウ、マズソウ」


 二匹の言葉に苦笑いを浮かべ、凍りつく。


 腹をさする。


「……前にご飯食べたの、いつだっけ」

「マエって?」


 首を傾げるように軟体がくねる。すぐに合点がいったのか、通常形態に戻った。


「えっと、あの光が一度沈んで上がってる」

「半日前だ」


 海産物の言葉を他所に少女は混乱する。


 何故、腹が減っていないのだろう。何故、喉が渇かないのだろう。


「言ったでしょう?固定してるからね」


 少女の思考を察したのか、海産物は告げる。


「今の君は何の遷移も起きない状態だ。溶けたり膨れたりして変質しちゃうと、困るし」


 言葉を失う。


 確かに固定がどうのこうのと一瞬言っていたような気がする。


 感謝すべき、なのかもしれない。だがそれ以上に身体をどこかしら弄られたような不信感が、胸の内を占めた。


「加護とやらも使えないようにしたよ。流出の最たるものだし」

「え、あれも君が?」


 ということは、かなり前から海産物に干渉されているのか。もしや漂着した時から?悶々と考え込む少女の周囲を海産物が回る。


「でも食事は大事かもね。そういう、ルーティンって」


 また不気味なことを言う。空かない腹をさすりながら、少女は肉塊に近づいた。流石に時間が経ち過ぎているのか、焦げ臭さに混じって腐敗臭が漂う。


「食べるの?」


 海産物が尋ねる。


「食べないよ」

「そうなんだ。ルーティンはいいの?」

「いいの」

「ソウダ、ヤメトケ」


 鳥が騒ぎ立てる。


「ソレ、ひとダ」


 漂う臭いが、記憶の中に残った何かと紐づいた。口元を押さえ肉塊から離れる。


「人?」

「組成的には問題ないよ」

「そ、そういう問題じゃなくて」


 自身の手足を眺め、肉塊を見つめる。「人」からはかけ離れた形に目眩を覚える。


 あの波で人という種族の形態も変わってしまった、というわけではない。波が来る前からあの肉塊は転がっていた。いつ見つけたのか。襲撃の後、焼けた森を彷徨っている時。


 世界に沈んだ後。


「ひっくり返っちゃっただけだよ」


 ぺたりと、海産物は鰓を寝かせる。


 無論、前後が返ったわけではあるまい。内と外が返ったのだろう。その過程を想像して、少女は海産物から一歩後ずさった。


「君がやったの?」

「そういうものだから、そうなっただけ」


 返ってきた答えが理解できるはずもない。海産物と肉塊を視界から外すように視線を泳がせる。


「そういうものって」

「反転」

「言い換えとかじゃなくて」

「波から逃げるために、君を包んで裏返る。それに巻き込まれて反転したんだ、あれは」


 絶句する。


「戻す?」


 海産物が震える。


 諦めにも似た溜息が出て、しゃがみ込む。


「どうしたの」


 この海産物も、あの魚と同じだ。


 そのことを理解して、少女は目を閉ざす。これからどうやって付き合っていけばいいのだろう。この違う理で生きている生物と。


 何かの拍子で少女が「反転」する可能性だってあるのだ。


 一人と二匹の旅路が突如として雲行きが怪しくなる。肩の鳥も同じことを考えているのか、身じろぎもせず静かだ。


「君、何か色々考えてるね」


 うずくまる少女足元に、ひたひたと海産物は近付く。


「何が気になるの?」


 海産物なりの歩み寄りなのだろう。ただその問いに真正直な答えを返すのは、少女には荷が重かった。先程までごく軽く応対していた海産物への言葉を、一つ一つ考えては諦める。


「……何でもない」


 そう告げて立ち上がる。


「うん」


 海産物も応じて、先導を再開した。あろうことか肉塊の横を通ろうとする。


 文句を言う気力も、当然今はない。頬を伝う脂汗を拭い藪の中に足を踏み入れた。

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