薄荷色の夢妖精は踊る
崩落した迷宮の目の前、魔導バイクの後部座席から降り立ったジェイミーは、硬い靴の踵を打ち鳴らして颯爽と迷宮入口を潜った。
黒いレースの袖に包まれた、白く細い腕が横へ伸びる。
「『暖炉の微睡、子守唄……母の腕に抱かれて沈めーー睡眠』」
するりと振られた短杖の先から、ぶわりと霧のように重たく黒い魔力の粒子が散る。
ジェイミーのすぐ後ろを歩いていたガルドルフは、ぐわんと脳を揺らすような耳鳴りに思わず片耳を押さえた。
「おい、お前……どれだけ広範囲に……」
ゆるりと首だけ振り向いたジェイミーの銀色の瞳が、うっそりと細まる。
「……可能な限り、広く、深く……よ。魔獣も、探索者も、可能な限り……」
そのいかにも世の理を外れたような色彩と表情に、ガルドルフはぞわりと鳥肌立った腕をさすった。
「おい、探索者だけ眠っちまってたら、魔獣に食われるやつも……」
「……?深部にこの程度の『睡眠』も対策してないような探索者は居ないわよ……?」
それでも万が一という事があるだろうとガルドルフは思うのに、ジェイミーは心底不思議そうに首を傾げる。
こういう時、この女の倫理観はどうなっているのかと心配になってしまう。
口論する気も無いのだろう。ジェイミーはすぐにぷいと正面を向き直し、再度短杖を振る。
「『耳を澄ませばせせらぎに、命の数を数えようーー生命探知』」
細く透き通るような声と共に短杖から黒い魔力が円のように描かれて、リィン…、という鈴のような音と共に幾重にも広がってゆく。
「ガルドルフ、地図」
「……坊やは、よせ」
苦い顔でガルドルフの広げた迷宮地図に、ジェイミーの短杖から黒い光がインクのように落ちて小さな丸や文字を描く。
「……あら、ここは地図には無いけれど人が居るわね……。隠し部屋か、崩落の影響か……」
印のついた地図は、迷宮の十五階層分。
まともに捜索していては何日かかるか分からないような範囲である。
「『睡眠解除』を掛けるか物理攻撃をするまでは、昏睡状態が続くはず……。怪我をしてる子も、生命力を消費するよりは生き残りやすいと思うわ……?」
動き回る探索者を探知するより、昏睡させてしまって捜索した方が手っ取り早いという事なのだろうか。
首を傾げるジェイミーの魔術の強度と発想の不道徳性にじわりと汗の滲むような怖れを感じつつ、ガルドルフは冒険者達に救助の指示を出す。
既に昏睡させてしまったのだから、もはや手早く救出する以外にしようがない。
「魔獣も昏睡してるだけで大半は生きてるからな、うっかり起こすなよ」
指示を聞いた冒険者達が、各自思い思いの魔法や手技で地図の情報を共有・伝達してゆく。
「ねぇ、ガルドルフ……?あなたの影は……どうしたの?」
ジェイミーが不思議そうに首を傾げるのを見て、ガルドルフは大きくため息をついた。
「俺ぁ、もう前ほど足が踏み込めねぇんだ。影は若いのに渡したよ」
「……その、若いの、は……?」
「……もう、迷宮の中だ」
ウェインを含む防衛隊の何人かは、初動の救助隊として冒険者と共に迷宮へ潜ったはずだった。
ずい、とガルドルフの前に、ジェイミーが顔を寄せる。
ガルドルフの胸あたりまでしか背丈の無いジェイミーだが、そのガルドルフの胸にぶつからん勢いで近づいてくる。
「……場所」
「そんなもん……」
「場、所」
グイと普段は上がらぬ眦を吊り上げて至近距離から睨み上げてくるジェイミーに、ガルドルフは再度ため息をついた。
「……ちょっと待ってろ」
迷宮の壁に手をついて、自分自身の全身に這うように魔力を流す。
「ーー……っ、」
ガルドルフの体表に彫られた黒いツタにも炎にも見えるような紋様が、魔力を吸ってぞわりと蠢めく。
迷宮の隙間の影から影へ、感覚が延びるように広がってゆく。
目を閉じて感覚を追うガルドルフの額にはじわじわと汗が滲んでいた。
ウェインに能力の大半を受け渡したガルドルフには、簡単な槍程度の物を影から取り出すような力しか残されていなかった。
迷宮全体を影で探索するような仕事は、当然、能力限界である。
それでも、影同士が引き合うのならば、迷宮のどこかに居るウェインを見つけ出せるはずだった。
ズル…、と蠢めく影の気配を感じたガルドルフは、閉じていた目を開けた。
「居た。……五階層の、南側だ」
発した声が、奇妙に掠れていた。
長距離を全力疾走した直後のように、息が切れ、全身が震える。
「ーー……あぁ、……本当に、ほとんど全てを受け渡してしまったのね……?」
迷宮の壁際に膝をついたガルドルフの汗に濡れた頬に、温度の低いジェイミーの手のひらが触れる。
『ーー……、ーー』
ジェイミーの呟いた何かは、ガルドルフには聞き取れない言語だった。
魔法言語に近しくも異なるその呪文によって、ジェイミーの手のひらからガルドルフの頬を通り首筋から心臓へ、彼女の黒い魔力が流れ込む。
「ーーっは、……っ、」
広範囲に広がっていた影が収束し、呼吸の仕方を思い出したガルドルフの肺が大きく息を吸い込む。
ドクリ、ドクリ、と脈動する心臓が徐々に元のように戻ってゆくのを感じながら、ガルドルフは迷宮の床に腰を下ろした。
「……礼は言わんぞ。お前の無茶振りを受けた結果だ」
「あら……お礼なんか望んでないわ……?でも……」
白い指筋がガルドルフの首筋を撫で上げる。
「ずいぶん……混ざってしまったわね……」
にぃ、と目を細められてガルドルフは目を眇める。
悪趣味な女だ。
「ふざけた冗談言ってねぇで、早く行け」
「……あなたも来るかと、思ったのに……」
「立てるか。行け」
「……残念、」
カツン、カツン、とジェイミーの靴が音を立てて迷宮の奥へと消えていった。
その音が消えて充分経ってから、ガルドルフは盛大なため息をついて迷宮の壁に後頭部をごちりと預けた。
夢魔というものは人間の夢に現れて魔力を吸い取る生き物なのだが、その能力の応用で魔力を与える事もできるらしい。
人間でも不可能ではないが、効率がかなり落ちる。
つまり、今先ほどガルドルフが無茶な魔法の行使で魔力を使い果たしそうになったところに、ジェイミーが魔力を分け与えてくれたという図式なのだが。
人間であるガルドルフにとっては、魔力というものは混ざったとしてもいずれ本人の魔力に置き換わるもので、大きな意味など無いのだが。
どうも、夢魔の常識では魔力を分け合うという行為自体が相当の意味を持つらしかった。
(冒険者ってのは、どうしてこう、どいつもこいつも変なのばっかりなんだ……)
わけのわからない理由で思わせぶりなからかいを受ける事など日常茶飯事なもので。
次の冒険者一団が迷宮に到着するまで、と決めたガルドルフはひとまず休息のために目を閉じた。
*****
「おい、起きろ」
迷宮を下へ降っていたウェイン含めた防衛隊一行は、急激に全身が重くなるような眠気に襲われた。
しかし、装備品と持ち前の特殊防御力でもって睡魔に抵抗したウェインは、ひとまず横で地面に倒れ込んだジェイクを引っ張り起こして顔面を叩いた。
なお、イアン、アーヴィン、ルーカスも無事に抵抗したらしい。
隊長であるテッドは、アーヴィンに優しく揺り起こされている。
「……なんだと思う?」
「こんな広範囲の睡眠かけられる魔獣いたら、ヤベーと思います」
「じゃあ、魔術師か」
「それにしちゃ、なんで俺らまでって気は……ふぁふ、」
「隊長、頑張って起きてください」
低く問うアーヴィンにルーカスが答え、ウェインの断定にテッドの疑問が挟まった。
そのテッドがまだ眠たげにあくびをするのを、アーヴィンが揺すっている。
ウェインに顔面を引っ叩かれたジェイクは、まだ船を漕いで夢の中だ。
「もう一発殴っていいと思うか?」
「あんまり殴ったら、ジェイクの顔変わっちゃいますよ、副隊長」
「別に構わんが」
「ちょっとぉ……」
真顔で言うウェインをルーカスが苦笑して取り押さえ、その隙にイアンがジェイクに『睡眠解除』の魔法をかけた。
「……で」
「どうする」
6人揃って態勢を整え、ウェインとテッドは顔を見合わせた。
「どうするって、探索者探して救助だろ?」
首を傾げたのはジェイク。
「こんな大規模な『睡眠』を使うなんて話聞いてなかったろ。何か作戦変更があったなら、伝達を待った方が良い」
「あー、まあそりゃ、そうか……」
呆れたように説明するウェインに、ジェイクは顎を撫でて唸った。
急いで救助に向かいたい気持ちはあるが、作戦を知らずに味方同士で衝突でもしたら事故の元だ。
「……とりあえず、近場で昏睡してる魔獣の首落としておくか。近くに探索者が居れば救助しながら連絡を待つ」
「アイサー」
チャキリと剣を構えたテッドに5人が返事をして、周囲にいる『狼蜥蜴』の首を手際良く落とす。
魔石も重要な資源になるため、可能な限り回収する。
「アーヴィン、生存者分かるか?」
「昏睡している者が多いため、分かりにくい……」
アーヴィンの探索力は元々の視聴覚をさらに高める手技であるため、音がしないものの探索にはやや不向きだった。
それでも僅かな呼吸音で生存者を見つけては、魔獣の少ない空間へ運ぶ。
しばらくして、ウェインは前方斜め上の天井にミシリとヒビが入るのを見た。
それもヒビの周囲が急激に古びて枯れるかのように、じわじわと乾燥してカサカサパラパラと崩れ始める。
嫌な予感がして、その場から2歩ほど後ずさった時だった。
天井のヒビがバキリと割れて、上から黒い服を纏った何かが降って来た。
ダンッと地面を踏み締めた黒い服ーー恐らくレースのドレスーーを纏った生き物は、キラキラとウェーブしたミントグリーンの髪をパサリと振り払って周囲を見まわした。
「……あなたかしら。影をあの子から受け取った子」
ウェイン以外だったら、尋ねられてもなんの事か分からなかったかも知れない。
しかしウェインは、少し考えて、こくりと頷いた。
何故それを知っているのかは知らないが、彼女の言う『あの子』がガルドルフである以上、敵とは思えなかった。
なお、見た目もゴツく隻眼で髭面で筋骨隆々とした壮年の男ガルドルフが何故『あの子』などと呼ばれているのかについては、ウェインは考えない事にした。
頷いたウェインに、その女性ーージェイミーはふわりと笑顔を浮かべて両手を打ち合わせた。
「あぁ……。良かったわ……。床を何度も壊すのは、大変だもの……」
なんだか、話の趣旨が分かりにくい喋り方をする人だ。
ウェインが先を促すように首を傾げると、ジェイミーが手を合わせたままにこりと微笑む。
「……あのね?……あなたの影で、ジェイミーを連れて行って貰えないかしら……?……大丈夫よ、ジェイミーは人間の魔力に溶け込むのが、とても上手だから……」
「……?」
何を言われたのか理解ができずに顎を引くと、その様子に目をパチパチとさせたジェイミーも首を傾げた。
「……あなたの中に居る、沢山の影達の話よ……?」
スッと手を伸ばしたジェイミーが、不用意にウェインの手を握る。
すると握り合わせたその手のひらから、肌が溶け合うように境界が曖昧になり。
「……あら、あなた、……彼よりもっと、素敵な能力を持ってるじゃない……?」
ウェインの顔のすぐ目の前で、焦点の分かりにくい銀色の瞳がじわりと細まった。
「……素敵、……これなら、あなたも一緒に行けるわね」
まるで社交ダンスでも誘うかのようにウェインの両手を取ったジェイミーは、まさに踊り出すかのようにステップを踏んだ。
繋ぎ合わせた手のひらが溶け、触れた胸が、腹が溶け、ズルリと溶け合わさったまま、ジェイミーとウェインは迷宮の影へと溶け込んでしまった。
女性を、悪意の無い狂気の持ち主に描きがちな自覚はあります。
何故でしょう。癖ですね。
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