影の中を泳ぐ魚
暗闇に幾多の魂を感じる。
時に啜り泣き、時に怒号を交わし、時に笑い合うその魂達の騒めきを聴きながら、ウェインは自分自身が深く深く落ちてゆくのを感じていた。
これほど長く闇の中に潜っていたことは無かったのに、ちっとも息が苦しくならないのが不思議だった。
ーー……ドチャッ。
「うぐっ、」
突然の浮遊感と衝撃を感じて呻く。
「……あら、やだ……着地に失敗しちゃったわ……?」
青緑の石畳様の地面の上で。
仰向けに倒れたウェインの腹に跨った木漏れ日色の女は、握ったままのウェインの両手を掲げながらくすくすと笑った。
「あなたと、手を繋いでいたからね……?」
なんだ今のは、とか。手を離せ、とか。いつまで乗っているつもりだ、とか。そもそもこれは誘拐じゃないか、とか。
言ってやりたい事は山ほどあった気がするし、実際言っても良いはずだった。
けれど、出てきたのは。
「あんた、……なんなんだ」
ため息混じりの問いかけ一つ。
「……?……ジェイミー、よ」
首を傾げた女が楽しそうに目を細めて、しかしそれしか言わないもので、ウェインはこの女の名前以外何も情報が得られなかった。
「……。……とりあえず、どいてくれないか」
「……あら、……あなたは随分、シャイなのね……?」
そういう問題じゃない。
ウェインは言いようのない脱力感を覚えながら、どうすれば良いのかと思案する。
握られている両手を離したいのに、何故か離れない。
触れれば折れそうな腕をしているというのに、どういうことなのか。
力があるという感じでもない。むしろ無い。
無いものは振り解けない、という感覚だった。
こういう、話が分からなさそうな上に何を考えているか分からないタイプがウェインは苦手だ。
防衛隊のジェイクも話が分からないので大分嫌いだが、それでも何を考えているのかは分かりやすいのでこの女よりはマシだった。
「……あんた、何か目的があったんだろう。こんな事してて良いのか」
少し考えて問いかけた言葉は、幸い相手に響いたようだった。
ハッとしたように目を瞬いたジェイミーは、ウェインの上からするりと立ち上がって、カツン、カツンと靴を鳴らし歩きながら短杖を揺らした。
やはり、魔術師らしい。
立ち上がるのが面倒くさくなって床に転がったままのウェインの顔の傍で、黒いレースの裾がヒラヒラと揺れている。
『耳を澄ませばせせらぎに……、命の数を数えようーー生命探知』
小鳥の歌うような、澄んだ声だった。
リィン…、と鈴を思わせるような何かの振動が、周囲に広がってゆくのを感じる。
そのまま口元に指先を当てて目を瞑っていた彼女は、「あら……」と小さく呟きながら目を開けた。
「……魔獣の中にも抵抗する子が居るかと思ったんだけど……、この辺りには居ない、わねぇ……?」
それでようやくウェインは得心がいく。
「さっきの『睡眠』、あんたか」
身体の横に腕をついて上半身を起こしながら声をかけると、明後日の方向を見ていたジェイミーがくるりと振り向いて笑いながら頷いた。
「あなた達は抵抗できたのね……いいこ」
わざわざウェインのすぐ横にしゃがみ込んで、片手は自分の頬を支えつつ、反対の手で前髪のあたりをくすぐるように撫でてくる。
自分達はそれが仕事だというのに、いいこも何も無いだろうと思ったが、睨んでみても女は気にせず笑うだけだ。
微笑むジェイミーが胸の前に両手を出すと、球を撫でるような動きに合わせて黒い魔術鳥が表れた。
「……はい、この子、お願いね……?」
まるでなんの気も無いような仕草でその鳥をポンと胸元へ押し付けられたウェインは、その鳥が音も無く自分の胸の内側へ消えた事に目を瞠る。
感覚を追えば、自身の影の中を魔術鳥が通り抜けてゆくのが分かる。
不快感は特に無かった。が。
「おい、他人の魔術を息を吸うように操るな」
ウェインは目の前の女に人差し指を突きつけて、語気も強く言った。
先ほど影を伝ってこの場所へ移動したのも、今魔術鳥を運んでいるのも、ウェインが意図して行った事ではなかった。
となれば、横にいるこの女が操っているとしか思えない。
しかし、ウェインの横にしゃがみ込んだままの女は膝の上に両肘を置いて自分の顔を手のひらで包み込むようにしながら、不思議そうに首を傾げる。
「……だって、……息は、吸うものじゃない?」
一瞬、何を言われたのか理解ができなかった。
「……、……」
なんとなく、彼女にとってはそれが当たり前なのだという意味だろうと察しがついた後も、ウェインはなんと返せば良いのか分からず、何度か口を開閉し、結局何も言えずに片手で額を覆った。
「あんたに常識を問うのは、時間の無駄な気がしてきた」
精一杯の皮肉を込めたつもりだったが、女は気にせずニコニコとしている。
それがまるで「分かってくれて嬉しいわ」と言わんばかりなので、ウェインは目いっぱい肺の空気を吐き出す他ない。
「……ここ、どこなんだ」
もはや今さらとしか言いようの無い問いを吐いて周囲を見回すと、女も分かっていないような顔で首を傾げる。
「さぁ……?十五階層か……十八階層あたりまでは降りたかしら……、迷宮の真ん中あたりね」
なんだか、この女と話していると頭がおかしくなりそうだ。
「あんたが連れて来たんだろ」
「……んん、……できるだけ下へ降りようとしたんだけれど、途中で引っかかってしまったの」
しゃがんだまま薄緑色の髪を弄ぶ女が何を言ってるのか、分からない。
「……でも、この場所からでも充分に、下の状況が分かったわ……。『あの子』が居る場所も……」
その『あの子』というのがガルドルフではない別の誰かだということは、どうして分かったのだろう。
ガルドルフの事ならば探しているはずが無いと無意識に思ったのかも知れない。
この女にとっては、屈強な冒険者も誰も彼も、幼い子供のように見えるのかも知れないと、そんな事をウェインはぼんやり思った。
言葉も無く、するりと絡まされた指先と合わさる手のひらに、この先の事象を予測する。
「……また、性懲りも無く俺の魔術にタダ乗りする気か」
顔を顰めて文句を言うのに。
「……嫌?」
指を絡めて薄く笑う女を拒絶できない。
それが異常と言えば異常だった。
ぬるりと境界が消えて無くなる感覚は。
やはり不思議と、不快ではなかった。
今更ですが人外好きのケモナーのオジサン好きです(突然の自己紹介)
人外の常識通じないとこ好きです。
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