休息は飛翔の止まり木
「寝室って、ロルフの泊まってる宿の部屋って意味でしたか……」
ミャルガにせがまれて『猫の目屋』の最上級室に案内した三葉は、そうは言いつつも納得はできていなかった。
いや、ロルフの部屋に用がある方がよく分からないですよ。
『猫の目屋』の主人にはロルフに危機が迫っているので緊急の捜査の為に、と断って特別に部屋に入れてもらったわけなのだが。
(僕これ、ミャルガの付き纏い行為の幇助とかにならないですよね)
ミャルガがロルフに特別な好意を抱いているなんて話は聞いた事が無かったけれど、と思ったが。
寝台に近付いたミャルガがロルフが普段使っている枕に鼻を押し付けてスンスンと匂いを嗅ぎ始めたあたりで、胃のあたりがズンと重くなった三葉だった。
ああ、これ、駄目かも知れない。
(ごめんロルフ。君が大変な時に、僕は君の苦難を増やしただけかも知れない)
しかし、振り向いたミャルガが口を半開きにしたまま瞳孔の開いたオリーブ色の瞳でギョン…と三葉を見上げた事に、また別の意味でギョッとする。
「一緒に寝てるにゃ……?」
「え、はぃ……?」
突然の問いの意味が分からず首を傾げた三葉は、ミャルガに抱えられた枕と、この寝室の主と、問いかけられた自分の繋がりを思い出して「あっ、」と声を上げた。
「いえあの、最近は僕は一人で寝てる、……ので……?」
なんだか、最近倦怠期に入った夫婦みたいな事を言ってしまったし、以前は一緒に寝ていたと白状したような物なのではなかろうか。
いや、実際に一緒に寝ていたわけだが、なんらやましい事は無いのだが。
「……あ、あの、えーと……以前は住む家も無い有り様だったので、ロルフの好意で泊めてもらっていたと言いますか……」
何故だろう。言い訳をすればするほど悪い事をしていた気になる。
「同じ宿に住んでたのは知ってたにゃけど、同じベッドで寝てて、しかもこんな『あっ、ロルフ好きです、気持ち良いです』みたいな匂いさせてるとは思わなかったにゃ……」
「どっ……、」
どんな匂いですか、それ。
いや、訊くまい。訊いたら何を言われるか分からなくて恐ろし過ぎる。
耳まで茹だるような熱を感じながら、三葉は必死に首を振った。
「本当に、何もありませんから!ミャルガが言うような事、考えた事も無いですし!」
あまり信じていなさそうなミャルガは片耳をぺたんと寝かせたまま三葉をジロと見たが、しかしため息一つついて、枕を寝台へ戻してくれた。
「ほんとににゃー、ミャルガほどお猫好しな天才魔術師は、そうそういないにゃ。感謝するにゃ」
ミャルガが『夢見カバン』の中から何やら腕輪らしき銀の装飾品を取り出し、枕の横に置く。
さらにカバンから短杖を取り出し、空中へ円を描くとそれがそのまま銀色の輪になって残る。
肉球のついた小さな手がひょいひょいと器用に動いて、その輪の中に魔法文字らしき物を書き込んでゆく。
『夢は泡沫、泡を鎖に繋ぎ現の舟を乗り付ける。杭を持ち繋ぎ止めよう。壊れぬ悪夢の先に此方を広げよ』
三葉は初めて聞く不思議な呪文に耳を傾けた。
この猫のような魔術師が魔法を使うのを見るのは『魔獣暴走』の折りに東門付近で助けられて以来だろうか。
しかしその時は呪文一つで魔術を構築していた気がするので、彼がこんなに綺麗な呪文を紡ぐのも、肉球の手がこんなに器用に美しい銀色の文字を描くのも知らなかった。
繊細な桃銀色の魔力が砂糖菓子のようにキラキラと宙を舞う。
『鳥は海を泳ぎ、魚は地を這い、蜥蜴は空を飛ぶ。夢は現、現は夢。反転して舟は漕ぎ出し夢の彼方へ』
置かれていた腕輪が桃銀の光の粒に包まれて、一緒に溶けるように消えていった。
「さて、それじゃ、ミャーは寝るにゃ」
「えっ?」
何が起きたのかと思っていたら、そんな事を言ったミャルガが今度は寝台の上に飛び乗ってポフンと尻尾を振る。
そのまま、またクルンと宙に円を描き、さらさらと魔法文字を付け足し。
今度は『夢見カバン』から取り出した緑色の液体の入ったガラス瓶に、薬包紙のような紙に包まれた赤い粉を入れる。
「タカニャリは、やりたいと思う事をしたら良いにゃ」
ニッと少しだけ白い歯を見せて笑った黒猫の顔は、とてもかわいいのに妙に頼もしかった。
くるりとまた杖を振るい。
『夢は現、現は夢ーーおやすみ、世界』
銀の粉を浴びながら、ガラス瓶の中身をグイと飲み干した黒猫は、宣言通り寝台の上で丸くなって寝てしまった。
*****
「やりたい事……」
寝台の横に取り残された三葉は独り、その場に座り込んでいた。
何も考えずにやりたい事を挙げるのならば、今すぐ迷宮へ走って行きたい。
なんの役にも立たない自分自身を顧みず、ただガムシャラに彼の元を目指してしまいたい。
けれど、そうして向こう見ずに駆け出すには、三葉は歳を取りすぎてしまった。
そうして駆け出したところで最下層へは容易に辿り着けない事も理解できてしまうし、戦闘能力も探索能力も無い自分が迷宮へ乗り込んだところで、他の冒険者の危険が増えるだけだと予想できてしまう。
フラリと立ち上がったところで、ふと洗面台の鏡が目に入った。
髪は伸び、無精髭が生え、以前より肉付きが良くなり表情の緩まった、守られる事に慣れてしまったおじさんがそこにいた。
「やりたい事……、やりたい事ですか」
そのまま洗面台に近寄り、剃刀を手に取る。
石鹸を適当に泡立てて、顔につけ、剃刀を頬に当てる。
以前自分が使っていたものとは違いナイフ状の剃刀だから勝手は違うが、頬から顎、顎下から首までをするすると撫でるように剃る。
ロルフの使う物だからだろう、剃刀もきちんと刃が鋭く、力を入れなくても剃りやすかった。
水を出して顔を洗い、顔を拭き、棚から整髪料を探し取って、以前より少し長い髪を手櫛で掻き上げ後ろへ流す。
整髪料は何か植物の油なのだろうか、重く甘い香りと清涼感のある何かと、少しの油脂を混ぜたような不思議な匂いがした。
最後に眼鏡を一度外し、きちんと磨いてかけ直す。
立ち上がってからそうして身支度を整えるまで、ものの3分もかからなかった。
「僕もまだ、闘争心というものがあるんですね」
以前は社会人として最低限の義務だと思っていた身嗜みだが、今の三葉にとっては『戦闘服』だった。
「『やりたい事』やりましょう」
寝ているミャルガに毛布を一枚かけ、宿の主人には彼が寝ている事を伝え、三葉は足速に歩き出した。
*****
「『迷宮崩落』について証言まとめました。リコリス副ギルド長、確認お願いします」
「探索者救護室、回復薬足りませんので、一時的に商用在庫の開放を提言します。こちらに商用在庫数のリストと、使用在庫数確認リスト作成しました。また、新たな在庫確保については現在、商業ギルドおよび在籍薬術師に魔術鳥を送って連絡中です」
「救援部隊第三弾について、編成完了しました。迷宮まで輸送する馬車は間もなく到着する予定です。第四弾輸送の為の馬車も手配完了しました。確認お願いします」
その日、デカント街冒険者ギルドは、三葉孝則という男の事務処理能力を思い知る事となる。
それは、『迷宮崩落』およびその救出劇の前では話題にもならないほど小さな事で、ギルドの外では噂にすらならなかったが。
「なんか、山のように仕事があると思ったのに、気がついたら消えてたよなー」
「思ったより救援の編成が早くできて良かったよね」
「救護室、途中から作業がとてもスムーズになって……皆さんのおかげです」
ギルド職員の平和な感想と共に、『迷宮崩落』の裏側を支える事となった。
だいぶ胃痛が緩和されてきました。
もう少し頑張っていきます。
ブックマーク・評価・いいね・応援ありがとうございます。励みになります。




