それは確かに恋文だった
愛美の意識は暗闇に揺蕩っていた。
眠って起きたら暗闇の中にいる事など彼女にとっては珍しくも無いので、慌てたりなどはしなかった。
けれど、マリアを呼びかけても応答が無いし、普段ならばもう少し薄暗い場所に居るはずなのに、そこは完全な暗闇だったので、少し不思議だった。
手足は自由に動かないが、なんだか背中が温かいような気がした。
(うーん、……『別の子』が起きちゃったのかしら)
誰だか知らないけれど、マリアでも愛美でも無い何かが身体を動かしている時があるようだった。
その子が表に出て来る時は、大体マリアが恐怖に取り乱した時や愛美が怒りに我を忘れた時なので、三葉といる限りは出て来ないかと思っていたのだけれど。
(迷宮だし、マリアが怖がったりしちゃったのかしら)
魔獣の出る場所だから、そんな事もあるかしら、と愛美は思った。
共に行動しているはずのロルフの事は、特に気にならなかった。
心配しがいの無い男でもあるし、多少彼が困ったところで愛美にはどうでも良かったというのもある。
(そんな事より、あの人が引き返したりしないかが心配だわ)
せっかく迷宮の奥深くまで潜って来たのに、目的を果たせずに帰る事になったりしたらいけない。
(うーん、どうにか表に出られないかしら。マリア以外にはやった事が無いんだけれど)
暗闇に意識を浸しながら、愛美は自分自身の感覚を取り戻そうと探った。
*****
「ロルフ、ぎゅっとして?」
「ーー……しててやるから、黙ってろ」
最初に聞こえたのは、そんな男女の会話だった。
(なぁに?このバカみたいな会話)
愛美はうえっと舌を出そうとして、身体が動かない事を思い出して意識の中だけでため息をついた。
女の声はしたっ足らずで甘えた子供みたいだったし、低く潜めた男の声は不遜で面倒くさげで偉そうだった。
「……、ロルフぅ……、」
「……。分かってる。イイ子だから、ジッとしてろ」
甘ったるそうな会話に髪を掻きむしりたくなった愛美だった。
ロルフというのが愛美を護衛していたロルフなら、愛美を放ったらかして女の子とイチャついているのだろうか。
そこまで思って愛美は気付く。魔獣がゴロゴロ湧き出る迷宮に、そんなに都合良く女の子が何人も居るわけがない。
(まさか!この『女の声』って私の声!?)
つまり、今まさに私が襲われている(?)という事である。
(ーー絶対、許さないんだから!)
怒りと共に、殆ど無理矢理、意識を浮上させた愛美であった。
「ーーっ、」
しかし、身体の感覚が戻っても、視界は未だに暗闇の中だった。
「やだ、何ーー、」
慌ててもがき、背後に何か温かくのし掛かる物があると気付いて押し除けようとし、その温かい何かが手のひらを柔らかく押し返す感触に固まる。
その間、数秒の出来事だった。
「……待て、お前、マリアか愛美か、どっちだ」
思った以上の至近距離、耳のすぐ後ろで聞こえた男の低い声に、愛美はゾワゾワと全身が総毛立つのを感じた。
「あっ……、あんた!私に一体何ーーむぐうっ……!!」
危機感に叫ぼうとした愛美の口を大きく温かい何かが塞ぐ。
「ん゛む゛ーーーーっ!!」
「いい、分かった。愛美だな。分かったからちょっと黙ってろ。声を落とせ」
ジタバタと暴れた足が岩か何かを蹴ってしまって痛かった。
「あと、その手をどけろ。後で後悔するから」
「ん゛む゛っ!?」
言われて、背後の何かを押し返そうとして固まったままの自分の体勢を考えてみる。
声の位置からして、男が後ろに居て、腕が前に回って愛美の口を押さえていて、愛美の足の先には岩があって、つまりこの、愛美が触れている何か柔らかい温かいものは……、……ロルフ?
愛美は動きを止めた後も、もう少し考えてみる。
私、自分の肩のすぐ横と、腰の後ろ、辺りを……触れていて、それって、あんまり触ってはいけないところを触ってやしないかしら。
「……」
考えるのをやめ、そっと腕を離した愛美である。
はぁ、と呆れたようなため息が聞こえる。
それにまたムカムカと腹が立って来る。
何よ、元はと言えばこんなところで私を抱き締めてるあんたがいけないんじゃない!
早く手を離しなさいよ!
(大体、こんなところで、なんで黙ってる必要なんかーー……)
……ーーズルリ。
暗闇だと思っていた岩の隙間が、音を立ててズレた。
「ーー……っ……!!」
僅かな隙間から差した緑の光に、ズレた岩のようなものが照らされる。
その巨大な岩らしき何かの表面が、どろどろとした何かで覆われたウネウネと蠕動する何かだという事に、気付いてしまった。
「……ひっ、」
(いやぁああーーーーっ!!!)
愛美の絶叫は、いち早くこれを察知したロルフによって無事抑えられた。
*****
「なんでお前らどいつもこいつも、俺の言う事を聞くって事ができねぇんだ」
「あ、あ、あんなの見て叫ばないでいられないわよ!何よあれ!山みたいな大きさの蛞蝓!!」
「アレに追っかけられたくねぇだろうと思って岩陰に隠れてやったってのに、ギャアギャア騒ぎやがって。……耳の悪い魔獣だったからまだ良かったものの……あいつは毒液吐くから面倒くせぇんだよ」
「しかも毒蛞蝓なの!?」
またもや肩に担がれながら、愛美はバシバシとロルフの背中を叩いた。
「岩陰に隠れてただけだったら私だって騒がないわよ!あんなギュウギュウくっつく必要あった!?大体聞いてたんだからね!『ギュッとしてやるから黙ってろ』とか『イイ子だ、ジッとしてろ』とか、鳥肌立つような甘ったるい台詞でもう一人の私を口説いてた事!!」
「言っ……!!てね……、……言ってねぇだろ!?」
「言ってたじゃない!バカ!変態!」
「言ってね……少なくとも口説いてねぇ!」
「口説く気も無くあんなセリフ言えるんだったらもっと変態じゃないの!!」
「うっ、……ぐぅっ、」
状況を説明しようにも、ロルフにもなんと言ったら良いのか分からない。
暗闇で息を殺して待つように指示をしたものの獣が怖がってすぐに声を立てようとするので、可能な限り伝わりやすい単語で嗜めていたような気はするが、どんな言い回しをしていたかまでは正直覚えていないのだった。
そもそも普段の自分なら使わないような単語を致し方なしに使っていた自覚があるだけに、それが側から見てまともに見えたかという事については自信の無いロルフである。
*****
「まあでも、知らない間に引き返されたりしてなくて良かったわ」
「今からでも引き返してやりてぇ」
「やだ、職務放棄でタッくんに言いつけてやるから」
「てめぇ、なんでもミツバ引き合いに出せば良いと思うなよ……」
「ふーんだ、タッくんに頭が上がらないのなんか、お見通しなんだから」
ようやく25階層の『記録地点』まで辿り着いたロルフは、愛美を長椅子に座らせて自分は立ったまま大きく身体を伸ばした。
深部へ進むほど魔獣の脅威が上がる迷宮では、ここまで来る探索者は殆ど居ない。
「しかし……本当に最下層まで降りるのか?何もねぇぞ。木の根みてぇなもんがあるだけだ」
「良いのよ。一番下にあるの。分かるんだから」
言い切る愛美に、ロルフはやれやれとため息をついて手のひらを広げる。
「……『言葉を司る鳥よ、待ち人に想いを伝え給え』」
赤い球体状に集まった光が、ポンと音をたてて鳥の形になる。
「『飛べ。ーー空よりも高く、風よりも遠く』」
フワリと手のひらから飛び立った赤い鳥がスゥッと空を切って飛んで行く。
「……あら、あなた、そんな綺麗な魔法も使えるのね」
丁寧に織られた魔術鳥を見上げた愛美が驚いたように目を瞬く。
「こんな迷宮の奥から送るんだ。適当な術だと壊れるからな」
教科書を読み上げるような返事をつまらなく思いながら、ふうんと返事をした愛美は、少し離れた場所へ座って保存食を齧るロルフを眺めた。
なんだか、この男が1番面倒くさそうだ。
(まあ、良いわ。あと少しだもの)
この迷宮の最奥へ行けば、愛美の求めるものがある。
(もう少しだけ待っててね、ーータッくん)
*****
ギルドの入り口の開閉に合わせて、一羽の赤い鳥が器用にギルド内へ舞い込んだ。
「……あれ?」
受付に座り首を傾げる三葉の机の上へ、ヒラリと舞い降りた鳥は、そのままちょこんと羽をしまってお行儀良く座り、目を丸くする三葉の目の前で糸が解けるようにスルスルと赤い文字になった。
『 迷宮25階層
両名無事。
最下層へ向かう
追伸:よく寝て
よく食べるように 』
宛名は無かったが、誰から誰に宛てた物か一目ですぐに分かった。
くすりと目元を綻ばせた三葉が赤い文字を指先でなぞると、繊細なそれは溶けるように消えてしまった。
*****
その、わずか3日後の事だった。
「迷宮全体が突然巨大なツタに覆われました!魔獣かその他の異常現象か分かっていません!内部も崩壊が進み、階層の多くが閉ざされて、探索者も冒険者もかなりの数が取り残されました!」
迷宮は閉ざされ、ロルフと愛美を含めた多くの人々が行方不明となった。
胃が痛い。
すぐ胃が痛い展開になる。
もっとほのぼのしてくれ




