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後編

 ノックの音が廊下に響く。

 誰だ、と室内から所属を問われて、その通り素直に答えれば慌てた様子で扉は開かれた。

 中に居るのは、いかにも人がさそうな顔を曇らせた大隊長ルダン・イベシル子爵。それから、細い肩を怒らせ神経質そうな顔に怒りの表情を乗せた副官アンディオ。


「……さっさと入れ」


 怒鳴りたいのを押し殺したようなアンディオの声に従い、ジョー・ブラウンは緊張した様子でイベシル大隊長の執務室へと足を踏み入れた。


「何故戻ってきた? 例の物は提出できたのか」

「えーっと……それがそのー……」

「さっさと答えろ!」


 ヒイ、と小さく悲鳴を上げるジョー。

 普段であれば副官を宥めるはずの大隊長は、執務机に肘をつき両手を組み合わせ、俯くことしかできない。

 彼はただただ懇願していたのだ。ベネディアンナ王国民が信仰する女神、聖ベネデッタに。


「い、今は受け取れないとかって言われて、あと上司にきちんと相談しろって言われまして……」


 だから退職届は受理されなかったと主張する。副官は盛大な舌打ちと共に、この役立たずがと言いたげな目でジョーを睨みつけた。

 ふう、という大きな溜め息を漏らしたのは大隊長だ。祈りの姿勢のまま、副官に問いかける。


「……潮時、ではないか?」

「まさか! 閣下、諦めるには早すぎます!」

「しかしだな……団長に目を付けられてしまっては」

「まだ我々だとは判明していません。確証がなければ、令状など取りようもないのですから……!」


 慌てた様子で大隊長に説明する副官は、そのまま奥の棚へと駆け寄る。

 その上に置いてあった小さな壺を持ち上げるなり、彼はすぐさまジョーに向かってそれを突き付けた。

 奇妙な形の壺の正面には、顔のような紋様が刻まれている。その目は怪しげな視線でジョーの姿を捉えていた。


「さあ、もう一度退職届を出してこい。今度は受理されるまで戻ってくるな」

「どうして、おれが……?」

「閣下の地位を脅かす貴族のガキ共ばかり辞めていては特定されてしまうだろうが。お前は攪乱のための囮だ」


 光栄だろう、閣下のお役に立てるなんて。

 歪んだ笑みで副官は更に言葉を続ける。徐々に虚ろになっていくジョーの目を見て、今回も上手くいったとほくそ笑んだ。


 彼がこの壺を手に入れたのは半年前。怪しい露店商人から「願いの叶う壺」だと言われて購入し、その効果が出だしたのは三カ月ほど前のことになる。

 去年から、彼が心酔するイベシル子爵は頭を悩ませていた。大隊長へと出世したことによる、金銭的な問題である。

 地位が上がった分だけ様々な費用がかさむ。それは、副官として経済的な面を支えてきたアンディオには手に取るようにわかっていた。

 このままではイベシル子爵が大隊長の地位を手放しかねない。そう考えたアンディオは、ついに隊に与えられた資金に手を伸ばす。いわゆる公金の横領である。

 イベシル子爵は、何ということをしてくれたのだとは言ったものの、アンディオを法的に裁こうとはしなかった。それだけ子爵は切羽詰まっていたのもあるが、長年我が子のように思ってきたアンディオだけを突き出す勇気もなかったというのが本音だろう。


 そして、先ほどの壺が効力を発揮する。

 ふとしたときに、アンディオは壺に向かって呟いたのだ。誰かに責任を擦り付け、どうにか退職に追い込めれば、と。

 それは何故か叶ってしまった。偶々その呟きの後半を聞いていたとある若い騎士が、虚ろな目をして退職届を提出してきたのだ。

 最初は半信半疑だったアンディオだったが、その壺に催眠効果があるのは何度か繰り返せばすぐに判明した。

 しめたと思った彼は、すぐにイベシル子爵に従おうとしない、実家の爵位だけは高い若い騎士たちを次々に辞めさせていった。


 そして今、若い貴族の騎士ばかり退職しているのでは怪しまれるだろうと、居ても居なくとも構わない平民の見習い騎士を辞めさせようとしている。

 罪は一度犯せば次々と重ねなくては繕えない。止めどきがわからないまま、アンディオは何度も壺に頼った。


「もう一度言う。閣下のために騎士団を辞めろ!」


 ジョーの瞳から光が失われていく。今までの経験から、これで上手くいくはずだと確信したアンディオは再び暗い笑みを浮かべてみせた。

 その瞬間だった。勢いよく扉が開かれ、廊下から数人の騎士が踏み込んできたのは。


「なっ……何だ貴様ら……! ここはイベシル大隊長の執務室――」


 最後まで言い切れずに、アンディオは二人の騎士に拘束される。

 大隊長はハッと顔を上げたが、執務机の横に並んだ二人の騎士を見て唖然としていた。


「はい、ちょっと失礼しますよ」


 そこへ飄々とした態度で入室したのは、いたって目立つところもない青年こと、「天秤の従僕」のベイリー。

 その一歩後ろに控えるのは、騎士団長の婚約者であるマリアベーラ・ローズベリー侯爵令嬢である。


「あの壺の中だな?」

「ああ、掃除のとき失くしたと思ってたんだけど、あんなとこ入ってるなんてなー」


 呑気な様子で言うジョーに呆れた目を向けつつ、ベイリーは拘束されたアンディオが持つ壺の中を覗き込む。

 そこにはジョーの媒介である小さなリングの他に、小振りの水晶玉や呪術用のネックレス、小さな細工杖などが入れられていた。

 効力がありそうなものは何でも入れてみたといったところだろうか。雑多にも程がある。


 ハンカチに包んでからリングを拾い上げたベイリーは、上下左右から眺めて本物だと確信すると、それをそっと懐に入れた。

 大事な物証である。後で提出する必要があるので、これは今ジョーには返せない。


「間違いなく指定特殊魔道具ですね、確認しました。二人とも拘束、連行してください」


 そう宣言すると、執務机の前に立っているだけだった騎士も動き始める。両腕を掴まれた大隊長は、放心した様子で強制的に席から立たされた。


 ベイリーが立てた作戦は、いたって単純明快である。

 令状を取る時間がないので、現行犯として捕縛する。裁きはその後、というわけだ。


 何の現行犯とするかが問題だったが、これはジョーの媒介が役に立つ。

 「天秤の従僕」の媒介は、指定特殊魔道具という扱いになる。これは使用するためにある種の許可が必要になる代物だ。

 いわゆる、免許が必要な危険物だと思ってもらって差し支えない。


 自覚がないとはいえ無免許で媒介を使用している現場さえ押さえればこちらのもの。

 というわけで、その現場に突入するためにベイリーはジョーを囮に使ったのだった。


「貴様ら、令状もなしにこのような真似……!」


 許されると思っているのか、と睨みつけてくる副官。彼にとっては自分が捕まることよりも、イベシル子爵に手を出されることの方が許せないらしい。

 令状のことを真っ先に持ち出すなんて、腹に一物抱えている一番の証拠だ。確証ではないが。真っ先にアリバイを語り出す容疑者が怪しい理屈と同じようなものである。


「そうですね。ベネディアンナ王国法典第十一編百四十三章三節には、『騎士による貴族の捕縛にはその必要があることを認める令状を提出すべし』とあります」


 ちなみに平民である副官アンディオに対してはこれは当てはまらない。

 準貴族の扱いになる騎士に平民が捕縛されるのはいたって普通のことだからだ。いかにベネディアンナ王国とはいえ、貴族と平民の身分差は覆せないのが現状である。


「ただし、第十一編二百十二章一節には『今まさに罪を犯した者を現行犯とし、現行犯人は一般私人でも捕縛できることとする』ともあります。どうやらお詳しいご様子。当然ながらご存知ですよね?」


 すらすらとそらんじるベイリーの様子に、副官はただただ口を開閉させるだけ。

 流石にここまでくれば、副官にはこちらが教会の関係者だとわかったらしい。下手に喋って心証を悪くしても問題だとでも思っているのだろうか。

 そんなことで、ベイリーの追及の手が緩むことはないのだけれど。


「あなた方は今まさに、我々の前で犯罪を行いました。よって現行犯として捕縛させていただきます。これは違法行為ではありません。聖ベネデッタの名に懸けて誓いましょう」

「……うわー、生き生きしてるわー。悪い顔してるわー……」


 小声でジョーがそう呟くので睨みつけてやってから、こほんとベイリーは一つ咳払いを挟んだ。

 次に出す合図のために、空気を入れ替える必要があったからだ。


「ここで拘束し教会で正式な判決を言い渡す……と言いたいところなのですが、本来であれば騎士を裁くのはまず第一に騎士団の戒律。そういうわけで、まずは団長閣下のご意見をうかがうことにしましょう」


 お願いします、とベイリーが合図を送ると、まずは「こんなはずじゃなかった」「私が間違えるはずがない」「全ては閣下のために」と、何やら訳のわからないことを叫ぶ副官から扉の向こうへ消えていく。

 それから、騎士たちは力の抜けた大隊長を引きずるようにして歩かせた。


 扉へ向かっていくその姿はあまりにも哀れだったが、こと犯罪者に関してはベイリーに一切の容赦はない。

 俯くその顔を横合いから覗き込みながら薄い笑みを浮かべて、ベイリーは言う。

 その笑みは悪鬼のようだったと、後に語ったジョーは当然ながら全力で殴られた。


「ご安心ください。この騎士団に不当な強制解雇はありませんし、あなた方の罪は解雇処分には軽すぎます。悪くとも辺境の砦に左遷されるだけでしょうね」


 俗にそれを飼い殺しと言うのだが、大隊長は気付いているのだろうか。放心している様子だから、こちらの声は全く届いていないかもしれない。

 騎士団長の元へと連れられていく背中を見ながら、出荷される子牛の歌を頭の中で流しつつ。


「これにて一件落着」


 普段より幾分か晴れやかな声で言ってのけたベイリーに、マリアベーラは苦笑混じりで礼を言うことしかできなかった。


   *


 これは後日の余談ではあるが。


「……僕は昇級、ジョー・ブラウンは厳重注意ですか」

「おや、不服かい?」

「いえ、妥当かと」


 王都に位置する聖ベネデッタ教会の大聖堂。

 奥まった位置にある執務室に呼び出されたベイリーは、差し出された報告書を眺めて溜め息をつく。

 ソファーの向かい側に腰掛けた彼の上司は、にこにこと人好きのする笑顔で紅茶を飲んでいた。

 実に優雅なことで、と思いつつベイリーは同僚の馬鹿について考える。


 今回の事件、本来の意味での黒幕はこの上司なのである。

 イベシル大隊長の横領疑惑。そのネタを掴んだのは数カ月前の話だ。

 それがここまで放置されていたのは、おいそれと騎士団へ調査に入れるような理由がなく、人員もいなかったのが理由である。

 ならば調査、並びに審議処断を行える人員が入れる理由を作ってやればいい。

 過程と結論が入れ替わっているような気がしなくもないが、これがこの上司という人間なのだから仕方ない。


 わざと副官アンディオの手元にジョーの媒介を流して、奇妙な事件を起こさせる。ジョーは思考誘導を掛けられていたのだろう。彼に演技ができるとは思えない。

 その事件の調査のために部下を潜入させ、横領疑惑も一気に片付ける。

 小火ぼやの傍で新たに火を付けて、その後自分で消すような所業だ。正気の沙汰とは思えないが、ギリギリのところで法に触れてはいないのだから恐ろしい。


「……一つだけ、質問しても?」

「良いよ。何でも聞きたまえ」


 両腕を広げる上司。芝居じみていて非常に胡散臭い姿は見慣れたものだ。

 ふう、と気持ちを落ち着けるために一つ大きく息を吐いてから、ベイリーは静かに問いかける。


「僕がマリアベーラ嬢と関わったから、この仕事をてたんですね?」


 それは疑問というよりは、確認の意味の方が強かった。

 上司は笑みを深めておもむろに指を組み合わせる。手の甲に顎を置きにっこりと笑う様はまるで悪の組織の幹部のようだ。絶対に口には出さないが。


「わかっているなら話は早い」

「今後、続きますか」

「それは何とも。彼女の周辺で何か事件が起こるようなら、できる限りの誘導はするけれどもね」


 何せ我々に余っている手足はないのだから、と歌うように上司は言う。

 結局は彼の手の平の上で踊らされているだけなのだろうな、と思いながらもベイリーは粛々と頭を下げた。


 願わくば、彼女がトラブルメーカーでないことを。

 静かに聖ベネデッタへと祈りを捧げたベイリーだったが、その願いが叶う日は遠くなりそうだ。


(終)

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― 新着の感想 ―
[一言] シリーズ通して一気読み致しました!大変面白かったです。ベイリーはこれから胃薬を大量購入しなくてはならない人生を歩むことになるのでしょうか…(合掌
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