我、退(ひ)かず
昼間の明るい太陽の光は洞窟の奥までは届かず洞窟から突き付けられる風は生暖かい。
ごつごつとした岩は影を隠し、影は見えないところで怪物のように蠢き、踊る。
不気味な洞窟は所々に人工的に作られた痕跡はあるが、長い年月が経過した為か洞窟は風化し忘れさられようとしている。
少年に案内された洞窟を迅は進む。
暗い洞窟内部を進むなら必需品はランタンか松明であろうか?しかし、迅が持つ物はランタンや松明などでなく懐中電灯である。
懐中電灯といっても普通の安い懐中電灯ではない。
耐久性と耐水性、長時間でも長持ちするバッテリーを備えた高性能な懐中電灯である。
備えあれば憂い無し。夜間での行動や洞窟で寝泊まりする事も考え用意しておいたのだ。
「車のヘッドライトの10倍以上の明るさが出せるのだから科学は凄いな……」
暗い洞窟も一瞬で明るくなるし、1キロ先まで光が届く代物である。
そんな懐中電灯で地面を照らし迷い込んでしまったかもしれない少年の痕跡を探す。
「やはり、この洞窟に迷い込んでいるな……」
地面には少年と思われる新しい靴跡がある。
迅は洞窟を知る為に天井を見上げる。天井までの高さは5mくらいであるが迅は唇を噛み締める。
もし洞窟内のモンスターと戦闘になった時を考え、鬼の状態に戻る事も考えていた。
一般の大人の男の獄卒の身長は3m前後なので問題ないが、変異種の自分だと5mの高さの洞窟では収まらない。変化を解けば洞窟を破壊してしまう。
誰かが作った物にしろ、自然に出来た物でも壊す事は好きではない。
迅は耳に神経を集中して洞窟奥部を探る。
「痛いよ……」
洞窟奥から少年と思われる声がする。声がするという事は生きている証拠。モンスターに殺されてしまったという最悪の状況ではない。
迅は急いで声のした洞窟奥部へと進む。
なぜ洞窟から出てこないのかの疑問はある。
迷い込んで出口が分からなくなったのか、それとも怪我をして動けない状況なのか。
「む……!」
目を疑う光景がそこにはあった。
落石によって足を怪我をしたであろう少年の周りを得体の知れない生物達が取り囲んでいるのだ。
それはカンガルーを小型化した体とウサギのような長い耳を持った生物。
これだけなら可愛いらしい生物かもしれないが、暗い洞窟で生息している為か目は退化しており、大きく裂けた口とそこから覗かせる尖った牙がそれを否定させる。
少年の周りをピョンピョン跳ねているだけで少年に危害を加える様子はなさそうだが馬鹿にしたように笑っているようで気味が悪い。
「ゲヒビビア!」
迅に気付くと馬鹿にするように笑いながら立ち去った。
「大丈夫か?」
迅は足を怪我をした少年に近付く。落ちた落石が積み重なり少年の右足が挟まり抜けなくなっている。
「誰……?」
迅は急いで少年の足の上に落ちた落石をどかす。
「ヴァルト君だね?おじさんはマーセル君から君を探す依頼を受けたんだ」
「マーセルが?」
遺跡の洞窟に向かう途中でいなくなった少年はヴァルト。案内してくれた少年はマーセルと聞いた。
落石をどかすと少年の右足を確認する。足は潰れていないがまともに立っては歩けないだろう。
「ここは危ないから早く出よう。友達も外で待っている」
「うん……。おじちゃん、ありがとね」
こんな暗い洞窟で1人で居続けたら、どんな人間でも発狂してしまう。
モンスターとも遭遇したくないし関わりたくはないので、迅は少年をおぶって外へと進む。
「おじちゃんて魔法使いなの?」
「この光の事か?」
魔道具の何かだと思ったのであろうか、洞窟を照らす懐中電灯の光を少年は不思議に尋ねる。
この懐中電灯はただの懐中電灯ではない。37000mの明るさを出せる代物だ。車のヘッドライトの10倍以上の明るさを出せるので、こんな光を当てられたならば失明の恐れもある。
もし夜盗等に襲われた場合の自衛や戦闘においては目眩ましになるだろうとも考えていた。
「おじちゃんは魔法使いじゃないよ。魔道具を使ってるだけさ」
懐中電灯は魔道具と説明した。
この世界でも光で洞窟を照らす魔術もあると思われるが、この懐中電灯の技術はこの世界には無い技術なので欲深な者なら自分を殺してでも欲しがるだろう。
「フゴォォォ……!」
喉を鳴らし何かが急速に自分達に走って近付いてくる。何かの正体は分からないが分かるのは怪物だという事。
少年を背負って早足で駆けるが相手は確実に自分達の方に向かってくる。
逃げ切れそうにないので少年を岩影に降ろして意を決して向き直る。
洞窟の外にはマーセルや遺跡へ向かう途中で合流した孤児院の年長者の者達を待たせているので危険に晒す訳にはいかない。
懐中電灯の強力な光が迫りくる怪物を照らす。強力な光を受けても怪物は光に怯む様子は全くない。
「トロール……」
少年がモンスターの名前を呼ぶが、とても妖精を思わせる外見ではない。
その体は外界の光が当たらない為か白い体毛で覆われている。
空想上の生物であるイエティを思わせる外観だが、違うところといえば腹がかなり出ているところであろうか。
太い手には少年の周りを跳び跳ねていたモンスターが握られている。
こんな時でも笑った様に声を鳴らしているのは気味が悪かった。
少年にトロールと呼ばれたモンスターも目は退化している為、自分達は見えてはいないであろうが音や臭いで自分達の事は分かっているのであろう。
「勝手に入ってしまった事は申し訳ない。自分達は、すぐに出ていくから見逃してくれないか?」
石の翻訳能力で異世界人の言葉も理解し話せる。話し合いで済むのならそれに越した事はない。
目の前の怪物は手に持った小動物モンスターを口元に持っていくと、口を大きく開けた。
そして小動物モンスターを頭から噛みちぎった。
小動物モンスターの血飛沫が飛び散るがトロールは気にせず貪り食っている。
「フゴァァァァ!」
モンスターが雄叫びをあげる。
目の前の相手には話し合いは通じそうにない。勝手に侵入した事に怒っているのか、腹が減っているのか襲いかかろうとしてくる。
状況は最悪だ。
時間も集中力もかかるので隙を晒す為に鬼になる事も出来ない。人間形態でやらなくてはならない。
「やるしかないようだな……」
猪、熊の次は怪物である。
少年は岩影に隠し、更に自身の外套に包み目立たなくしてある。
この外套も地獄の生物の皮を使って作ってあるので耐久力という防御力は勿論の事、耐寒、耐熱、耐火性に優れている。
子供を庇うように、地獄の獄卒は目の前の怪物の前に立ち塞がる。
暗い洞窟というステージを地面に置いた懐中電灯が照らす。
トロールと呼ばれたモンスターとゴリラと呼ばれた男の顔は互いに凶悪である。
「うおおっ!」
雄叫びと共に一瞬で距離を詰め、迅はトロールに襲いかかる。
素人が食らえば一発で内臓破裂してしまいそうな豪腕によるボディーブローを何発も腹に当てるが脂肪が厚すぎる為か相手には効いていない。
「くそっ!」
鳩尾に、右拳で渾身の一撃。しかし、分厚い脂肪と筋肉が全ての衝撃を遮り、威力が伝わらない。
それでも迅は決して退かない覚悟でトロールに立ち向かう。
デカイ奴と小さい奴が、ぶつかれば勝つのはどちらか?
答えは当然デカイ奴だ。理由はデカイ方が力があるからだ。
過去に青い目のサムライと呼ばれた格闘家が韓国の巨神兵と呼ばれた格闘家と対戦した試合があった。
身長差は40cm、体重差は50キロの巨神兵に青い目のサムライはローキックの与え続けて動きを鈍らせ、右のハイキックでぐらつかせて、最後は顔面攻撃で巨神兵を倒した試合に観客は沸いていた。
アナウンサーは奇跡が起きたと言っていたが、あれは奇跡などではない。
青い目のサムライの技術が高かったから勝ったのだと迅は思っている。
小さくても相当な技術があればデカイ奴には勝てるのだ。
しかし、目の前の相手とは身長差1m以上、体重差は300キロ以上ありそうだがやるしかない。
巨神兵に挑んだ青い目のサムライを自分を重ねる。
青い目のサムライと呼ばれた男のように今度は目の前の怪物にローキックとインローの連打を与える。
ローキックはハイキックや回し蹴りのようや派手さは無いが、どんな者でも足にダメージを受け続ければ立てなくなる。
しかし、木製バットすら破壊する迅の蹴りの連打を受けても怪物はダメージを受けている様子はない。
「くぅっ……!」
攻めているのは自分なのに心が削られるのも自分だった。
ローキックを与える迅を鬱陶しい蚊を追い払うようにトロールは拳を振るう。
自分の後ろには怪我をした子供がいるから、スウェーやバックステップの回避は許されない。
トロールの懐に潜り込み、振るわれた拳をかわす。
少し曲がったトロールの膝を踏み台にして、トロールの顎に飛び膝蹴りを食らわす。
続いて腹に右のミドルキックの連打とリバーブローのコンビネーションを当てる。平然としている。
打撃だけではなくタックルも食らわせるがビクともしない。
拳を振り落とそうとするトロールにそうはさせまいと、がっぷりと四つに組むが力と体格差に押される。
「クソ力だっ!!」
脂肪の溜まったトロールの腹を掴み、気合いの掛け声と共に400キロ以上はありそうなトロールをリフトアップする。
人間でも500キロ以上のベンチプレスを持ち上げる超人がいるが、ベンチプレスを300キロ以上を頭上まで挙げた人間はいないのて世界新記録であろう。
「ふんっ!」
400キロ以上はあるトロールをボディスラムで投げ飛ばして押し戻す。
素人がプロレスラーのボディスラムを食らえば大ダメージであろうが、目の前の怪物には全然効いておらず、むくりと立ち上がり迅に迫る。
トロールの凪ぎ払うように振るわれた左拳を振るった。それを右腕で受けるが体が宙を飛び、地面を転がり、岩壁にぶつかってようやく止まる。
地獄の蜘蛛の糸で作った防護服の上からでも右腕の痺れを感じながら、迅は己の馬鹿差加減を思い知る。
人間は素手では犬や猫にすら勝てない。ましてやモンスターと人間では基本性能が違い過ぎる。
地獄の蜘蛛の糸の防護服のおかげで肉体的ダメージは抑えられているが精神的ダメージは大きかった。
恐怖は脳へと刻まれ身体に支障をもたらす。気付けば自分の足が震えているのだ。
その事に意識が向いてしまった瞬間、ズドン、と重くて硬いトロールの拳が腹に突き刺さる。
「がっ……!」
口から内臓が飛び出しそうな痛みと衝撃に体が痙攣し、悶えながら地面に前のめり倒れこむ。
地面に倒れた迅の背中をトロールは踏みつけた。巨体の重圧に、背骨が大きく軋む。
トロールは更に足に力を加え、迅は背骨の痛みに悲鳴を漏らしそうになったが、寸前でそれを呑み込んだ。
少年と目が合ったのだ。幼い顔は今にも泣き出しそうで、少年をそんなふうに悲しませる自分が情けなかった。
「おじちゃん!」
その一声で消えかけた闘志に再び火が灯る。立ち上がれ!と体中に命令が走る。
トロールの片足を持ち上げながら、迅は立ち上がる。
片足を持ち上げている状態から相手を倒しテイクダウンを取る練習は何度もやってきた。
片足を抱えてトロールを引っ張った。素人相手の人間だったらこれで倒していただろう。
しかし、目の前の怪物は倒れない。少し自分側に動いただけだった。
それで充分だ。
残ったトロールの片足に低空ドロップキックを食らわす。引く力と押す力でトロールはバランスを崩し倒れた。
寝かせてしまえば体格差など関係ないがコイツに関節技なんて効くのか?と思う程、手足が太い。
打撃も投げもタックルもやった。関節技も効きそうにないなら締め技で決めてやると立ち上がるトロールの背後にしがみつく。
相手の耳と耳をくっ付け、右腕は相手の首筋を通して自分の左の二の腕を掴む。
至近距離だと突き刺すような凄まじい臭気がトロールからするが今は気にしてられない。
「お前は締め技は食らった事はあるか?私は子供だと思って油断していたら締め落とされそうになったぞ」
締め技は、女や子供のような細い腕の方が、より一層効く技である。
トロールと比べれば自分の腕の方が細い。しかし、細い故に太い首を持つトロールには抜群である。
足は相手の鼠径部と呼ばれる、股の付け根に当てて動けないように固定する。
そして右腕は締め上げるように、左腕は押し付けるようにして首を挟み、全身を引き伸ばすように力を込めて締め技を決める。
「フゴッ、ブゲッ!」
トロールは必死に振りほどこうとするが、足がガッチリ固定されている為に迅を振り落とす事は出来なかった。
暴れれば暴れる程にトロールは酸素を失い、やがて裸締めによりKOされる。
締め技で落としたと思った迅は技を解く。
おそらく窒息死はしてないはず。
人間より生命力が強い為かトロールはすぐに息を吹き返した。
「まだやるか……?」
試合なら終了であろうが殺し合いをするのなら相手を殺すしか終了方法はない。
異世界転生者を殺す為にあらゆる対策と装備は備えている。迅は腰に装着したナイフに手をかける。
そんな迅の気迫に圧されたのかトロールは逃げ出す。
トロールは洞窟の奥へと逃げ出すが、これ以上戦う気も殺す気もないので追撃はしない。自分達は侵入者であるし、何より子供の救出が最優先だ。
「肋骨にヒビが入ってるかもな……」
無我夢中だったので分からなかったが、戦闘が終わったと同時に体に痛みが走る。
それでも再び少年を抱えて洞窟を出ようとした時、突如として洞窟内に不気味な足音が鳴り響く。
聴覚より入った音は時として恐怖として人間に脳に刻まれる。しかし、それは聴覚だけではなく視覚でも恐怖を与える。
トロールとの戦闘に引き寄せられたのか、はたまた迅の懐中電灯の光に虫のように引き寄せられたのか迅と少年の目の前にはモンスターの群れが現れる。
2つの首を持つ大型の蛇、亀の甲羅を背負った大型のトカゲ、蛭とムカデを組み合わせたような気持ち悪いようなモンスター達が10匹以上もいる。
RPGゲームに出る敵で迅は不思議に思っていた事がある。
例えば戦闘シーンで同じ種類のモンスターが3匹出るのは仲間だからとまだ分かる。
しかし、全く種族が違うモンスター達が徒党を組んで敵として現れるのは理解出来なかった。
今、目の前では全く違う種族のモンスター達が迅達に立ちはだかっているのだ。
「お前達も私達を逃がしてはくれないよな……?」
先程の戦闘のダメージなのか恐怖からくるものなのか体は自然に震える。
駄目元で聞いてみるが侵入者は許されないようだ。
同胞の瑠衣とダーツの再戦の約束をしていたが、あれは死亡フラグだったんじゃないかと思えてくる。
怪物達は殺意を帯びた声をあげる。
「あ……。うぁぁ……」
少年の顔は恐怖に歪み、涙を流しながら己の行動を後悔して「助けて……」と訴える。
満身創痍ながらも、恐怖に怯える少年を迅は見捨てなどしない。
救うと決めた子供を見捨てて逃げたら自分は最低な大人だ。
拳を強く握り、決して退かない覚悟で怪物達を睨み立ち塞がる。それでも人間状態では勝機は無い。
(あれをやるしかないか……)
戦争を止める事など自分には出来ない。しかし目の前の敵から少年を守る事は自分なら出来る。
小さな命を守る為に地獄の鬼は決意する。
“我、退かず。“
心の厳重な封を解き、鬼の力の一部を人間形態に流し込む。
「くうっ」
全身に鬼の力が濁流として流れ込む。
血液は交じり合う事に興奮を覚える。細胞は生まれ変わる事に歓喜している。込み上げる破壊衝動と暴れ狂おうとする魂を統率する。
全身の筋肉が隆起を始める。身体も一回り大きくなり顔付きも少し鬼へと近付いていく。
鬼の力の一部でも体内に収まらず溢れ続けるエネルギーは、その場にいる全ての生物に殺気となり突き刺さる。
殺気に当てられた少年は気を失う。
怪物達は放たれた殺気に格の違いを知り萎縮する。
それでも亀の甲羅を背負った大トカゲは迅に向かってくる。
その行為は戦いを挑むものではなく、当てられた殺気に狂いだし訳も分からず向かってくる行為だ。
人間など簡単に吹き飛ばしそうな甲羅を使った突進も片腕で簡単に止める。
「大人しくしていろ……」
それでも大トカゲは静まる事はなく更に狂い暴れだす。
その行為に少し苛立ちを覚えた迅は甲羅を握った指に少し力を込め甲羅に指穴を開けた。
硬い甲羅の守りも鬼の力の前には無力であった。
トロールよりは軽いであろう300キロ以上はありそうな大トカゲを片手で軽々と持ち上げ、死なない程度に力加減して洞窟奥部めがけて投げ飛ばす。
地獄では300キロの重量など若い獄卒達が野球やサッカーで遊ぶ程度の球の重量でしかない。
「命を奪う気はない……。失せろ!」
生物の本能であろうか、相手との力の差を感じたモンスター達は洞窟奥部へと逃げ出した。
それを見届けた迅は鬼の力を封じる。
「やはり、急激な負荷には耐えられないか……」
鬼の力の一部でも急激に力を流した為に身体に激痛が走る。
体は痛むが、なんとか気を失った子供をおぶって洞窟の外へと歩みだした。




