アシュリーは静かに目を閉じた
「凄い綺麗な衣装!」
私は鏡に写った自分を見てくるくると踊る。鏡に写っているのは華美な衣装に包まれた自分の姿。
市民に生まれた以上こんな綺麗な服を着ることなんて叶わないと思っていた。
鏡の自分を見て思う。まるで本当のお姫様になったみたいだと。
いいや違う。私はお姫様になるのだ。だって私は貴族であるアルティス様と結婚するのだから。
アルティス様と付き合って数ヶ月。正直アルティス様とのデートはあまり楽しくなかった。
アルティス様はいつも自分優先で私のことを気遣ってはくれない。
でもそれはきっとまだ付き合って数ヶ月でお互いのことをよく知らないから。
お互いのことを知っていけばきっとアルティス様も私も相手のことがもっと好きになって楽しいデートだって出来るようになるはず。
それに結婚すれば私の生活は安定するしお母さんの薬も用意してくれるらしい。
平民の私がこれだけ優遇して貰えるのだ。デートがつまらなかったからといって何も悩む必要などないのだ。
「それに……今日はみんなの前で私達の婚約を発表する日」
私がいるのは交流会の控え室。そこでアルティス様の紹介と共に私がパーティー会場に入る算段になっている。
貧民と貴族の恋愛。それに抵抗のある貴族方もいるだろうけどちゃんとしていればみんな分かってくれるはず。
私は緊張しながら使用人が呼びに来るのを大人しく待っている。
そして使用人に呼び出されて私は会場へと向かう。
会場ではアルティス様が一人の女性と向かい合っていた。
黒色の髪だった。可憐な黒髪のショートヘアーだった。
可愛らしい顔をしていた水色の瞳をしていた。
貴族社会では華美な見た目である方が美しいとされている。
そういう意味では悪い言い方になるが彼女の黒髪や可愛らしい顔立ちは地味と言えるのかも知れない。
でも私は彼女を一目見た瞬間、こんなに綺麗な人がいるのだと驚いた。
彼女は一体誰なのだろうと不思議と思っているとアルティス様が大きな声でその少女に向かって言葉を紡ぐ。
「シア・グランデ! お前に婚約破棄を言い渡す!」
それは婚約破棄の宣言だった。それを聞いて私は固まる。
「婚約破棄ってどういう……」
私は少し前にアルティス様に聞いたことがある。
貴族なのに婚約者はいないのかとそれに対して彼はいると答えた。
でも同時にアレとはもう別れたと言っていた。だから安心していたのにまさか私が婚約発表をするパーティーで婚約破棄するとは思わなかった。
「アシュリー、さあおいで」
私は使用人と一緒にアルティス様のところへと向かうと彼はそっと私の手を引いて私を抱き寄せる。
そして彼は何度かシアと呼ばれた元婚約者と話をしてーー彼女に見せつけるように私とキスをした。
正直嫌だった。もっと普通の幸せなキスをしたかった。
なのにこんな他人の心を踏みにじるようなキスをしてしまった。
最低なキスだった最悪なキスだった。でも私はそんなキスを拒まなかった。
理由は色々とある。母親の薬代の為だからとかアルティス様のことが好きだからだとか。
でもきっとそれらの理由は全て嘘。自分を綺麗に見せたくてそんなもっともらしい理由を浮かべただけに過ぎない。
ならば何故私はキスを拒まなかったのか、その理由は簡単きっと私はーーお姫様になりたかったんだ。
キスを終えて私は横目でそっとシア様の方を見る。
彼女の青色の瞳からはポロポロと涙が溢れていた。
恋の涙だった。愛の涙だった。そして何よりも綺麗な涙だった。
きっと私は彼女よりも卑怯で卑劣で汚い人間だからこんな綺麗な涙は流せないと思った。
「お前は地味なだけじゃなくて暗いな。もう俺とお前は婚約者ではないんだ。さっさとこのパーティー会場から出ていってくれ」
アルティス様に言われてシア様は逃げるようにその場を去る。
その後ろ姿を見るのが私は辛くて自分のやっていることがどれだけ醜い行いなのかを知っていたから。
それを自覚しないように私は静かに目を閉じた。
ーーー
だからこれはきっとその罰なのだと思う。報いなのだと思う。
「なんでどの貴族も俺への支援を断るんだッ!」
アルティス様は怒りのままに椅子を蹴り飛ばす。
私達の婚約が発表されて数週間。公爵令嬢アデリス卿の支援打ち切りと共に他の貴族達も一斉に慌てるようにアルトワ家への金銭的支援を断るようになった。
このアルトワ領は領土一つで運営できるほど金銭的な余裕があるわけではない。
むしろ複数の貴族からの援助によって成り立っている領地だった。
今まではアデリス公爵令嬢の多額の支援により資金不足でも問題なく領地を運営していたがその支援がなくなり資金が一気に減り始めたのだ。
アルティス様は華美なものを好まれるお方だ。本来であれば多額の資金を得たのならばそれを何かあった場合の有事の為にと資金を温存するのが普通。
でも彼はそうしなかった。彼は有事のためにではなく贅沢の為に使っていたのだ。
「お前のせいだ! お前が貧民出身だからそれで他の貴族から顰蹙を買い支援が受けられなくなったのだ」
「……申し訳ありません」
私はもはや日課になった謝罪を口にする。既に私の身体は痣だらけでそれらは全て彼によって付けられたものだった。
お姫様になればキラキラとした幸せな日々が待っていると思っていた。
でもきっと私は勘違いしていたのた。お姫様になれるのは綺麗な心を持った人だけ。
だからこそあんなに綺麗な日々を送ることが出来るのだ。
そして私は汚い人間だから悪い人間だからこんな悲しい日々しか用意されていなかったのだ。
「あの一つよろしいでしょうかアルティス様」
私が落ち込んでいると一人の使用人がそっと言葉を口にする。
「なんだ?」
「恐らくなのですが今回の資金援助を断っている件ですがアシュリー様のせいではないと思います。他に理由があるのだと」
「理由?」
「現在アデリス様に婚約者が出来たのではという話を耳にしましてその婚約者がですね……どうもシア・グランデだという噂があるのです」
「シア? あんな女を好きになるなどアデリス卿も変わったお方だ」
「そもそもアデリス様の多額の援助はシア様への恋ゆえなのではと私は考えています」
使用人の意見にアルティス様はしばらく長考する。
「まさかあの女にそんな価値があったとはな。だが相手は既に婚約済みなのだろう。普通の貴族であればまだしもあのアデリス卿相手から婚約者を奪えば問題になる」
「それは正式な婚約者ならばの話です。婚約発表自体はまだ行っていません。本来であれば婚約者を決めたのならば正式な発表があるはずそれがないということは……」
「まだシアは婚約者ではない。故にシアをアデリス卿から奪って資金援助を申し出ることも可能というわけだな」
正直二人の会話の意味が分からなかった。それは何も会話の内容が分からないという意味ではない。
あれだけ酷い婚約破棄をしておいてどうしてよりを戻せると思っているのかその思考が分からなかったのだ。
それにもう一つ気になることがあった。シア様が婚約者になるのならば私はどうなるのだろうか。
「シアは俺に惚れているからな。ちょっと甘い言葉を囁けば何とかなるだろう。だが酷い婚約破棄をやった手前、印象の悪化は避けられん。何とかしなければ」
アルティス様はそういうと何度か考える仕草をしてその後、嬉しそうな残虐な笑みを浮かべて私の方を見た。
「こうしよう。俺はお前に騙されたのだ」
「え……?」
「お前は残酷な悪女だ。俺を誘惑しシアを愛する俺を惑わせた。あの酷い婚約破棄だって全てはお前が考えたことだろ?」
それに対して否定したかった。全て嘘だと全て偽りだと。
でも出来なかった。だって私はアルティス様に愛して貰えることに期待をしていた。
シア様の涙を見ても見なかったふりをした。婚約者と別れたと聞いて申し訳なく思うのではなく安心してしまった。
一つ一つの行動は悪意が無かったかもしれない。
でも私の行動は全て悪いことで悪女と呼ばれても何も言い返すことが出来なかった。
「勿論俺のために協力してくれるよな」
アルティス様の言葉に私は何も言うことが出来なくてただ静かに頷いた。




