↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
娘が結婚する日まで、私は嘘をついていた  作者: 雨宮 弦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/16

第9話 母のために会わない

 木曜は二人とも帰宅が遅くなった。


 紗枝が買ってきた総菜を皿に移していると、結菜が玄関で、今日はご飯を炊かなくていいと言った。


「おにぎり、買ってきた。お母さんの分も」


「こっちも買ってきちゃった」


「じゃあ、明日の分になるね」


 袋をのぞき、娘が笑った。食卓には、二人で食べるには多い唐揚げと、四つのおにぎりが並んだ。


 こんな日は前にもあった。携帯電話で一言送れば重ならずに済むのに、どちらも、相手が遅くなるなら用意しておこうと考える。


 結菜は制服を脱いで戻ると、紗枝の向かいに座った。


「お母さん、寝不足?」


「そう見える?」


「目、赤いから」


 紗枝は目元へ手をやった。昨夜も、話すべきことを考えて眠れなかった。


「少し。でも、大丈夫」


「仕事、忙しい?」


「いつもと変わらないよ」


 結菜が、おにぎりの包みを開けた。


 娘が結婚するまでの数か月、これまでどおりに暮らせると思っていた。帰宅を待ち、ご飯を食べ、たまに結婚の相談を受ける。火曜の夜に約束してからは、黙って食べる時間にも、まだ話していないことがあると分かっていた。


「来週、お父さんとご飯食べる」


 結菜が言った。


「和樹と三人で。休み、合ったから」


「そう」


「前に相談してた日で決まった」


 紗枝は、おにぎりから落ちた米粒を拾った。


「楽しんでおいで」


 言えたことにほっとすると、娘がこちらを見ていた。


「お母さん、無理してる?」


「そんなことない」


 紗枝はすぐに答え、すぐだったことを悔やんだ。


「気にしなくていいのよ。お父さんと会うのは、結菜の自由なんだから」


「そう言われても、気にする癖がある」


 結菜は唐揚げの皿を少し寄せた。紗枝は、自分が聞き返すべきか迷った。


「昔から?」


「うん」


 娘は、箸を持ったまま答えた。


「帰ってくると、お母さん、あんまりしゃべらない日があったから」


「疲れてたんだと思う」


「うん。だから、行くと疲れさせるんだと思ってた」


 紗枝はおにぎりを置いた。


 待ち合わせへ送ったあと、買い物を済ませて家へ戻る。洗濯をして、また迎えに出る。それは実際に大変だった。娘が帰れば、夕飯の支度もある。


「面会の日だけ特別に疲れてたわけじゃないよ。平日だって」


「分かってる」


 結菜の声が強くなった。


「……今は分かるってこと。私も働いてるから。でも、あの時、仕事の疲れとお父さんの話の区別なんて、できないよ」


 紗枝は空いた包みをたたんだ。


「そんなに、いつも黙ってた?」


「いつもって言ってない」


 娘は皿の端の唐揚げを二つに割った。中の肉からまだ湯気が出た。


「鳥にお父さんのパン取られた話は、笑ったよね。覚えてる?」


「覚えてる。結菜が鳥のまねをして」


「うん。だから、よく分からなかった。どの話ならしていいのか」


 紗枝は娘を見た。結菜は割った唐揚げを口へ運び、熱かったのか、しばらく話さなかった。


「笑った日があったから、大丈夫だと思ってた」


「うん」


 結菜の返事は短かった。紗枝のために、もう何かを足すことはなかった。


 娘が高学年になってから、面会を断る日が増えた。紗枝はそれを、父親と出かけるより友達といたい年頃なのだと思っていた。娘がそう言えば、あえて別の理由を探さずに済んだ。


「友達と遊ぶって言ってたでしょう」


「それも本当。毎回、お母さんのために断ってたわけじゃない。塾があったり、面倒だったりもした」


 結菜は少し考えて、続けた。


「でも、お母さんと家にいれば、もうちょっと楽かなって思う日はあった。掃除とか手伝えるし。一人で留守番させるの、悪い気もした」


「一人で留守番」


 紗枝は小さく繰り返した。


 待つのは自分だった。けれど、娘は母親を家に残して遊びに行くのだと思っていた。


「お父さんに会う日なのに、お母さんを置いていくみたいで。行くのをやめた時、お母さんが、じゃあ一緒に買い物しようって言うと、よかったって思ってた」


 紗枝は食卓の端を見た。


 予定が空けば、うれしかった。娘と買い物ができる。送迎の時間を気にせずに過ごせる。ほっとした様子を隠さなかった。


「じゃあ、一緒に買い物した日は、嫌だったの?」


「そうじゃない。あれは楽しかった」


 娘はそこで言葉を切った。


「だから、全部嫌な思い出になったわけじゃないよ」


 紗枝の胸がゆるみかけた。


「でも、お父さんのところへ行かなくてよかったって話には、ならない」


 紗枝はうなずいた。結菜が食べやすいように皿を寄せかけ、自分の手元へ戻した。


 娘は唐揚げを一つ食べ、お茶を飲んだ。


「今日、職場で、年末の休みの希望を聞かれた」


 急に変わったように聞こえる話を、紗枝は黙って待った。


「和樹と相談してから出したいって答えたんだけど、最初に、お母さんはどうするんだろうって考えたの」


「私は、仕事の予定が出てから決めるよ」


「うん。でも、聞く前に、自分たちの予定を決めていいんだよねって思って」


「もちろん」


 紗枝は即座に答えた。娘は首を少し傾けた。


「そう言うと思った。でも、帰ったらお母さんが一人だなって考えちゃうんだよ。まだ、決めてもないのに」


 紗枝はお茶を置いた。


「分かった。休みの希望は、二人の都合で出して」


 結菜は、うん、と言った。


「お父さんのところへ行くと、お母さんは元気かって聞かれた。元気だよって答えてたけど、家では眠そうだったり、腰が痛いって言ってたりしたから」


「それで?」


「本当のことを言った方がいいのか迷った。でも、それを言って、お父さんが何か言ってきたら、お母さんは嫌かもしれないと思った」


 娘が、二つの家の間で何を選んでいたのか。紗枝はその話を、一度も聞いてこなかった。


 面会を断ると伝えた電話で、康文は何度か理由を尋ねた。娘がそう言っているから。紗枝はその一言で返し、当日の都合だけを話した。


 結菜が何を見て、何を心配していたのかまでは、確かめなかった。


「会いたいのに、会わなかった日もあった?」


 聞きながら、紗枝は答えを恐れた。


「あったと思う。でも、今になって全部分けるのは難しい」


 娘は迷わず答えた。


「私だって、面倒で断った日もあったし。いま全部、お母さんのせいって言いたいわけじゃない」


「うん」


「会っていいか考える時、いつもお母さんがどう思うかを一緒に考えてた。今も、何時に帰ったら機嫌悪くないかなって、先に考える」


 紗枝は、帰りの時刻を何度も尋ねたことを思い出した。夕飯の支度のためだと思っていた。その理由もあった。しかし、それだけではなかった。


「今度は、私のことは考えずに行ってきて」


 結菜はすぐにはうなずかなかった。


「そうできるようにしたい」


「私も、余計なことを聞かないようにする」


「何も聞かないって決めなくてもいい。お父さんと会った話をしても、普通に聞いてくれたらいい」


 紗枝は娘を見た。


「分かった」


 食事のあと、結菜は残ったおにぎりを冷凍するためラップを出した。紗枝は皿を片づけ、唐揚げを保存容器へ移した。


「明日のお弁当に入れる?」


「入れる。朝、少しもらうね」


 娘の返事は普段の調子だった。


 紗枝は容器を冷蔵庫に入れた。来週の日曜に自分がする買い物のことを、頭の中で一つずつ数えた。


 食卓へ戻ると、娘の椅子に薄い上着がかかっていた。


 紗枝は背からずり落ちた袖を椅子にかけ直した。


 結菜が戻り、自分で持っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。