第15話 準備は進んでいる
11月に入ると、娘からの連絡は用件のある時だけになった。
週末に冬の服を取りに行く。届いた郵便を開けずに置いてほしい。押し入れの奥の本は、自分で片づけるからそのままにしてほしい。
紗枝はそのたび、短く返した。
寒くなったね、と打った文を消し、郵便は食卓に置いてある、と送った。娘から親指を上げた小さい絵が返ってきた。用件はそれで終わった。
職場では、年末に向けた片づけが始まった。会館の備品を数え、古い掲示物を外し、翌年の予約を受け付ける。誰かが休めば、紗枝が代わりに窓口へ出た。
「娘さん、結婚するんでしたね」
同僚に言われたのは、昼休みだった。婚約を聞いた翌週、うれしくて自分から話した相手だ。
「ええ。五月に」
「お母さんも忙しくなりますね」
紗枝は弁当箱のふたを閉じた。
「本人たちで、進めてるので」
「今はそうなんですね。何をするにも、二人で調べられるものね」
相手は笑い、午後の仕事へ戻った。紗枝も弁当箱をしまった。
午後の窓口で、予約の日を間違えて来た利用者がいた。部屋には別の団体が入っている。紗枝は予約票を見比べ、空いている小さい部屋を案内した。
「椅子は、こっちへ動かせますか」
そう聞かれ、倉庫から必要な数の机と椅子を出した。机の向きを変え、通路を空ける。用意が済むと、利用者は何度も礼を言った。
「助かりました。今日はもう駄目かと思った」
「次から、日付だけ気をつけてくださいね」
紗枝は予約票の写しを渡した。
閉館の前、同僚が机の数を確かめに来た。
「一人で運んだんですか。呼んでくれたらよかったのに」
「軽い方だったから」
「戻す時は呼んでください。腰、気をつけないと」
紗枝は礼を言った。
閉館後、紗枝は同僚を呼び、二人で机を戻した。
週末には園子と墓参りに行った。
駅前の花屋で花を選び、二人で坂を上った。途中、園子が息を整えるために立ち止まる。
「前は、一気に行けたのにね」
「荷物、持とうか」
「花だけお願い。水はまだ入ってないから軽いよ」
紗枝は花を受け取った。娘の話が出るのを待っている自分に気づき、墓地の入口で水桶を取った。
墓石を拭き終わると、園子が、結菜から式の日の連絡が来たと言った。
「五月の、あの日ね。私たちは空けておくって返した」
紗枝は濡れた布をたたんだ。
「私にも、日が決まったって来た」
11月の最初に、短い連絡があった。式と会食を同じ場所で行う。日程が決まったので知らせる。その文面に、母が来るかどうかは書かれていなかった。
園子が空いた水桶を持ち上げた。紗枝は花の包み紙を拾い、袋へ入れた。
「帰り、あの店で食べない? 前、お母さんと来たところ」
「うどんの?」
「そう。まだあるかな」
「お盆は開いてたよ」
園子の方が、ここへよく来ていた。紗枝は、水桶を戻す姉を待った。
店は開いていた。母が座りたがった窓際は埋まっていたので、奥へ座った。園子は新しく入った同僚の話をし、紗枝は取り過ぎた天かすを小皿へよけた。
結菜のことを尋ねる間が、幾度かあった。姉も話題にしなかった。会計では、紗枝が二人分を払った。
「今度、私ね」
園子に言われ、次があることを少しうれしく思った。
12月、結菜は新居が決まったと知らせてきた。
仕事帰りに寄るという日に、紗枝は娘の郵便をまとめた。食事は用意しなかった。結菜が寄るのは、30分くらいだと先に言っていたからだった。
「二月に、引っ越すことにした」
娘は玄関で手袋を外し、居間へ入った。
「少し先になるけど、それまで荷物、置かせてほしい」
「もちろん。どんな部屋?」
結菜が電話を出すまで、紗枝は郵便の束を両手でそろえていた。
「収納が多い方になった。駅からは少し歩くけど」
画面には、まだ家具のない部屋が写っていた。窓から隣の建物の壁が見える。きれいな床に、和樹の靴の先だけが入り込んでいた。
「日が入るんだね」
「午後が明るかった。朝は、これから見てみないと分からない」
娘は数枚だけ見せて、電話をしまった。
「引っ越し、何か手伝う?」
「今は大丈夫。業者に頼む予定。荷物を出す日は、立ち会ってほしい」
「分かった」
結菜が郵便を確かめる間に、紗枝は食卓の引き出しを開けた。貯金から出せる額を書いた小さい紙があった。
「最初に、お金を出せるって言ったでしょう」
結菜が顔を上げた。
「引っ越しにも要ると思うから。二人で相談してもらえないかな」
「式も部屋も、二人のお金で足りるように決めた」
「全部じゃなくていいの。せめて、家具とか」
「お母さん、今、私が何を言っても、また別の物を探すでしょう」
紗枝は紙を持ったまま黙った。娘は封筒を膝へ置いた。
「前に、計算してから相談するって言った。でも、今は受け取れない。もらったら、何を買ったか話さなきゃって思うから」
「報告なんて、要らない」
「要らないって言われても、私は考える。お金を出してもらったのに、部屋に呼ばないのかとか」
紙の端に、娘が引っ越す月を書いていた。見せる前から、使い道を決めかけていた。
「……分かった。これは、しまっておく」
「私たちが困ったら、私たちから話す。今は、大丈夫」
紗枝は紙を引き出しへ戻した。
結菜が住所変更の案内を読み始めたので、紗枝も手元の郵便を分けた。娘宛てではない封筒が、一枚混じっていた。
「式の準備も、進んでる?」
「うん。料理を決めたり、友達に連絡したり」
「そう」
「写真を飾るのは、少しだけにする。長い映像は、なくてもいいかなって」
「映像は、作らないの?」
「和樹も、見せる写真選びだしたら全然終わらなくて。だったら、みんなと話せる方がいいかなって」
紗枝は、あの三人の写真を思い出した。結菜は郵便の封を切っていた。
娘は郵便の中の請求書を一枚よけた。
「これ、住所の変更がまだだった。持って帰るね」
「はい」
出ていく前、結菜が台所を見た。
「お母さん、ちゃんとご飯食べてる?」
紗枝は笑おうとして、普段の声で答えることにした。
「食べてる。今日はこれから、昨日の煮物を温める」
「そっか」
「昨日、多く作ったから。明日のお弁当にも入れるつもり」
結菜は小さくうなずいた。
戸が閉まったあと、紗枝は煮物を温めた。娘に安心してもらうための嘘ではなかった。小鍋へ移し、一人分を食べる。
その夜は、珍しく食後に電話を見なかった。
洗濯物をたたみ、園子との次の食事の日を手帳に書いた。会館で受ける研修の案内も、締め切りを確かめて申し込んだ。
年末は、園子と夕飯を食べる約束をした。店を決める役は紗枝になった。墓参りのうどんは自分が払ったと姉が言い張るので、あの時の小さいレシートを見つけ、写真に撮って送った。
〈じゃあ、今度は払わせて〉
返事を見て、紗枝は二人分の席を予約した。
娘のいない正月に慣れるわけではなかった。食料品売り場で大きい鏡餅を手に取り、戻した。小さいものを買い、家にある盆へ載せると、飾りだけが余った。
結菜からは、年末年始の予定は二人で決める、必要なら連絡すると言われていた。
元日の朝、娘が持っていった色鉛筆の箱を思い出した。康文からの贈り物だと知って、また使っているのかは分からない。絵を見せて、と送ることもできた。紗枝は年賀の挨拶だけ送った。
返事は夕方に来た。挨拶と、二人で初詣に行ったことが短く書かれていた。
年が明けて最初の出勤日、研修の受講票が届いた。全三回で、初回は来週だった。申し込んだことを半ば忘れていた紗枝は、その晩、以前のノートを棚から探した。
表紙に、結菜が学生の頃使っていたシールが貼ってあった。中は数ページしか使っていない。残りの最初へ、自分の名前と受講日を書いた。
受講票をしまおうと引き出しを開けると、貯金のメモがあった。
紗枝は通帳と同じ袋へ入れ直した。手帳の二月の欄から、まだ頼まれていない家具の代金を消した。
娘の荷物を運び出す日は、残した。その日は、立ち会ってほしいと頼まれていた。




