↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
娘が結婚する日まで、私は嘘をついていた  作者: 雨宮 弦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/16

第14話 感謝とは別の話

 その夜、結菜からは、和樹の部屋に泊まると連絡が来た。


 紗枝は、分かった、と返した。娘の部屋の扉は開いていて、仕事の服が何枚かかかっていた。


 紗枝は電話を置き、二人分炊いたご飯を小分けにした。冷凍庫には、先週のものも残っていた。奥へ押し込まず、古いものを手前へ出した。


 月曜は、いつもより早く家を出た。勤め先に着いても、まだ廊下は暗かった。机の上を拭き、前の週に届いていた封筒を開ける。請求書を二度読み、金額を写した。


 昼休みに電話を見た。結菜からの連絡はなかった。


 康文からは、昨日の報告への返事が来ていた。


〈分かりました。結菜とは、こちらで連絡します〉


 娘がどんな様子かを尋ねる文はなかった。紗枝も、娘が今どこにいるかを知らせなかった。


 帰宅してから、冷凍庫のご飯を温めた。一人分を別にしても、おかずは多く作ってしまう。小さい容器が増えていった。


 煮物を詰めた容器のふたを、二度開けた。和樹の部屋まで持っていけば、温かいうちに食べてもらえる。どの駅で降りるかは、以前聞いていた。


 結菜との連絡を開いた。最後にあるのは、泊まるという知らせと、自分の「分かった」だけだった。


 容器を冷蔵庫へ入れた。翌朝、半分を弁当に詰めた。


 火曜の夕方、結菜から連絡が来た。


〈明日、服を取りに行く。お母さんが帰ってからでもいい?〉


 紗枝は時間を伝えた。待っている、とは書かなかったが、帰宅してから時計を何度も見た。


 結菜は八時前に来た。鍵を持っているのに、呼び鈴を鳴らした。


「開いてるよ」


 言いながら、紗枝は玄関まで行った。


 娘は仕事用の鞄と、大きな布袋を持っていた。靴を脱ぎ、まず自分の部屋へ入る。扉は閉めなかった。


「お茶、入れる?」


「今は大丈夫。先に服、まとめる」


 紗枝は居間で待った。


 引き出しを開ける音、ハンガーの触れ合う音。娘がこの部屋から物を持ち出すところを、こんな形で待つとは思わなかった。


 結菜は袋を抱えて出てくると、食卓へ座った。


「少し、話してもいい?」


「もちろん」


 紗枝は急いで向かいへ座った。その速さに娘が身を引いたように見え、椅子を少し離した。


「しばらく、和樹のところから仕事に行く。向こうの方が少し遠いけど、通えるから」


「和樹さんは、大丈夫なの」


「二人で話した」


 娘は短く答えた。


「新しい部屋を決めるのは、予定どおり。今すぐ引っ越しを決めるのは、違うと思うから。荷物は、少しずつ取りに来たい」


「分かった。持っていく物は、出しておこうか」


「自分で選ぶから、そのままでいい」


 紗枝はうなずいた。何かしていなければ、話している娘の前で、ただ待つしかない。


 結菜は布袋の持ち手を膝へ置いた。


「この何日か、いろいろ思い出した。お父さんのことも、お母さんのことも」


 紗枝は両手を重ねた。


「今日、職場で、結婚したらお母さん寂しがるねって言われた」


 紗枝は返事を待った。


「いつもなら、そうですねって言うんだけど。今日は、言えなかった。変な顔したと思う」


 結菜は袋の持ち手を指へ巻きつけ、ほどいた。


「ご飯、置いてくれてたこととか、学校のお金、一緒に考えてくれたこととか。そういうのまで嫌になったわけじゃないよ」


「うん」


「でも、今、ありがとうって言ったら、それで終わりにされそうで」


 紗枝は、そんなことはしない、と答えかけた。


「この前、園子に、私が育てたんだって言った」


 結菜の指が止まった。


「……うん。私にも言うと思った」


「言おうと、思ってた」


 娘は椅子の背へ寄りかかり、天井を見た。


「何かしてもらったの思い出すたび、怒るのが下手になる。今も、服だけ持って帰ればよかったって思ってる」


 紗枝は、膝に重ねていた手を離した。


「聞くから。ここにいる」


 結菜は天井を見たまま、しばらく黙っていた。


「今は、許すかどうか、決められない。式に来てほしいかも、まだ分からない」


 紗枝の膝の手に力が入った。


「式のことは、すぐ決めなくていい」


「私が来ないでって言ったら、受け入れられる?」


「……受け入れる」


 声が止まった分だけ、娘は待った。


「来ないでって言われたら、会場には行かない。そこは約束する」


 結菜は返事をしなかった。


 窓の外を電車が過ぎた。娘がこの家に来てから、もう三度目だった。


「お父さんと話した」


 結菜が言った。


「そう」


「私がお父さんを嫌ってたことを話したら、知らなかったんだから、私が謝り続けることじゃないって。あの頃、自分も説明しない方がいいと思ってたって言われた」


 紗枝はうなずいた。


「でも、私にはその時間が戻ってこない。お父さんにも、戻らない。これから会えばいいって、すぐには思えない」


「そうだね」


 その短い返事のほかに、紗枝が言ってよいことは見つからなかった。


「お父さんに、怒っていいかも分からなくなった」


 娘が続けた。


「何で話してくれなかったのって。でも、お父さんにとっても嫌なことだったんだろうし、私を困らせないつもりだったんだろうしって、先に考えちゃう」


 紗枝は、父も悪かったと言えば、少し楽になると思った。


 娘はすぐに続けた。


「お母さんに、お父さんのことを決めてもらいたいわけじゃない。ただ、今、そう思ってる」


「うん」


「お父さんと話して、自分で決めたい。お母さんから、私がこう言ってたとは伝えないで」


「伝えません」


 紗枝は椅子の背から体を離した。


「お父さんに連絡しない。結菜から聞いた話も、私からは言わない」


 結菜は返事をせず、布袋を少し手前へ引いた。


「私は、今、結婚のことも考えたい。ずっとお父さんとお母さんのことばかり考えていたくない」


「分かった」


「お母さんから、しばらく連絡を控えてほしい」


 結菜は、持ち手から手を離した。


「仕事のあとに、今日はどうだったって来ると、返事を考えるだけで、またあの話になる。元気って言わなきゃいけない気がする」


「分かった」


「必要なことは、連絡していい。荷物とか、家のこととか。でも、私の気持ちが変わったかを、毎日確かめないで」


「うん」


「和樹や、おばちゃんを通して聞くのも、やめて」


 紗枝は顔を上げた。


「しません」


 紗枝は言い直した。


「おばちゃんにも、そう言っておく。様子を教えてって頼んだりはしない」


 娘は、ありがとうとは言わなかった。


 立ち上がり、棚に置いた色鉛筆の箱を取った。布袋へ入れようとして、箱が横に長くて入らず、別の袋を探す。


 紗枝は食器棚の下から、平たい紙袋を出した。


「これなら、入ると思う」


「ありがとう」


 紗枝は袋を渡した。結菜は箱の角が当たらないように、口を広げた。


 結菜は玄関で靴を履き直した。紗枝が見送ると、娘は鍵を取り出し、少し迷ってから鞄へ戻した。


「まだ、持ってていい?」


「もちろん」


「来る時は、先に連絡する」


「分かった」


 娘が出ていったあと、紗枝は、置いていったマフラーを見つけた。秋物の薄いものだった。


 忘れてるよ、とすぐに送りたくなった。玄関へ戻り、傘立ての上ではなく、娘の部屋の椅子へかけた。


 居間へ戻り、用意したまま使わなかった二つの湯のみを棚へ戻した。


 紗枝は翌朝の米を量った。炊飯器の目盛りをいつもより下まで見てから、予約のボタンを押した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。